菅田将暉が「転売ヤー」に。実在する“事件”に着想…恨みによる復讐、ネットが引き起こした“悲劇”とは
CREA WEB / 2024年9月29日 11時0分
日々激変する世界のなかで、わたしたちは今、どう生きていくのか。どんな生き方がありうるのか。映画ライターの月永理絵さんが、毎月公開される新作映画を通じて、さまざまに変化していく、わたしたちの「生き方」を見つめていきます。
今回は2024年9月27日公開の映画『Cloud クラウド』から、「見えない悪意」について。
あらすじ
クリーニング工場で働きながら、副業で転売をしている吉井(菅田将暉)。先輩の村岡(窪田正孝)からの儲け話も、工場の上司・滝本(荒川良々)からの昇進話も断り、吉井は、恋人の秋子(古川琴音)と一緒に郊外の一軒家に引っ越し、転売屋としての事業拡大を狙う。だが、これを機に彼の周囲で不可解な出来事が頻発しはじめる。
転売屋に向けられた悪意、何かがおかしい
黒沢清監督の映画に登場する人々は、何を考えているのかよくわからない。何かの事件を追う刑事だったり、家族の復讐を果たそうとする謎の人物が主人公の場合が多いからだろうか。出てくるのはたいてい、何が起きようと顔色をほとんど変えず、泣き叫んだりもせず、ただ黙々と事件を追いかけたり、復讐を果たしたりする人ばかりだ。このわからなさこそが、黒沢映画の最大の魅力ともいえる。
黒沢監督の新作『Cloud クラウド』の主人公もまた、何を考えているのかよくわからない人として登場する。菅田将暉演じる吉井という男はいつも無表情で、恋人と話をしていても、会社の上司に昇進を打診されても、慇懃無礼に振る舞うだけ。一方、転売屋としての仕事は黙々とこなしている。売れ残ったものを安く買いたたき、ときには姑息な手で商品を買い占める。そのせいで他人から恨まれようと何食わぬ顔を突き通す。感情的にならないのは、転売屋としてはぴったりの性格かもしれない。
だがそんな彼の冷静さが、ある事態を引き起こす。本人がまったく気付かぬうちに、彼に恨みを抱く人たちがじわじわと増え続け、いつしかネット上でつながりあっていたのだ。増殖した悪意はやがて彼に襲いかかる。
見えない悪意が集結し、恐ろしい結果を生み出す。そうこの映画を形容するのは簡単だ。
けれど何かがおかしい。
悪意が「見える」瞬間
というのも、吉井に悪意を持つ人々もまた、感情の読み取れない不気味な人たちなのだ。彼らひとりひとりのキャラクターは個性的だし、それぞれに吉井に対して憎悪を抱いたきっかけや理由は、一応は説明される。でも、ひとりひとりの顔を見ても、おそろしい憎悪や殺意のようなものは見当たらない。彼らは顔色ひとつ変えず、ときには楽しげに笑いながら、吉井をどんなふうに痛ぶるか計画を練る。
彼らが暴力への衝動に駆られたのには、どんな背景があるのだろう。映画を見ていても、実のところよくわからない。代わりに私たちは、いくつかの小さな、けれど決定的な瞬間を目にする。たとえばそれは、誰かが「あいつ、殺す」という言葉を口に出すときであったり、ネット上に罵詈雑言を打ち込むときだったりする。あいつが憎い、痛めつけたいという欲望が言語化されることで、その瞬間、曖昧だった感情がはっきりとした形になって出現する。
つまりこの映画が描くのは、ネットに増殖する「見えない悪意」のようでいて、実のところ、悪意が「見える」形となって現実に現れた瞬間なのだ。そして、それはまたたくまに暴力へと結びつく。
誰かへの誹謗中傷が山のように湧いてきたり、真偽の定まらない噂が真実のように一人歩きしていったり、ネット上で発生した何かがまたたくまに広がっていく怖さは、私自身、日々SNSなどで体感している。そんなとき、つい「見えないからこそ怖い」と思いがちだけけれど、その裏には、憎悪に満ちた言葉を書き込んだり、それを拡散したり、実際に「見える」形で悪意が発生しているという事実を忘れてはいけない。一度「見える」形で表に出してしまったものは、どれほど後悔しようが、そんなつもりはなかったと泣きつこうが、もう取り返しがつかないのだから。
吉井に襲いかかる人々の顔が、妙に心に残る。彼らはみなどこかぼんやりとした表情を浮かべていて、まるでどんどん凶暴になっていく自分に戸惑っているようだ。いったい何が起きているのか、自分自身ですらわからないというように。暴力とは案外そんなものかもしれない。ほんのちょっとしたことが引き金になり、当人たちもわからないうちに、後戻りができないところにまで至ってしまう。
抜群におもしろい“おそろしさ”
ネット社会の闇をテーマにしたサスペンス映画のように始まった映画は、後半から、突如として姿を変え、純粋なアクション映画として進行していく。銃撃戦が始まり、人々は疾走する。おもしろいことに、ここから吉井という人物の見え方が大きく変わり始める。彼は、突然の事態に顔色を変え、驚き狼狽する。おろおろと釈明をし、恐怖の表情を浮かべ、身を守るため必死で逃げ惑う。暴力によって、それまで見えていなかった彼の感情が、否応なく引き出されていく。
暴力が発生するのが唐突であるように、人はまたたくまに暴力に慣れてしまう。一度銃を撃ってしまえば、人はあっというまにその行為に慣れ、いつしか攻守が交換していることにも気づかない。その理不尽さ、わからなさこそが人々の恐怖を駆り立てる。現代の社会に唐突に姿を現した『Cloud クラウド』は、実におそろしい映画だ。そのおそろしさが抜群におもしろい、という点も踏まえて、やはりこの映画はおそろしい。
文=月永理絵
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