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清水尋也×高杉真宙主演作で念願の監督デビューを果たす助監督出身・岩屋拓郎

CREA WEB / 2024年11月15日 11時0分


岩屋拓郎監督。

 映画『オアシス』で監督デビューを果たす岩屋拓郎。数々の監督から愛される助監督として知られる彼が、清水尋也との友情から実現した本作の製作について語ってくれました。


自動車会社から転職


岩屋拓郎監督。

――幼い頃の夢は?

 映画を作る人になるか、クルマを作る人になりたかったです。映画に興味をもったのは、物心ついたときから、おじいちゃんに映画館によく連れていかれた影響ですね。

 でも、まだ十歳ぐらいなのに『ポケモン』や『とっとこハム太郎』といった子ども向けじゃなくて、『助太刀屋助六』や『隠し剣 鬼の爪』といった日本の時代劇や大人向けの映画しか観させてもらえない。あとは『トリプルX』や『バッドボーイズ2バッド』といったハリウッドのド派手アクション。クルマ作りもおじいちゃんが買った雑誌をよく見ていた影響からです。

――そこから、映画監督を目指すことになったきっかけは?

 映画の作り方がぜんぜん分からなかったこともあり、工業高校を卒業した後に、三菱自動車に入社して、岡崎にある工場で働いていました。そのうちに「今度は映画をやりたい!」と気持ちが悶々と出てきて、『チェイサー』『哀しき獣』のナ・ホンジン監督の映画を観たときの衝撃に背中を押されました。

 最初は東京の映画学校に行こうと思っていたのですが、そのために貯めていたお金で、「人生経験を積んだ方が面白い」という発想になり、3~4ヶ月間インドでバックパッカーをやっていました。その後、いろいろあって、23歳のときに東京に出てきました。

――それまで未経験のなか、最初に現場スタッフとして就いた作品は?

 いろんな会社に「雇ってください」と連絡した中で、製作会社ジャンゴフィルムのプロデューサー、深津さんだけが話を聞いてくれたんです。それで、ドラマ「東京ヴァンパイアホテル」の制作進行に入れてもらえることになりました。

 この後に、三池崇史監督の『ラプラスの魔女』の助監督見習いとして入れてもらい、そこからいろんな監督の助監督に就くことになりました。

先に主演キャストに依頼し、「映画企画公募」に応募


岩屋拓郎監督。

――その間、自身の監督デビュー作『オアシス』のようなオリジナル脚本を手掛けていたのですが?

 それが脚本といえるものか分かりませんが、三菱自動車に勤務していたときからアイデアをノートに書き溜めていました。それで映画業界に入って、3年ぐらい経ってからは、僕を拾ってくれた深津さんに脚本を読んでもらったり、アドバイスをもらって、公募やコンクールにも出していました。

 そんななかで、好きだったタランティーノ監督の初期作の影響を受けて、「こんな夜明けじゃ青春は暮れない」という作品の脚本が生まれました。これが『オアシス』の原型となりました。

――そして、製作会社GLASGOW15の「映画企画公募」に応募した「こんな夜明けじゃ青春は暮れない」は新人賞を受賞。この受賞より以前に、『ホットギミック ガールミーツボーイ』の現場で親しくなった清水尋也さんに出演交渉していたそうですね。

 個人的に、助監督と役者の距離感がすごく近い現場に恵まれていたと思うんです。『ホットギミック』のときはサードの助監督だったのですが、現場の雰囲気を読むムードメイカーになりつつ、モノ作りの仲間の一人として接していくうちに、尋也と仲良くなりました。

 それで撮影後にご飯を食べたり、ダーツしたりするうちに、「もし自分が監督デビューできるなら、尋也に主演してもらいたい」と思い、ダメ元で連絡して、脚本を読んでもらいました。「そんなこと言ってもらえて光栄だよ。やるよ」と、尋也が言ってくれたときは嬉しかったのですが、ここからが茨の道でした。


©2024『オアシス』製作委員会

――そこから、清水さん自身が旧友の高杉真宙さんを相手役として口説き、「映画企画公募」受賞、企画・脚本開発を経て、『オアシス』が完成しました。

 先に尋也と高杉くんだけ出演依頼をし、そこからいろんな幸運とタイミングが重なり、5、6年越しの企画がなんとか完成しました。

 地元で過ごしていたときの悶々とした思いだったり、助監督として学んだときの技術や人脈、今の僕にとっての集大成というか、僕ができる全てをこの映画に詰め込みました。だからこそ、地元の名古屋ロケには、かなりこだわりました。

好きな人と好きなものを作ることができるカッコいい人間に


©2024『オアシス』製作委員会

――そんななか、転機となった出来事は?

『オアシス』でいうと、尋也との出会いやGLASGOW15のプロデューサーとの出会い、あとカメラマンを池田直矢さんが引き受けてくれたことなどがありますが、僕の映画人生みたいな括りでいうと、松尾崇というチーフ助監督に出会えたことです。

 いちばん最初に松尾さんと同じ現場に就いたのは、ドラマ「ミス・シャーロック」だったのですが、そこから現場の空気を含めた映画作りや魂について学ばせてもらいました。

――将来の希望や展望を教えてください。

 またオリジナル脚本で映画を撮りたいです。映画だけじゃなく、モノを作り続けることは、本当に難しいと思うのですが、それができる人でありたいです。あと、自分の好きなことに妥協しないとか、好きな人と好きなものを作ることができるカッコいい人間になるのも目標です。


岩屋拓郎(いわや・たくろう)

1992年6月27日生まれ。愛知県・名古屋市出身。18年公開の『ラプラスの魔女』以来、助監督として、松居大悟、三宅唱、山戸結希、岸善幸などの監督作に参加して、キャリアを重ねる。そして、長年温めてきた自ら手掛けるオリジナルストーリーとなる『オアシス』が、映画企画コンペにて新人賞を受賞し、念願の製作が決定。劇場作品の監督デビューを果たす。

文=くれい響
写真=平松市聖

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