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「コーヒーとパフェを食べたいな」喫茶店好きの松本隆が30分並んだ“鎌倉パフェ”の味

CREA WEB / 2024年11月17日 11時0分

ぼくは喫茶店が好き。いわゆる昔ながらの純喫茶。行きつけはいくつかあって、一つは、四条河原町の「フランソア喫茶店」。ノスタルジックな昭和の匂いがするのがぼくの好みで、行くとウィンナ・コーヒーをいつも注文する。三条寺町の「スマート珈琲店」は昔ながらのドッシリとしたプリンが名物で、これが異常においしい。三条河原町の交差点にある「喫茶葦島」は自家焙煎コーヒーとチーズケーキが美味だ。東京ではチェーン店に駆逐され、こうした純喫茶は姿を消してしまった。
――『風待茶房 松本隆対談集 1971-2004』より抜粋

「カフェ ヴィヴモン ディモンシュ」は、松本さんのお気に入りの喫茶店。鎌倉駅のほど近く、小町通りを一本入ったところにある。マスターの堀内隆志さん自らが焙煎するこだわりのコーヒーが評判で、1994年のオープン以来、客足の絶えない人気店だ。


「カフェ ヴィヴモン ディモンシュ」

 鎌倉の東端・十二所に眠る筒美京平さんのお墓参りからスタートし、青春時代の思い出を探して葉山や秋谷の海岸をめぐったこの日、「やっぱり堀内さんの顔も見とかなくちゃ」と鎌倉の中心部に戻り、小町通りへと向かった。「コーヒーとパフェを食べたいな」と松本さん。「そろそろ糖分補給の時間ですもんね」とわたし。しかしきょうは日曜日。いつにも増して店の前には行列ができている。松本さんは「店名のとおりだね。日曜日が待ち遠しい(Vivement Dimanche=ヴィヴモン ディモンシュ)人たちがたくさんいる」と最後尾に並んだ。


鎌倉の人気店「カフェ ヴィヴモン ディモンシュ」。順番を待つ松本さん。

「ディモンシュは、川勝くんが連れてきてくれたのが最初。90年代の終わり、97年くらいだったと思う。その頃ぼくは、ウェブサイトの運営を始めようと、川勝くんにサイトの編集長になってもらって中身をどうするか相談してたんだ。そして、ぼくが『風待茶房』という架空の喫茶店のマスターとなり、さまざまなお客さんを招いてトークするのをメインコンテンツにすることが決まった。すると、川勝くんが『鎌倉に素敵な喫茶店ができたんです。雰囲気を参考にしましょう』って言ったんだ」

30分ほど待ち、ようやく入店の順番がめぐってきた

「川勝くん」とは故・川勝正幸さんのこと。映画や音楽を中心とするポップカルチャーの分野で活躍していたエディター&ライター。松本さんとは90年代半ばに雑誌『BRUTUS』の取材で知り合って意気投合。それからは、松本さんの「知恵袋」として、公私にわたって親しく付き合うようになった。ちなみにわたしは、そんな川勝さんの唯一の部下。ブラブラしていたところを川勝さんに拾われたのが96年ぐらいのことだった。松本さんと初めて会ったのもその頃。「うわ、聖子ちゃんの松本隆! ホンモノだ!」とドキドキしたのをよく覚えている。

 30分ほど待ち、ようやく入店の順番がめぐってきた。「どうぞお入りください」と店内から出てきたのはマスター堀内さん。「あれ、松本さんじゃないですか!」。「ご無沙汰。今日はこの辺をぶらぶらしてたから、堀内さんにも会っておこうと思ってさ」。「うれしいです。ぼく、明日が誕生日なので、いい誕生日プレゼントになります」。「そうなんだ。おめでとう。じゃあ、ぼくは、名物の『パフェ ディモンシュ』をいただこう。あと、コーヒーも」。


パフェ ディモンシュ


自家焙煎のコーヒーをドリップしてつくるゼリーやアイスをふんだんに使った「パフェ ディモンシュ」。美味。

 老若男女、幅広い年代のお客さんで賑わう店内。カウンターのそばには、オープン30周年記念のTシャツが飾られている。

「そうか、30年経つんだ。あっという間だね。……そういえばさ、昔はchappie(チャッピー)がディモンシュの看板娘として働いていたことがあったよね」

 chappieとは京都出身のデザインチームgroovisions(グルーヴィジョンズ)が生みだした人型キャラクター。「ディモンシュで働いていたchappie」とは、それを立体化した実寸大のマネキンドールのこと。髪型と洋服を着せ替えることで男の子にも女の子にも見えるという、当初は現代アート作品として発表されたもので、そのコンセプトを面白がった川勝さんが、雑誌などで取りあげるうちに90年代後半のポップカルチャーアイコンとなり、99年には歌手としてCDデビューも果たした。

 chappieを気に入った松本さんは、3枚目のシングル「水中メガネ/七夕の夜、君に逢いたい」で詞を書いた。ちなみに、「水中メガネ」は草野正宗作曲、「七夕の夜、君に逢いたい」は細野晴臣作曲(編曲はTIN PAN ALLEY!)。そういえば、chappieの詞も舞台は湘南。やはり、松本さんが書く恋の歌には欠かせない場所のようだ。


マスターの堀内さんと談笑。

水中メガネで記憶へ潜ろう
蒼くて涼しい水槽の部屋
あなたの視線に飽きられちゃったね
去年は裸で泳いでたのに
――「水中メガネ」

綺麗だね あれが江ノ島
浮かんでる円盤みたい
帰りには手をつなごうか
海沿いの路面電車で
――「七夕の夜、君に逢いたい」

インターネット前夜の90年代からクロスオーバーしていた

 80年代、筒美京平さんらとともに歌謡界でヒットを飛ばし続け「中身がスッカラカンになっちゃった」松本さんは、90年代に入ると、日本の古典芸能や西洋のクラシック音楽の研究など自身の趣味に没頭する休養期間に入った。そして、再び作詞活動を開始すると、いきなりヒットチャート1位を獲得する。97年、KinKi Kidsの「硝子の少年」だ。興味深いのは、メジャーフィールドを賑わせつつ、新しい世代とも積極的に関わっていたことだ。自身のウェブサイトを作り、川勝さんと交流し、chappieの曲を書き、2004年には、新しい才能を発掘するためのインディーズレーベル「風待レコード」を立ち上げ、キャプテンストライダムというバンドのデビューを後押しする。

 いまの時代、あらゆる分野をクロスオーバーしながら活躍するのは珍しいことではない。でも、松本さんは、インターネット前夜の90年代からそうだった。いや、もっといえば、インターネットの影も形もなかったはっぴいえんどの頃からそうだった。70年代にロックと文学を融合させ、80年代になると歌謡界にその風を吹き込んだ。ひとつの場所に安住せず、いろんなところへ足を延ばすことで、世界を繋ぎ、カルチャーをつくり、方々に「風街」を広げている。


マスターの堀内さんと

「さて。そろそろ夕飯の時間だよね。この近所に行きつけの天ぷら屋さんがあるんだ。小津安二郎も常連だったお店。そこの天丼『小津丼』が美味いんだ」

 ディモンシュでパフェを堪能した松本さんが言った。「え、また食べるんですか?」とビックリして時計を見ると、午後6時。辺りはすっかり暗くなっている。「夕飯、お腹に入りますかね?」と聞くと、「うん。甘いものは別腹に入ってるから」と松本さんは笑った。



小町通りの「天ぷら ひろみ」で小津安二郎が愛した天丼「小津丼」を食す。

松本隆(まつもと・たかし)

1970年にロックバンド「はっぴいえんど」のドラマー兼作詞家としてデビュー。解散後は専業作詞家に。手がけた作品は2,000曲以上にもおよぶ。

文=辛島いづみ
撮影=平松市聖

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