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気高く居るにも体力が必要です。(後篇)

CREA WEB / 2025年1月7日 17時0分


「私は幽霊というものをほとんど見たことがない」――なのに、毎晩のように襲いかかってくる原因不明の金縛り。調べるうちに、以前から憧れていた「気高さ」や「品」をキープするには、不断の努力によって勝ち得た体力が必要なのだと気づくことに。

 母は姿勢が良い。歩くときはもちろん、食事をするときでさえ背筋をまっすぐに伸ばしている。私が低いテーブルの前で腰を丸めて食事をしていると、母は私の背中をピシャリと叩いた。母がまるで規則的に上下する水飲み鳥のように口に食事を運ぶようすは、家族の誰から見てもいささか不自然に見えたものの、私はいつのまにか、これが美しい女の美しい仕草なのだと考えるようになった。そんな母のもとで育ったおかげか、私は学校でよく姿勢の良さを褒められる子どもだった。通信簿のコメント欄には決まって「姿勢が良く、みんなのお手本になっています」と書かれていて、そのほかに褒めるべきところは特にないのかと不安にもなったが、とにかく評価されているのなら悪い気はしなかった。私はますます背筋をしゃんと伸ばし、歩くときは少しばかり顎を上げて兵隊のように前進した。

 あるとき叔母の部屋で深夜アニメの録画を見せてもらった。和紙を切り貼りしたような美しいアニメーションのなかには、しなやかに佇む美しい人が立っていた。奇抜な着物に白塗りの美しい顔。ゆったりと動く指先やまなざしは、すべて私の理想通りのように見えた。なんども本編を見返して、その一挙手一投足を目に焼き付け、繰り返し真似をした。そのうち意識せずともそのようにふるまえるようになって、まだ酸いも甘いも解っていないうちから、私はそうやってハリボテのように繕った「品のようなもの」を見せびらかすことを趣味にした。初めてヒールの高い靴を履いて街を歩いたあの日、ホームドアのガラスに自分の細い足首と、優雅に揺れるロングスカートが映ったときのあのときめきを思い出す。

私はたばこの似合う女になりたかったのに

 どんなときでもこうやって美しい姿で歩いていこうと決めたというのに、今の私はどうだろうか。どこへ行くにもぺたんこの靴を履いて、床に積みあがったゆるりとしたシルエットのスウェットについ手が伸びる。背骨を支える筋肉は衰えてしまって、髪を洗うのでさえ後ろの壁にもたれかからないとままならない。なんとか起き上がって前かがみになった腹に醜い段が浮かび上がる。自信ありげに張っていた胸は、いつのまにか情けなく丸まってしまっていた。長い時間立っているのすら気だるくて、早く用事を済ませようと動きは雑になる。投げやりに動かした手に当たって物がバタバタと倒れ、どうしようもなくなって床にへたりこんだ。私は思い知った。私が誇りにしていた気高い佇まいは、若さがなせる体力の技であったことを。ここから先、あれを保つためには努力し続けなければならないということを。

 アニメや漫画に出てくる不滅の美女たちのことを考える。いくら甘いものを食べても肥え太ることはなく、常にたばこをふかしていても肌には一点の曇りもなく、決して老いることのない彼女たち。私はずっとあれに憧れていて、もしかすると自分もああなれるのではないかと夢を見ていた。動じない美しさと、揺るがない力強さを持ってこその魔女の再現。周りの誰もがみるみる年老いていっても、もしや私だけは、その急流から逃れられるかもしれないと、それらしき努力もせずに私はここまでやってきてしまったのだった。

 そういえば、一緒に暮らしていたころの母は、毎日欠かさず狭い床でトレーニングのようなことをやっていた。私は「毎日休まずよく続けられるものだ」という感心と「きっと私はあんなことしなくても大丈夫だ」という根拠のない優越感が入り混じった気持ちでそれを眺めていたが、もしかすると母も今の私と同じように、この真実に気づく瞬間があったのかもしれない。気高く居るにも体力が必要。自分が納得できるように枯れていくにも、最後まで花びらを落とさないまま色あせる力がなくてはならないのだ。そうでなければ、少しずつ萎れることもかなわず、椿の花のようにボトリと首を落とすことになる。

 気がついたからには、なにかしなければならないのだが、今のところ運動の楽しさに目覚める気配はない。相変わらず、上澄みの形を保つための化粧水や美容液だけが増えていく。どこまでごまかせるだろうか。とにかく、まずは時間をつくって病院に行かなくてはならない。きっとたばこもやめるように言われるに違いない。私はたばこの似合う女になりたかったのに。美しさと魅力的な不健康さ、どちらも得ることは無理らしい。

伊藤亜和(いとう・あわ)

文筆家・モデル。1996年、神奈川県生まれ。noteに掲載した「パパと私」がXでジェーン・スーさんや糸井重里さんらに拡散され、瞬く間に注目を集める存在に。デビュー作『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)は、多くの著名人からも高く評価された。最新刊は『アワヨンベは大丈夫』(晶文社)。

文=伊藤亜和
イラスト=丹野杏香

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