ライムグリーンの目玉おやじのレンズをもつ野島埼灯台は全国でも数少ない「のぼれる灯台」
CREA WEB / 2024年10月20日 11時0分
現在、日本に約3,300基ある灯台。船の安全を守るための航路標識としての役割を果たすのみならず、明治以降の日本の近代化を見守り続けてきた象徴的な存在でもありました。
建築技術、歴史、そして人との関わりはまさに文化遺産と言えるもの。灯台が今なお美しく残る場所には、その土地ならではの歴史と文化が息づいています。
そんな知的発見に満ちた灯台を巡る旅、今回は2003年に『星々の舟』で第129回直木三十五賞を受賞した村山由佳さんが千葉県の野島埼灯台を訪れました。
千葉県の野島埼灯台へ
〈灯台を訪ねてみませんか〉
複数の作家が、日本全国さまざまな土地の灯台を訪れて紀行文を書くというこのプロジェクトの中で、千葉県・房総半島に立つ三つの灯台をめぐる旅がどうして村山由佳のところに回ってきたかといえば、それはやはりかつて私がここに住んでいたからなのだろう。物書きとしてデビューする直前の一九九三年春から、直木賞受賞の数年後にすべてを置いて出奔するまでのほぼ十四年間を、私は南房総の鴨川(かもがわ)で暮らしていた。
今でも夢に出てくることがある。当時の夫との間にはいろいろ、ほんとうにいろいろあったけれども、自分の半生をふり返ったとき最も輝いて見えるのは、鴨川に開墾した農場での風景だ。たくさんの犬や猫に囲まれ、馬や鶏や兎(うさぎ)を飼い、畑で野菜を、田んぼで米を作った。車で買い物に出るたび、必ず回り道をして海を眺めた。夏には夏、冬には冬の、海の色があった。
そんなわけで、この日―久々に鴨川の海を前にした私は、懐かしさとも後悔ともつかない、一筋縄ではいかない気持ちに胸がぎゅうぎゅうと締めつけられていた。もし一人きりだったら、ずっと押し黙ったまま海を見ていただろう。
もちろん、そうは問屋が卸さない。何しろ今回は、三つの灯台を巡るプロジェクトにテレビカメラが密着し、番組が作られるというのだ。待ち合わせ場所に指定された海っぺりの駐車場にはすでにロケ隊の皆さんが大勢待機していて、挨拶(あいさつ)を済ませるなり服の中にピンマイクを仕込んでいただくこととなった。
まずは砂浜沿いの遊歩道をたどってゆく。四半世紀以上も連載を続けた『おいしいコーヒーのいれ方』シリーズにも、くり返し登場する道だ。少し沖合ではサーファーたちが皆同じ方角を向き、いい波が来るのをひたすら待っている。デビューから二作目の『BAD KIDS』に描いた光景が今もそこにあった。
潮の香り、まぶしい秋の陽射し、テトラポッドに砕ける波しぶき。
「この、きらっきらした感じが大好きだったんですよね……」
手をかざし、彼方の水平線を見はるかしながら思わず口からこぼれた。
さて、感傷はそれくらいにして、いよいよ一つめの灯台へ向かう。十月とは思えないほどの強い陽射しに、早くも肌がチリチリ焦げている。
思い思いの時を愉しむことができる場所
鴨川から江見(えみ)を通り過ぎ、今は亡き両親の実家が残る千倉(ちくら)を抜けて、海岸線沿いの国道をひた走れば、やがて白浜。せり出した陸地の先に『野島埼灯台』が見えてくる。〈岬の突端に立つ灯台〉と耳にした時、多くのひとが頭に思い浮かべるであろう姿がそのまんま出現した感じだ。蒼い海と青い空を背景に立つ、純白の八角柱。文句なしに美しい。
白状すると、これまで私は、野島「崎」灯台だとばかり思っていた。
違うのだった。よく見ると、周囲の地名の表記は野島「崎」であっても、灯台の名前は野島「埼」と書く。読みも、野島崎はノジマ「ザキ」、野島埼はノジマ「サキ」。しかも、じつはこれは他の灯台にも言えることなのだ。
いったいどういう使い分けなのか、気になるから調べてみた。結果、〈国土地理院の地図と、海上保安庁の海図の、表記の違い〉なのだという。
山へんの「崎」の字は本来、山の様子が険しいさまを表すもので、地形としては〈平野の中に突出した山脚や山地の鼻〉などをいう。旧陸軍の陸地測量部(現在の国土地理院)が作った地図ではこの字が用いられており、今も引き続き使用されている。
それに対して土へんの「埼」のほうは、漢字の意味として〈海洋に突出した陸地の突端部〉を表す。旧海軍の水路部(現在の海上保安庁海洋情報部)は、海図に記す際にあえて「埼」の字を用いることで、航海する者がその地名からも地形を判断できるようにした。
つまり、明治時代からの表記の約束ごとが、どちらもいまだに生きているということらしい。いやはや、面白い。文字の使い分けには必ずと言っていいほど意味がある。語源とか謂れが大好物の私には、それだけでも大きな収穫だった。
改めて、その野島サキ灯台である。
案内して下さるのは、郷土史を研究する早川郁夫(はやかわいくお)さん。どっしりと恰幅(かっぷく)がよく、穏やかで知識豊富な方ながら、ときどき真顔のまま冗談をおっしゃるので油断ならない。
すっくと立つ白い灯台の足もとから海岸にかけて、今では芝草が青々と広がり、遊歩道が巡らされている。ここを観光地として整備したのが、かつて白浜町役場に勤めていた頃の早川さんだった。おかげで、灯台を訪れた人なら誰でも、源頼朝が雨宿りをしたという「頼朝の隠れ岩屋」で願掛けをしたり、朝日と夕日の両方を眺められる白いベンチ(通称ラヴァーズ・ベンチ)に並んで座ったりと、思い思いの時を愉しむことができるようになったのだ。
日本で二番目に古い洋式灯台
早川さんから灯台にまつわるお話を伺いながら、美味(おい)しそうな海産物のお店が並ぶゆるやかな坂道を上ってゆく。灯台の成り立ち……キンメ、エボ鯛、真アジ。灯台の果たす役割……真イカ、伊勢エビ、アワビ。集中力が試される。
温暖な土地ならではの、葉の艶々とした常緑樹が左右から覆い被さる道を抜けてゆくと、やがて前方が明るくひらけた。灯台だ。いきなりにゅうっと現れるせいか、はたまた周囲に大きな建物がないせいか、二十九メートルという実際の高さ以上に大きく見える。
「日本で二番目に古い洋式灯台ですワ」
と、早川さんは言った。
「ちなみに、いちばん古い洋式灯台はどこだか知ってます?」
わかりません、と正直に答えた。無知を恥じはするがせっかくの機会、どんどん訊かないと損である。どこですか。
「三浦半島の観音埼灯台です」
出た、観音「サキ」。
聞けば観音埼灯台も、そしてこの野島埼灯台も、フランス人の技師ヴェルニーの設計だという。イギリス人技師ブラントンと並んで、日本における洋式灯台建築に大きく貢献した人物だ。
そもそも、明治に入る少し前までの日本には、篝火(かがりび)を焚(た)く程度の「灯明台(とうみょうだい)」しかなかった。地形の複雑さにもかかわらず近代的な航路標識がなく、列強諸国に「ダーク・シー」と恐れられるほどだった。
ところが一八六六年(慶応二年)、英仏蘭米の連合艦隊との間に起こった海戦に長州藩が敗北したことで、多額の賠償金が発生。その減免と引き換えに、全十二条からなる「江戸条約」が幕府と交わされる。商売したくても日本の海ときたら、あまりに真っ暗で危険きわまりない。とっととまともな灯台を建ててくれ! といったところだろうか。それでまずは太平洋沿岸の要所要所に、遠くまで光が届く洋式灯台が超特急で建設されたというわけだった。
日本で二番目に建設されただけあって、野島埼灯台は海路上、非常に重要なポイントに立っている。房総半島の最南端、つまり東京湾へと入港してくるすべての船が、何をおいても確かめなくてはならない航路標識なのだ。
初点灯は一八六九年(明治二年)、くだんの江戸条約の三年後。一九二三年(大正十二年)の関東大震災で一度は倒壊したものの、わずか二年ののちに、八角形の外観は変えることなく、それまでの煉瓦(れんが)より頑丈な鉄筋コンクリートで造り替えられた。そのまま今に至っている。
全国でも数少ない「のぼれる灯台」
早川さんのあとについて灯台のあしもとまでたどりつくと、そこには海上保安庁・千葉海上保安部の古庄秀行(ふるしょうひでゆき)さんが待っていた。
テレビカメラの回る前で挨拶を交わす。気の毒なくらいカチンコチンに緊張している古庄さんに、思わずシンパシーを抱いてしまう。
物知らずのムラヤマ、全国の灯台を管理しているのが海上保安庁であるということも初めて知ったのだったが、今回その海上保安庁さんが立ち会って下さったのには理由があった。
この野島埼灯台、全国でも数少ない「のぼれる灯台」のひとつで、一般観光客は三百円の寄付金を納めれば、灯台にものぼれるし、併設の資料館も見学できる。
ただし立ち入りが許されているのは上から三分の一くらいのところにある展望台までで、さらにその上の、光源とレンズが収められたガラス張りの空間にまでは入ることができない。海上保安庁の係官でさえ、メンテナンスが必要な時以外は立ち入らない場所なのだ。
そのレンズ室に、今回は古庄さん立会のもと、特別にのぼらせてもらえることになったわけだ。役得もここに極まれり、である。
まずは、太い柱のまわりをぐるぐると回るかたちで螺旋階段をのぼってゆく。
「カタツムリとかサザエの殻の中みたいですね」
言ってから、そういえばサザエは漢字で書くと「栄螺」だと気づいた。螺旋の「螺」の字は、巻き貝を意味するのか。「法螺貝(ほらがい)」も「螺鈿(らでん)」もそうだ。いやはや、言葉ってほんとに面白い。
展望台までの七十七段なんかチョロいと思っていたのにそうでもなくて、情けない感じに息が切れてしまった。
しかも、ここからは非常に狭い鉄製の階段がのびており、さらに上の梯子(はしご)へと続いている。人一人がようやく通れる程度のその梯子段の上に、灯台の心臓部であるレンズと光源が収められているようだ。
なるほどこういうことかと思った。番組のディレクターさんから前もって、
「スカートとかじゃなく、動きやすい格好で来て下さい」
そう言われていた意味がやっとわかった。
まあ、よい。かえって血がたぎる。
勇んで梯子段の手すりをつかもうとしたら、目の前にスッと、軍手とともに白いヘルメットが差し出された。サイド部分に「海上保安庁」と大書され、おでこの位置には、羅針盤を図案化したコンパスのマークまで入っている。
「え、いいですよう」
照れくささに笑って辞退したのだが、
「いえ、決まりでして」
古庄さんがあんまり申し訳なさそうにおっしゃるので、ありがたくかぶり、顎(あご)の下でベルトを締めた。ちょっとだけコスプレ気分で敬礼したくなる。
透きとおったライムグリーンの目玉おやじ
一段ごとに狭く細くなってゆく梯子を、踏みはずさないようにつかまりながら慎重にのぼりきったとたん、巨大さに思わず「うわあ」と声が出た。
透きとおったライムグリーンの目玉おやじ……! 背丈より大きな〈目玉〉が海を見つめるその表面を、それぞれ数センチもの厚さを持つ細長いレンズが、何枚も何枚も折り重なるようにして覆っている。どことなくサーキュレーターのカバーみたいだ。
夥(おびただ)しい数のレンズたちには窓辺のブラインドよろしく角度がついていて、そのため表面全体はまるで洗濯板のようなギザギザ状にみえる。フランス人の物理学者フレネルが考案したこの構造のおかげで、おそろしく分厚い一枚ものの凸レンズをここまで運び上げなくても、同じだけの明るさ増幅効果が得られるのだ。
これだけ大きなレンズの集合体に囲まれているくらいだから、内部の光源もさぞかし立派なことだろう。古庄さんが小ぶりの扉を開け、さあどうぞ、とレンズの内部を見せて下さる。
台の上に、まるで御本尊よろしく鎮座ましましている電球を見て、
「え、ちっちゃ!」
今度は声が裏返ってしまった。
「こんなに小さくていいんですか?」
直径わずか三センチ程度の円筒形で、高さも二十センチくらい。家庭でも普通に使える二百ボルトの電球だ。にわかには信じられない。何といっても「灯台」の光源である以上、もっとこう、動力エンジンなどでごんごん発電しているところを想像していたというのに、大丈夫なのだろうかこれで。
大丈夫、なのだった。フレネル式レンズは、光源の明るさを三百倍にも増幅して海の彼方へ届けることができるのだ。野島埼灯台の光達距離は十七海里、およそ三一・五キロメートル。レンズは鋼鉄の台座ごと回転し、十五秒に一回ずつ閃光を放つ。沖ゆく船はそのおかげで、あれは野島埼灯台の光だと認識することができるわけだ。
アナログながら、システマティックな仕組み
ガラスに囲まれ、外からの陽射しを受ける内部の温度は相当なもので、じっとしていても背中に汗が噴きだす。しっかりと分厚い窓の、海へ向かって右端の数枚が赤く色づけされているのに気づき、何か理由があるのか訊いてみた。
と、古庄さんがヒントをくれる。
「端っこのほう、ということは陸の側に近いわけですよね」
「あっ。もしかして、岩場ですか?」
「正解!」
つまり、赤く染まった光が届く範囲は、岩礁が多いから気をつけよ、というサインなのだ。
すごい。アナログながら、なんてシステマティックに考え尽くされているんだろう。
もともと私はデジタルが好きではなくて、本は紙で読みたいし、音楽はできればレコードで聴きたい質だ。
だからよけいに、灯台に心惹かれるのかもしれない。百数十年も前から同じ原理で働き続けてきた、海の道しるべ。
近年はGPSが発達し、おかげで航海そのものは昔に比べてずっと安全なものになったのだろうけれど、たとえば万が一、深刻なトラブルによってGPSが使えなくなったとしたらどうだろう。そんなとき頼りになるのは結局、紙の海図とコンパスの針だ。陽が沈み、あたりが闇に包まれても案ずることはない。たとえ船内のすべての電子機器が沈黙しても、灯台がさしのべる光だけははっきりと目に見える―。
それこそ御本尊を拝むような気持ちで光源に御礼を言ってから、ソロリソロリと梯子を下り、ようやく展望台に出た。吹きさらしの高低差に腰が引けて、股間がワギワギする。真下は見ないようにしながら彼方へ目を投げる。
青々とおおどかに広がる太平洋。空と海の境界は湾曲していて、地球が丸いことを実感できる。あの水平線の向こうはサンフランシスコか、はたまたハワイだろうか。
一生を海風に包まれて暮らしてゆくのだと、疑いもなく信じていた日々があった。けれどこの土地を遠く離れた今、なおさら強く憧れる。南房総の海はなんて豊かで美しいのだろう、と。
今も昔も、この海域を旅する船にとって、陸に点る蝋燭(ろうそく)のような灯台がどれほどの支えとなっていることか。思いを馳せながら、ゆっくりと地上に降りた。
野島埼灯台(千葉県南房総市)
野島埼灯台(千葉県南房総市)
所在地 千葉県南房総市白浜町白浜630
アクセス 富津館山道路 富浦ICから約30分
灯台の高さ 29
灯りの高さ※ 36
初点灯 明治2年
※灯りの高さとは、平均海面から灯りまでの高さ。
海と灯台プロジェクト
「灯台」を中心に地域の海の記憶を掘り起こし、地域と地域、日本と世界をつなぎ、これまでにはない異分野・異業種との連携も含めて、新しい海洋体験を創造していく事業で、「日本財団 海と日本プロジェクト」の一環として実施しています。
https://toudai.uminohi.jp/
◎灯台を基に海洋文化を次世代へ
日本財団「海と灯台プロジェクト」では、灯台の存在価値を高め、灯台を起点とする海洋文化を次世代に継承していくための取り組みとして、「新たな灯台利活用モデル事業」を公募。この度、2024年度の採択15事業が決定しました。灯台×星空の鑑賞ツアー、灯台を通じた地域学習プログラム、灯台の下で開催する音楽フェスティバルなど、バラエティに富んだ内容となっています。詳しくは公式ホームページをご参照ください。
文=村山由佳
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2024年9・10月特大号
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