上石神井の麻辣刀削麵と 神楽坂で再会した話
CREA WEB / 2024年8月22日 6時0分
ディープな音楽ファンであり、漫画、お笑いなど、さまざまなカルチャーを大きな愛で深掘りしている澤部渡さんのカルチャーエッセイ連載第10回。今回は実家を離れて初めて住んだ「ほどよい街」上石神井の、中華料理店にまつわる素敵なお話です。
2013年、実家を出て初めて住んだのは練馬区の上石神井という街だった。あるきっかけがあって、友人らと一軒家を借りて住むことになったのだ。内見のあとの帰り道の「ああ、きっとこの街で暮らすんだろうな」というあのワクワクは今でも胸に残っている。暮らしにも慣れ始めた頃、この街を通り過ぎたことがある、と思い出した。
15歳ぐらいだった2003年頃、高島平の実家からバスを乗り継ぎ、吉祥寺まで出たことがある。吉祥寺へ行く目的はココナッツディスクでレコードを買い、当時まだ全然店舗数がなかったgraniphでTシャツを買う、というもの。いい背伸び。東京は縦を繋ぐ電車がほとんど走っていなくて、23区の北の外れである高島平から、23区を南に飛び出した吉祥寺に行くには、巣鴨から新宿に出て、そこから吉祥寺、という1時間ぐらいかかる大袈裟なルートしかない。しかし、縦を繋ぐ路線バスが東京にはいくつも張り巡らされていて、自宅→成増、成増→吉祥寺というラインがあることを家族に教えてもらった。せいぜい100円ぐらいしか差額はなかっただろうに、私は「往復で200円も違うじゃん!」と移動時間を差し出し、90分ほど、バスに揺られることにしたのだった。音楽を聴きながらうとうとと車窓を眺めていたのだが、ある時(「バスは広い道を通る」と信じて疑っていなかった当時の私からすれば)驚くほど細い道を通り、八百屋と窓がこんなに近い……!と強い衝撃を受けたことがあった。あの場所が一体どこだったかなんて10年間記憶にフタがされていたのだが、(実際はそこまでひどく狭い道ではなかったこともあって)「あっ、あの時の狭いと思っていた道って上石神井駅前のここじゃん」と思い出したのだった。
上石神井はほどよい街で、スーパーも飲食店もほどよい。北口をしばらく行けば最高のカレー屋「ふんだりけ」があり、南口には“カレー界の二郎”と囁かれることもある名店「analog.」もある。「一圓」といった町中華もあるし、青梅街道まで出れば「梁山泊」だってある。どの店も大好きで、これらの店は過去には人にも勧めてきた。しかし今回書きたいのはこれらの店ではない。むしろ、今まで人にはあまり積極的に勧めてこなかった、「閻有記」という店のことだ。
店名は変わっていないのに……
南口を出てすぐの路地に「閻有記」はある。しかし、具体的にこの店を褒める言葉があまり思いつかない。なんとなく居心地がいい。なんとなく料理との相性もいい。店で働く中国から来ているご夫婦もはつらつとしていて気分がいい。特に麻辣刀削麵がお気に入りで、ひとりだったり、妻とだったり、時々訪れるお気に入りの店だった。頻繁に行っていた訳ではなかったかもしれないが、街でご夫婦とすれ違うと挨拶なんかもしたり、席についた途端に「麻辣刀削麵?」と訊かれたこともあったほどの関係ではあった。シェアハウスを解散した後も、度々訪れてはいたのだけど、2022年ぐらいだっただろうか、ある日訪ねてみると、店名は変わっていないのに、メニューと店で働く人がガラッと変わってしまっていた。ショックを受けたが、変わってしまった「閻有記」の料理もおいしかったことは書き加えたい。新しく入った店員さんに「以前こちらで働かれていたご夫婦はお元気でしょうか?」と尋ねてみると、「よく知らないんだ」と返されてしまった。本当に知らなそうな様子だった。その会話を終えると、別の席に座っていた方から声をかけられた。「あの……私、今のお店も好きなんですけど、前のお店のファンで。この前、たまたま神楽坂のお店に適当に入ったら、ここで働いていたご夫婦が新しく始めたお店だったんです。香港酒家というお店でした」というではありませんか。
私は教えてもらった場所をメモして、すぐに向かった。しかし、その時はランチということもあり、大盛況。おとなしく麻辣刀削麵だけ食べて帰ってきたのだけど、先日、あるライヴの帰り道にたまたま寄ることができた。やはり麻辣刀削麵を食べ終え「覚えていないかもしれませんが~」と声をかけてみると、「いや~なんか見覚えあるなって思っていたんだよ!」と思い出してくれて、一通り再会を喜んだのち、「ランチの営業終わったらお店は休みだけど、私たちお店にはいるからもしこの辺歩いてて疲れたら涼みにきてよ!」なんて言ってくれた。ちょっと角度が独特だな、と笑ってしまった。日記にも書かれなかったような私の日常にあったのはこの麻辣刀削麵だったりしたわけだ。
澤部 渡(さわべ・わたる)
2006年にスカート名義での音楽活動を始め、10年に自主制作による1stアルバム『エス・オー・エス』をリリースして活動を本格化。16年にカクバリズムからアルバム『CALL』をリリースし話題に。17年にはメジャー1stアルバム『20/20』をポニーキャニオンから発表した。スカート名義での活動のほか、川本真琴、スピッツ、yes, mama ok?、ムーンライダーズのライブやレコーディングにも参加。また、藤井隆、Kaede(Negicco)、三浦透子、adieu(上白石萌歌)らへの楽曲提供や劇伴制作にも携わっている。2022年11月30日に新しいアルバム『SONGS』をリリースした。
https://skirtskirtskirt.com/
文=澤部 渡
イラスト=トマトスープ
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