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〈祝ゴールデングローブ賞受賞〉未経験なのになぜか「演技ができてしまった」…浅野忠信(51)が語る、子役デビューからハリウッド俳優への“軌跡”

CREA WEB / 2025年1月17日 17時0分

 ドラマ「SHOGUN 将軍」でゴールデングローブ賞助演男優賞(テレビドラマ部門)を、日本人として初めて受賞した浅野忠信さん(51)。

 謎だったルーツ、なぜハリウッドに行ったのか、なぜ音楽をやめたのか、結婚観……2022年に『24時間テレビ』スペシャルドラマ『無言館』に主演した浅野さんと、無言館共同館主である内田也哉子さんの対談を『週刊文春WOMAN2024夏号』より転載する。(前後編の後編/はじめから読む)


初めての演技だったのに、“できてしまった”10代の頃


浅野忠信さん、内田也哉子さん。

内田 浅野さんは『3年B組金八先生』(第3シリーズ、TBS)で14歳でデビューして、早いうちに映画に軸を移されましたね。

浅野 『金八先生』はタレントのマネージャーをしていた父親の勧めでオーディションを受けました。初めてなのになぜか演技ができてしまったんですね。その後もいろいろなオーディションを受けるのですが、同世代の子どもたちが待合室で久しぶりに会って「元気?」とか自然に話していて、オーディションに臨むと「元気だったかい。会いたかったよ」と“いかにも”な演技が始まる。僕はえ? さっきのお前はどこへ行った? と思ってしまうんです。

 “会いたかった”気持ちが表現されるシーンなのに、演技が邪魔しているからぜんぜんグッとこない。どうやったら“会いたかった”に見えるんだろう。そればかり考えていました。

内田 リアリティの問題ですね。

浅野 そうなんです。自分自身のリアリティに向き合わなければいけないと、これは今でも考えます。

 18歳ぐらいのときに、その“噓くささ”が嫌で、もう俳優はやりたくないと言って父と大喧嘩になったことがあります。そのとき、「映画の現場だったら大丈夫な気がする」と言ってしまった。なぜそんなことを言ったのかいまだにわかりません。ただ、映画の現場は裏方さんのちょっとまともじゃないおじさんが話しかけてきたりする。そのほうが楽だったんです。

 自分のリアリティというものに向き合おうとするから、僕は要領がよくない。同じ頃、テレビドラマで共演させていただいた緒方拳さんが父に言ってくれたんです。「こいつはそんなにすぐにできるタイプじゃねえ。時間がかかるんだから、お前もうちょっと時間かけろ」と。

内田 さすが緒方さんですね。よく見ていらっしゃる。

浅野 父も緒方さんに言われればなるほどと思う。ちょうど90年代のインディーズ映画のブームがきたので、それに乗っかってしまいました。

内田 是枝裕和さん、岩井俊二さん、青山真治さんなど当時の若手の監督さんに浅野さんは引っ張りだこでしたね。

映画界で活躍していたが…20代後半で感じていた“葛藤”

浅野 でも葛藤はあったんですよ。だんだん同じようなことをやっているような気もしてきた。そんなとき相米慎二監督に出会い、「浅野君はバカなんだから、台本を何回も読みなさい」と言われました。

内田 『風花』の撮影のときですか。

浅野 はい。だから20代後半です。どういう意味だろうと思って、本当に台本を何回も読むようにしたんですね。すると、10回読んでいると同じようなフィルターで読んでいるから飽きてくる。でも11回目からは違う見方をしたくなる。12回目は別の役の立場から、13回目はヒロインになったつもりで読んでいた。そうすると自分の役がよく見えるようになるんです。だから今でも台本を読んでいると、1人で何役もやるので、「おい、何やってたんだよ」「お前こそ何やってたんだよ」……と、まるで落語のようですよ。

内田 『SHOGUN』でハリウッド俳優としてさらに確立されて。

浅野 いや、まだまだですよ。


浅野忠信さん、内田也哉子さん。

内田 そんな浅野さんはアーティストでいらっしゃるからこそ無言館でお目にかかりたいと思ったんです。昨年夏、ロンドンのジャパン・ハウスにあるギャラリーにふらっと入ったら、浅野さんの作品が展示されていて、魅入ってしまいました。

浅野 まさか見ていただいたとは。うれしいなあ。

内田 浅野さんにとって「絵を描く」とは?

浅野 2013年に映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』の撮影で中国に長期滞在したとき、ストレスで立ち止まっている自分を感じたんです。持っていた黒のボールペンで目の前にある台本やホテルのメモ帳、薬袋などに絵を描きまくっていたら、すごく楽になりました。帰国後も描き続けたら3634枚にもなって、ワタリウム美術館でドローイングの個展をやっていただきました。

内田 描きまくる浅野さんは、出征の朝、あと10分、あと5分描かせてくれとギリギリまで筆を握っていた画学生を彷彿させます。

浅野 その後も立ち止まることはあったんです。コロナで仕事が止まったり、思いがけなかった困難な状況もありました。いつも絵を描くことで救われました。

「自分がやっていることは音楽でも何でもない」痛感したきっかけ

内田 音楽もずっとやっていらっしゃいますよね。

浅野 若い頃、音楽をやることで、俳優をやらせようとする父に反抗していたんですよ。もちろんバンドは楽しいですが、でもCharaと最初の結婚をしたとき、自分のやっているのは音楽でも何でもないと気づいた。今は息子(佐藤緋美・24)が音楽をやっていますから、もう息子がやればいいやと思うんですよ(笑)。

内田 確かに、緋美さんの音楽は、唯一無二ですよね。

浅野 緋美君、いつの間にそんなにできるようになっちゃったの? ちょっとお父さんに教えて、みたいな(笑)。

内田 浅野さんの創造の源は何だと思いますか。


内田也哉子さん。

浅野 答えになっていないかもしれませんが、アメリカ人の祖父の存在は大きいと思います。会ったこともない人の影響で髪が茶色いとか、目が茶色いとか、目立ちたくなくても目立つ。子ども心にも自分は何か常に発しているんだと思いました。それが表現するということに繫がったのだと思います。

 表現する上で気をつけているのは、台本を読むときも、どこかで見た映画の登場人物が喋っているような話し方で読んでしまうことがある。それではつまらない。

内田 自分が捉えるその人というものを独自に見つけたいんですね。

浅野 だから原作や資料を読みたくないのかもしれません。殺し屋の役なのに「みんな自由でいいんだよ」という気持ちで演じたら伝わるのだろうか。これを実験してみたところ、「あなたのお芝居を見ていると、残酷なシーンなのになぜか自由な気持ちになった」というファンレターが届きました。

内田 伝わるんですね! 浅野さんは自由であるために内面を掘り下げるストイックな努力を重ねていらっしゃるということがよくわかりました。

 浅野さんの結婚観についても伺いたいのですが、うちはディスカッションという名の喧嘩が絶えない夫婦なんですね。私は一緒に共鳴したいのに、あちらは違いを面白がりたい。お互いに自分の好みを変えたくないから、すごく難しいパートナーシップです。

 母は「相手を替えても何も変わらない。自分が変わらなければ」と言いました。でも私は、パートナーが替わると私の人生も変わるのではないかと思うのですが、これは幻想なのでしょうか。べつに離婚したいわけではないのですが。

9年間付き合った妻と、結婚を決意したワケ

浅野 最初の結婚で離婚して、アメリカで仕事しようとロサンゼルスに何カ月か滞在して、レンタカーでご飯を買いに行ったときにふと、「オレって独りで死ぬんだ」と思ったことがありました。

 だからといって再婚を急ぐわけではなかった。嫁にも話しましたが、すぐには結婚なんかできない、しなくてもいいとさえ思っていた。9年目に結婚したのは、彼女は僕がギャーーとなっても傍にいてくれたからなんです。

 嫁は僕のことをいつまでも変わらないヤツだと思っているでしょうが、でもギャーーからキャーぐらいにはなれたと思うんですが。

内田 ある心理学の専門家が言うには、パートナーシップにおいて短いスパンで多くの関係性を築くよりも、一つの密な関係性をずっと続けていったほうが深度の深い幸福度を得られるのだそうですよ。

浅野 ぜひ僕も最後にその幸福度を得てみたいですね。


浅野忠信さん。

内田 最後に戦争についてお話ししたいのですが、ガザ地区でもウクライナでも戦闘が続き、どうすれば収まるのだろうとは思っても、私はそれを自分のこととしてとらえるのは正直難しかった。無言館で否応なく戦場に駆り出された画学生が描き遺したおばあちゃん、家族、恋人を見ていると、今と変わらぬ日常があったんだなと、にわかに戦争を身近に感じました。この日常の風景を一瞬にして奪う戦争の無意味さを覚えます。

浅野 戦争が未だに大昔と同じ形で進行していることが本当にナンセンスだと思うんです。人間の争いというものはなくならないのでしょう。だからもし希望があるとすれば、戦いの形、価値観が変わることだと思います。

 ビットコインが誕生してお金の価値観が変わるわけですよね。今はバーチャルのお金を大切にしたり、さらに思いもよらなかったバーチャルの恋愛に夢中になったりする。だからバーチャルで争うことができないはずがない。バーチャルで決着がつけば、街は焼け野原にならないし、人が致命的に傷つくこともない。

内田 破壊を繰り返すあまり「そして地上に誰も居なくなった」とならないためにも、戦争がそうなったら最高です。やっぱりアーティストですね、その発想は。

ルーツに導かれるように演技を続けてきた浅野さん。
「なぜ戦争が未だに大昔と同じ形で進行しているのか」と語った彼が『SHOGUN 将軍』で演じたのは、出世のためならば手段を選ばない戦国武将だ。
戦争が絶えない世の中で、作品は世界的ヒットになっている。そして、否応なく戦場に駆り出された人々が
描き遺した日常を無言館は今日も展示する。

浅野忠信(あさの・ただのぶ)

1973年神奈川県生まれ。ドラマ『3年B組金八先生』(88)を経て、『バタアシ金魚』(90)でスクリーンデビュー。『モンゴル』(2007)が米アカデミー賞外国語映画賞ノミネート。『私の男』(14)でモスクワ国際映画祭最優秀男優賞受賞。カンヌ国際映画祭ある視点部門で『岸辺の旅』(15)が監督賞、『淵に立つ』(16)が審査員賞を受賞。ディズニープラス「スター」で配信中のドラマ『SHOGUN 将軍』が世界的なヒットになっている。

内田也哉子(うちだ・ややこ)

1976年東京都生まれ。エッセイ、翻訳、作詞、ナレーションのほか音楽ユニットsighboatでも活動。著書に『新装版ペーパームービー』『BROOCH』『9月1日 母からのバトン』『なんで家族を続けるの?』(中野信子との共著)など。Eテレ『no art, no life』では語りを担当。本誌連載をまとめた『BLANK PAGE 空っぽを満たす旅』(文藝春秋)が現在9万部のベストセラーに。

文=こみねあつこ
写真=平松市聖

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