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ケアや“ご自愛”的な視点ではなく「見ろー!」って気持ちで書く。くどうれいん流、自分のための日記の書き方

CREA WEB / 2024年11月9日 11時0分

くどうれいんさん初の日記本『日記の練習』が発売から1か月あまりで早くも4刷。確実に来ている昨今の日記ブームとは関係なく、くどうさんは学生時代から日記と向き合い続けていたそう。何をどこまで書くのか、という日記の書き方のお話にとどまらず、「粋な文章とは?」というところまで話題は広がります。

わたしが何色で青ざめていたのか分かるように書く


くどうれいんさん。

――新刊『日記の練習』は、タイトルの通り日記を“練習”してから、“本番”を書くという体裁です。“本番”を新たに書くことによる気づきはありましたか。

 わたしは案外短い文章が好きなんだなという気づきはありました。一日機嫌よく過ごせた日は文章が短くて、なんだかなぁという日はめちゃくちゃ長かったりして。自分の身に起きたことを整理したいという気持ちが長く書かせるのかもしれません。書くことで適切な距離がとれて冷静に見つめなおせるのかな。

――自分の気持ちを書き残すというのは、セルフケア的な視点もあるのでしょうか。

 ケアとか“ご自愛”的な視点で書いているのではなく「こんな辛かったんだぞ。見ろー!」って気持ちです。悲劇だぞって思いたいのかもしれない。でも読み返した時にまた辛い気持ちにはなりたくないから、わたしが何色で青ざめていたのか分かるようにだけ書いています。たまに書き殴る作業が発生することもあるけれど、そのまま掲載はせず、最後の一文だけ残すことも。

わたしの日記が一番だぞ!


くどうれいんさん。

――この本を出版してまわりからはどんな反応がありましたか。

 わたしの母くらいの年代の方が意外にも多く読んでくださっているみたいで嬉しいです。読者の方から「自分が読もうと思って買ったのに、先に母が読んでいて『これ面白いよ』っておすすめされました」なんてエピソードも教えてもらいました。

 あとは日記を共有してもらうことも増えましたね。Instagramの日記の投稿にタグ付けされることも。わたしの本を読んで「日記ってこういうのでいいんだ」と思ってもらえたのかもしれません。日記のハードルは下げられたのかな。

――日記を共有されるとどんな感情が芽生えるものですか? 嬉しい?

 わたしの本や文章に触発されて日記を書いてくれる人がいるというのはとても嬉しいです。嬉しい気持ちがベースにありつつ「わたしの日記が一番だぞ!」と感じることもあります。

――前書きでは、「生きている限り日記に挫折した人生は続いている。」となかなか厳しいことを書いている一方で「『日記を書きたいと思うきもちを持ち続けている』それだけでもう、ほとんどあなたの日記は上出来だ。」とやさしい言葉をかけてもいます。この緩急の付け方が絶妙だと感じたのですが、これはくどうさんの普段のスタンスに近いものなのでしょうか。

 これは一人の読者に向けてツンデレみたいな二面性の態度をとっているわけではなく、「日記を書いているなんて偉いね」みたいに言われると「挫折したあなたも挫折した人生が続いているんだよ」と言いたくなるし、書いているのに自信が持てずにいるような人に対しては「書きたいって思っているだけで上出来じゃないですか」って声をかけたくなる。それぞれのタイプに対して、異なる声がけをしたいことのあらわれですね、あの前書きは。

過剰なキメ顔になっていないか自問自答


くどうれいんさん。

――「おもしろいから書くのではない、書いているからどんどんおもしろいことが増えるのだ」と書いていらっしゃいます。書くから面白いことが増えるとはどういうことでしょうか。

 書こうと思いついた時にすぐにメモできる状態で暮らすのと、「よし書くぞ」と気合いを入れて書くスタンスで暮らすのでは、前者の方が些細なことでも面白がれるような気がして。書くことに対しては腰が重くない方がいいと思っています。感動とか大きく心が動くことにしか書く手が動かないようにはなりたくない。普段の暮らしの中で見つけたことを面白いって感じられるほうがちょっと得をした気持ちになれませんか?

 ただ、その一方である程度面白いことを見つけようと躍起になる時期を経ないと、自然に書けるようにはならないのかもしれない。積み重ねることも必要です。

――くどうさんにも躍起になっていた時期はありましたか?

 もちろん! めちゃくちゃありました! 特に学生時代は、友達と話していて印象的なフレーズが出てくると「ゲット!」って思ってしまいました。


くどうれいんさん。

 ただ当時から、ドラマチックに書くことよりも、着眼点でオリジナリティを出したいとは思っていて。喧嘩したとか、家族が亡くなってしまったとかは自分より上手に書ける人がたくさんいますし。

 文章に対して粋でいたいのかもしれないです。このごろはもう少し腕を伸ばせばパンチが届くとしても、当てずに倒す方がかっこいいと思ってます。『わたしを空腹にしないほうがいい』(2016年刊行の「食べること」にまつわる文章をまとめた書店「BOOKNERD」発行のリトルプレス)は、本を出すなんてこれが最初で最後だと思って書いたので、腕をめいっぱい伸ばしてパンチを当てにいっちゃってるから、文章の「決め」が強い。今読み返すと「うお、頑張ってるね~」って感じます。

――たくさん書き連ねても最後の一文だけ残す、ということをするとおっしゃっていましたが、それは粋でいるためのものでもありますか?

 そうですね。どこからが書きすぎで、どこまでがちょうどいいのか今も模索しています。その時の気分によって左右されるけれど、過剰なキメ顔になっていないかは自問自答していますね。

日記を書くのは朝がいい


くどうれいんさん。

――一日の中で日記を書くタイミングは決めていますか?

 この連載を続けていた時期は、朝、仕事を始める前に書いていました。

――一晩寝かせるんですね。

 寝る前に書いちゃうと、どんな眠りだったか書けないから。その日が完全に終わってから振り返らないと、文章に手を入れることが増えてしまう。翌日の朝がちょうどいいタイミングでしたね。

 9時から始業するって決めているので、その前にお化粧をして、8時半から30分くらいかけて書くのがルーティンでした。なんか調子出ない日や機嫌が悪い日ってすっぴんなことが多くって。なので、最低でも眉毛だけは描くようにしています。疲れていて、かつすっぴんのときに鏡を見ると余計にまいっちゃう時ありませんか? いつ落ち込んでもいいようにお化粧をしている感覚です。

 また、9時に仕事を始めると決めておくと、9時から動いてこれしかできないんだから、もっと遅れてたらもっと大変だったと思えるので心が楽になるんです。

今は書けないから未来の自分に託す


くどうれいんさん。

――「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」など、日にちを特定できるキーワードはたまに出てきますが、時事的なワードが出てくる回数は少ないように感じました。

 個人的な時事ネタは書いているつもりです。書かない=興味がないというわけではない。日記って未来の自分に読ませるために書いているところもあるので、ゴシップなどについては書きませんが、好きなお店が閉店してしまうとか個人的な大ニュースは書き残しています。なので時事が入っていないと言われるのは意外ですね。自分の暮らしている街のことは書いているので、学級新聞に似ているところもあるかもしれません。

――「この日のことを何度も思い返すだろう」という文章が何度も出てきます。この文章を書くときの心の動きを知りたいです。

 物事が発生したときにはもう「このことは日記に書こう」とは決めていて、でもちょっと頭の中で整理したいときにこの表現を使っている気がします。自分の中で消化しきれていなかったり、抱えきれていなかったりはするけれど、とにかく日記には書くぞという気持ち。さっきの話とも繋がりますが、書いてないのは何もなかったからではなくて、この段階ではまだ書けないという宣言みたいなもの。未来のわたしが書けるような状態であればお願いしますという感覚です。未来の自分に託しているのかもしれません。

――そうだったんですね。書くと特定されちゃうとか、書いてたまるかっていう気持ちのあらわれかと思ってました。「今は書けないから未来の自分に託す」という意味だったとは。

選んでも選ばなくてもわたしの人生は変化し続ける


くどうれいんさん。

――日記にはご両親のエピソードも多く登場しますね。

 わたしは母親にルックスも行動もよく似ていて、母親といるとそれこそ未来の自分を見ているみたいなんです。短所も似ているので、ずっと一緒に過ごしているとうんざりすることもあるんですけどね(笑)。母に「んもう!」って思うのと全く同じようなことを夫に注意されたりするので笑えます。

――ご両親にくどうさんご自身の結婚生活を重ねることはありますか? 「将来、わたしたちもこうなるのかな」と思いを馳せるとか。

 ないですないです。家族ではありますが違う人間なので。似ているなあと重ねるのはわたしと母だけです。

――入籍前日の日記に「肩書きや名前がどうなろうと、わたしはいつでもわたしのしたいことをしていい。」とあります。これはくどうさんの決意表明のようなものなのかなと感じたのですが、どのようなお気持ちで書いたか教えていただけますか。

 あまり意気込まずに過ごしていたので、「あっやばい! 今日が最後の日じゃん」ってワタワタしながらも軽やかな気持ちで書いたことは確かです。決意表明なんて大げさなものではないんです。

 将来離婚したとしても、ずっと独身でいる人生とは異なるので、結婚していない自分でいるのはこの日が最後。でも、制度的には難しいけれど結婚と独身を両方続けることができたらいいなとは考えていて。結婚するからといって独身の自分が死ぬわけではないって書きたかったんだと思います。「わたしは結婚するけれども、独身でもあるんだぞ」って。

 同じ日々の繰り返しでも、ライフステージが変わったり、年を重ねたりすると、見え方や物事の捉え方が変わってきます。独身から結婚し、次は妊娠出産をするかしないかという岐路があるわけですが、「選んでも選ばなくてもわたしの人生は変化し続ける」と念頭に置いたうえで悩みたいですね。結婚したわたしがえらいわけじゃない。違う未来で独身を続けていたわたしのことも尊敬するように、妊娠出産についても選択肢のすべての先にいる自分と肩を組みながら年を重ねたいと思っています。

 学生時代のように落雷に打たれたように何かに衝撃を受けたり、熱に浮かされたように書いたりすることは減ってしまうかもしれないけれど、いつまでも多感であるために努力していこうと思っています。多感でい続けるのも筋肉をつけるのと同じように、トレーニングと継続が必要だと感じているので。

くどうれいん

1994年生まれ。岩手県盛岡市在住。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』『うたうおばけ』『虎のたましい人魚の涙』『桃を煮るひと』『コーヒーにミルクを入れるような愛』、歌集『水中で口笛』、小説『氷柱の声』、創作童話『プンスカジャム』、絵本『あんまりすてきだったから』など。


日記の練習

定価 1,870円(税込)
NHK出版
この書籍を購入する(Amazonへリンク)

文=高田真莉絵
撮影=佐藤 亘

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