ムーミン・シリーズにある「自閉芸術のきわみ」 横道誠がスナフキンの行動に見た“自閉していられることの楽しさ”
CREA WEB / 2024年10月29日 11時0分
文学研究者であり、40歳のときに自閉スペクトラム症および、注意欠如多動症を併発しているという診断を受けた横道誠さん。横道さんは、バラバラの個性を持ったニューロマイノリティ(自閉スペクトラムの特性を持った人を“脳の少数派”と位置付ける、ニューロダイバーシティの考え方)が集まる自助グループに参加したとき、当事者たちが自由に交流しあい、しかも不思議な秩序によってその時空間が平和を謳歌している様子を見て、「ここはムーミン谷だ!」と驚いたという。
横道さんが、「ムーミン・シリーズは自閉スペクトラム症との相性がとても良い」「作者のトーベ・ヤンソンがニューロマイノリティだったのではないか」という仮説のもとにムーミン・シリーズを読み解き、当事者批評を行った『なぜスナフキンは旅をし、ミイは他人を気にせず、ムーミン一家は水辺を好むのか』より、一部を編集して紹介する。
写実的でサイコホラー的になった絵柄
ムーミン・シリーズ第7作の『ムーミン谷の仲間たち』では、シリーズの内省性の深まりとともに、絵柄はサイコホラー的になり、そして物語の全体はニューロマイノリティ的性格を、つまり自閉性を強めることになりました。絵柄の怖さで言えば『ムーミン谷の仲間たち』が頂点に位置していると思いますが、自閉的傾向は、『ムーミン谷の仲間たち』に続く『ムーミンパパ海へいく』と『ムーミン谷の十一月』で、ますます顕著になります。
『ムーミン谷の仲間たち』の巻頭に収められた短編「春のしらべ」で、スナフキンは楽しいと同時に悲しいものでなくてはならない歌を作ろうとします。気持ちのいい小川から音がして、名前がほしいイタチのような生きもののはい虫が現れます。スナフキンを尊敬するはい虫に向かって、スナフキンは「あんまりだれかを崇拝すると、本物の自由はえられないんだぜ」と忠告します(『仲間たち』p.19)。
スナフキンを恋しがるムーミントロールの悲しみについてはい虫が言及し、スナフキンは「なぜみんなは、ぼくをひとりでぶらつかせといてくれないんだ」と嘆きます。しかし、求められるままにはい虫にティーティ・ウーという名前を贈ります(『仲間たち』p.20、p.22)。
翌朝スナフキンは、別れたはい虫のことが気になって仕方ありません。はい虫との再会後、スナフキンはムーミントロールに会いに行こうと決めます。あおむけに寝転んで、春の空をながめます。「見上げた先はすみきった青で、木のこずえのあたりは緑がかった海のような色」(『仲間たち』p.29)と語られる美しい風景が広がっています。
作曲もうまくいき、そのモティーフが「最初はあこがれ、つぎの二つの部分は春のものがなしさ。あとは、ひとりきりでいられることの、大きな大きなよろこびなのでした」(『仲間たち』p.29)と語られます。自閉していられることの楽しさが強調されて終わるわけですね。
不安感から自由になったフィリフヨンカ
つぎの短編「ぞっとする話」は、現実に恐怖イメージを読みとる傾向のあるホムサの物語です。ホムサは「生きたキノコが、もう居間まで来ているのよ」(『仲間たち』p.46)などと脅してくるミイの作り話に怯えます。ミイは語ります。
「あたいのおばあちゃんの体には、一面にあいつが生えてるのよ。おばあちゃんは居間にいるの。というか、おばあちゃんのおもかげがあるものが、ね。大きな緑色のかたまりみたいになっちゃって、口ひげが一方のはしから飛び出てるんだけど。早く、そのラグもまるめて、ドアにおしつけなさいよ。それでなんとかふせげるかもね」(『仲間たち』p.48)
「あの音は、キノコが大きくなるときにたてる音よ。あいつらはぐんぐん大きくなって、しまいにはドアをつきやぶるんだわ。そして、あんたの体をはい上がってくるのよ」(『仲間たち』p.49)
二村さんはこれはレイ・ブラッドベリの「ぼくの地下室へおいで」というSF短編をもとにした作品だと指摘してくれましたが、私もまちがいなくそうだと思っています。
その短編では、主人公にあたる17歳の少女の双子の弟が、雑誌の広告に載っていたキノコ栽培キットを購入します。物語が展開するうちに、宇宙からやってきたキノコによって、人間の肉体が侵略されていることが示されます。胞子が発芽し、キノコになり、それを人間が食べると消化され、血液中に広がって、細胞に入りこみ、その人はキノコに支配されます。キノコ栽培キットを販売しているのは仲間を増やそうとしているキノコ人間です。
トーベのホラー愛好がニューロマイノリティとしての不安感に起因しているのだろうことは先に述べました。かく言う私もホラーが好きで、とくに昭和時代のB級怪奇マンガの収集家なのですが、その私はじつはじぶんが送りだしている本はすべてホラーだと思っているくらいなのです。
じぶんの不安感に形を与えることで生まれる安心感が、ホラー愛好の源です。固有の不安感を他者と共有することで、孤独をやわらげたいという衝動も満たしてくれます。ホラーは不安感に苛まれやすいニューロマイノリティにとって、とても相性の良いジャンルだと私は思うのです。
続く短編「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」で、フィリフヨンカは「天気はあまりにすばらしすぎて、どうにもへんでした。なにかが起こるにちがいありません」と語られるほど不安に苛まれています(『仲間たち』p.57)。隣人のガフサ(鼻だけ異様に突きでている人間型の生きものです)をお茶会に招き、何かに怯える気持ちを共有し、安心したかったものの、ガフサに気持ちは通じませんでした。
このように不安感を伝えようとしても、相手にちっとも伝わらないというディスコミュニケーションも、ニューロマイノリティには常態的な出来事です。
やがて実際に竜巻が「この世のおわり」のような勢いでやってきて、フィリフヨンカの家を完全に破壊してしまいます(『仲間たち』p.85)。彼女は「もうわたし、二度とびくびくしなくていいんだわ。とうとう自由になったのよ。これからは、どんなことだってできるんだわ」(『仲間たち』p.86)と新しい心境を得ます。ムーミン・シリーズ初期からの天変地異による破局というモティーフを日常生活上の心理的不安の問題と融合させたような作品ですね。
一般的に考えると、とんでもない体験によって人付きあいの煩わしさ、不安感、固執などから解放されるという爽快な小話と言えるでしょうが、それだけではなくて、トーベはニューロマイノリティとして感じていた同種の不安感を、コミカルに客観視しようと試みたのかな、と私は推測しています。
スナフキンのとった解決策
つぎの短編「世界でいちばん最後の竜」で、ムーミントロールは絶滅したと思われていた竜を発見します。北欧神話では英雄シグルズによって竜が退治されるというエピソードがありますけれども、この場合の竜はマッチ箱くらいの大きさの、火を吐く小さい生きものです。
ムーミントロールはじぶんの竜を誇らしく思い、スナフキンに見せると、竜はスナフキンを大好きになってしまいます。ミイが「あんたのじゃなくて、スナフキンの竜ね。この竜はスナフキンにしかなついていないもの」と皮肉を言うと、気まずい沈黙が流れます(『仲間たち』p.104)。スナフキンがムーミン屋敷を去ると、竜はそれを悲しげに見送ります。
ムーミンパパは「百科事典で調べてみたがね、最後まで残っていたのが、強い火をはく感情的な種類だったようだ。やつらはとくにがんこで、ぜったいに考え方を変えないらしい」と解説します(『仲間たち』p.106)。
ムーミントロールが悲しくなって竜を解きはなつと、竜は釣りをしているスナフキンのもとにやってきます。スナフキンは(こんなやっかいごとは、モランにぜんぶくれてやる……)とぼやきます(『仲間たち』p.108)。スナフキンはボートで川をくだってきた若いヘムルに眠っている竜を預け、餌になるハエが多くいる遠くの場所で放してほしいと頼みます。
ムーミントロールがやってきて、竜のことを尋ねると、スナフキンはムーミントロールの心中をおもんぱかりながら、「へえ、来てないね」ととぼけます(『仲間たち』p.112)。ムーミントロールは、「いなくなってしまって、ちょうどよかったんだろうな」と心の定めどころを見つけます(『仲間たち』p.112)。スナフキンが「明日、つりはするかい?」と尋ね、ムーミントロールは「もちろんさ。決まってるじゃないの」と答えます(『仲間たち』p.113)。
「男同士の友情に、痺れるような感激がありました」
私は子どもの頃にこの短編が大好きでたまらず、小学6年生のときに最初から最後まで、挿絵も含めて自由帳に筆写し、夏休みの自由研究として担任の先生に提出しました。
竜を捕まえたムーミントロールがスナフキンに会いにいったとき、「ふたりは男の友情で深くむすばれて、しばらくだまってすわっていました」と叙述されます(『仲間たち』p.98)。その男同士の友情に、痺れるような感激がありました。孤独なニューロマイノリティとして、そのような友情に飢えていたからです。
トーベにはアトスとの恋愛のあとに、あるいは恋愛中にも、アトスに対し同性間の友情のようなものを感じる瞬間があったのでしょうね。ニューロマイノリティの人々にセクシャルマイノリティの性質が目立つことをすでに述べましたが、いわゆる「ノンバイナリー」(男女どちらでもない、あるいはどちらでもあるなどの性意識)を自認するニューロマイノリティはとても多いのです。
トーベにもそのような感覚があって、これまでにも述べたようにムーミントロールという男の子のキャラクターにじぶんを仮託していたのではないでしょうか。
ところで、映画の『TOVE/トーベ』には、トーベがヴィヴィカと初めて性行為をしたあと、アトスに「息をのむほど華麗な竜が舞い降りたようだったわ」と語る場面がある、ということを前に書きました。ということは、「世界でいちばん最後の竜」の竜とはヴィヴィカのことだったのではないでしょうか。
その竜がムーミントロールではなくスナフキンを好きになってしまうという物語の内容は、つまるところヴィヴィカとアトスというトーベのふたりの恋人が、トーベ自身を差しおいて惹かれあうようになったらどうしようか、とトーベは不安に思ったことがあって、あるいは睡眠中にそのような悪夢を見たことなどがあって、それがこの短編に結実したということではないかな、という気がします。
おそらく本作は、一般的な読み方をすれば、スナフキンがおとなびた分別によって、親友ムーミンの悲しい気持ちをいたわり、彼を傷つけないように巧みに三角関係を解消した話ということになるでしょうが、私の推理があたっているとするならば、この短編もまた何重もの分身現象を示している「自閉芸術のきわみ」ということになります。
文=横道 誠
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