「軽い気持ちでは臨めない」市川染五郎が出の前に「憂鬱になる」理由とは?〈浅草で魅了する“ふたりの光秀”〉
CREA WEB / 2025年1月18日 11時0分
浅草公会堂で公演中の「新春浅草歌舞伎」では第1部、第2部それそれで『絵本太功記』を上演。主人公の武智光秀をダブルキャストで演じているのは、中村橋之助さんと市川染五郎さん。インタビュー前編では第1部の光秀、浅草初出演となる染五郎さんに高麗屋代々が大切にして来た役に挑戦する思いを伺いました。
武智光秀は史実の明智光秀のことで、上演されている「尼ヶ崎閑居の場」は光秀の母・皐月の住まう庵室で起る、本能寺の変直後の物語。誰にでもわかりやすいとは言い難い古典の作品なのですが、劇場を訪れてみると舞台の行方をじっと見つめる観客の姿がありました。何が人々を惹きつけているのでしょうか?
追求したいのは祖父・松本白鸚の音楽的で演劇的な光秀
――「新春浅草歌舞伎」の出演を聞いた時に即答はできなかったと、記者会見でおっしゃっていました。まずはその真意からお聞かせください。
このところ祖父(松本白鸚)、父(松本幸四郎)と高麗屋三代で歌舞伎座の「壽 初春大歌舞伎」に出演させていただくことが恒例となっていました。祖父の年齢を考えると舞台で過ごす祖父との時間を大切にしたいという思いがあり、それで悩みました。
――舞台で同じ空気に触れることで得られるものは絶大でしょうから当然と思います。結果、浅草を選びました。今、どのような思いでしょうか?
自分はこれまで年齢の近いお兄さん方と舞台でご一緒させていただく機会があまりありませんでしたので、新たな世界で非常に貴重な体験をさせていただいています。何より、今の年齢では考えられないような大きな役に挑戦させていただくことになり、そのありがたさを毎日実感しています。
――『絵本太功記』の光秀をお祖父様から、直に教えていただける機会を得られたのも浅草で役をいただいたからこそ、でしょうし。
はい。祖父もすごく張り切って丁寧に細かく教えてくれました。こうした古典の役はそれぞれのお家や個々の俳優さんによってせりふや動きが異なる部分があって、光秀もちょっとしたところに違いがあります。また祖父自身もその時によってやり方を変えていますので、そうしたことも含めて学ぶことができました。
――高麗屋さんにとって大切な役を、わが事として臨場感を伴って識ることができたのですね。その中で染五郎さんが目指すのは?
同じお芝居の同じ役ですから人物の心は一緒だと思うのですが、祖父が演じるこうした時代物の役には独自のものがあります。せりふがとても音楽的でそこに役としての心情を乗せていく……。とても演劇的で、それを自分なりに追求してみたいと思っています。
――染五郎さんの光秀を拝見して改めて実感したのは、この作品が本能寺の変が起こる前後13日間の物語で、上演されている「尼ヶ崎閑居の場」がその1日であることです。何か意図したことはあったのでしょうか。
実際に描かれているのは1日どころか、ほんの数時間の出来事です。通し狂言の一幕に出演する時は前後の物語を考えて役を生きる感覚を大切にしたいと思っています。そしてここでの光秀は本能寺で主君を討った直後。自分の主君を殺して来たわけですから興奮冷めやらぬ状態だと思うんです。その高揚感や、自分が天下人になったという自信に溢れている感じというのを登場の時はものすごく意識しています。
――人生たった一度の、ものすごい出来事の渦中にある人物としてのドキドキ感、自分の信じた道を突き進んでいる!という思いが、染五郎さんご自身の若さと相まってなのか、とても純粋にダイレクトに胸に響きました。
ありがとうございます。登場の場面に関して言えば、祖父の光秀はどちらかというと冷静な感じで、(二世中村)吉右衛門の大叔父の場合は、せりふのトーンにしても息遣いにしても、高揚感に満ちていました。祖父が最後に光秀を勤めたのは自分が生まれる前だったので、生で観た舞台として一番印象に残っているのは大叔父の光秀です。
大叔父・中村吉右衛門の舞台で鳥肌
――吉右衛門さんの光秀には強烈な思い出があるそうですね。
歌舞伎座の2階席の一番後ろで観ていたのですが、登場の場面で大叔父が笠から顔を出した瞬間に、比喩ではなくて本当に鳥肌が立ちました。2階席の後ろまで実際に飛び出してきたような迫力でした。
――お話を聞いているだけでも、あの瞬間が甦ります。主君を討ったことで光秀は逆賊の誹りを受け、母・皐月からも妻・操からも責めさいなまれる。それをじっと動かずに受け止めている時間というのは、いろいろな意味で辛いのでしょうね。
人間としての大きさを表現するためにも動揺を見せずじっとしていなければならず、その状況を維持しながら最大の見せ場でもある“大落とし”つまり母と息子の十次郎を亡くして泣き落とすところまで気持ちを積み上げていくのがものすごく難しいです。
ただ……。毎日演じているうちに自分でもびっくりするぐらい、自然に気持ちが入って涙が出て来たことがあったんです。自分が意識していないところで湧き出た感情でした。
――演者と観客との間でその思いが共有され、響き合った時に生まれる感動、それこそが演劇の醍醐味。素敵な体験をなさいましたね。
自分が主君を殺したことから始まる物語の中心にいなければなりませんから、軽い気持ちでは臨めないというのが正直な実感です。もちろん大好きな、憧れの役ですから、それをやらせていただける嬉しさ、楽しさを感じながら勤めてはいますけれども。何というか……。
出の前はすごく憂鬱になるんです。これからまたあの重圧の中に身を置くのだと思うと気持ちが沈む。沈むんですけれど、だからこそ、久吉と対面してからの幕切れまでを積み上げていけるのかな、とも思います。
――第2部ではその真柴久吉(=豊臣秀吉)としても出演されています。
久吉は光秀と同格で相対さなければいけない役ですから、そのプレッシャーがあります。出て来ただけでパッと明るくなるような爽やかさ、すっきりした感じが必要とされ、なおかつリーダーとしての風格もなければいけない。短い出番でそれを出さなければいけないので光秀とはまた違った難しさがあります。
――2025年、貴重な体験でのスタートとなりましたね。最後に新年の抱負をお聞かせください。
目の前のことを一つひとつ、丁寧に取り組んでいくことの積み重ねで一年を過ごしたいと思います。昨年もそのつもりではいたのですが振りかえると結局は突っ走ってしまった印象で、今年もそうなるのかな、という気もしています。もちろんそういう状況であることはありがたいことなので感謝の心を忘れずに、できるだけせかせかせずにいたいと思います。
文=清水まり
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