東京(後篇)
CREA WEB / 2025年2月4日 17時0分
16歳までの人生を横浜で過ごした伊藤さんは、大学受験を機に上京。以来、自分の中の世界の基準が東京になったのは、”東京に毒されている”から? 「東京」をめぐる思いと、大学時代に出会ったある友人との思い出を綴ります。
フランス語圏文化学科。入るのは簡単だが、そう簡単には出してもらえないと噂のこの学科では、2年生までの授業でみっちりフランス語の基礎を叩きこまれる。最初のガイダンスで隣に座った女の子が突然「パン食べる?」と聞いてきた。たしかチョコクリームの入ったちぎりパンだった。彼女は大きな目に尖った細い顎をしていて、髪は栗色のハーフアップ、うちの近所ではなかなかお目にかかれない、美しい子猫のような顔立ちをしていた。仏文科は美人が多いという話は本当だったのか。仲良くなりたい一心で、とくに食べたくもないちぎりパンをありがたく分けてもらう。彼女の名前はユリ子という。大学での最初の話し相手になった私たちは、ユリ子が気になっているというサークルの新歓に参加した。このあたりは記憶があいまいで、実際は私がユリ子を誘ったというのが真実かもしれないし、もしかすると、ちぎりパンを差し出したのも私のほうかもしれない。どちらにせよ、私たちは同じサークルに所属することになった。サークルにはユリ子と私のほかにも、仏文の女子が5、6人入ったが、結局卒業まで活動した仏文生は私とユリ子だけだった。同じ学科に入学し、同じサークルに所属したものの、私とユリ子は一日中いつでもどこでも一緒というわけではなく、それどころかサークル活動中も別々に行動することがほとんどだった。最初に友人になったからといって親友になるわけでもなく、むしろ新しい環境での最初の友人とは、大抵いつのまにか微妙な距離感になっているものである。美人で明るくお嬢様気質で、他の学生ともすぐに打ち解けたユリ子に対し、私は自分も女子であるのに、女子ばかりの環境がなんとも居心地が悪く、早々にサークルの男子たちと喫煙所に落ち着いた。私はたびたびユリ子の機嫌を損ねた。話しかけられるとなんだか照れてしまって、無神経な返事をしてしまう。そのたびにユリ子は目をさんかくにして「しんじらんない」という顔をした。私はユリ子のその顔が好きだった。
いつのまにか、私の世界の基準は東京になった
東京で女子大生として過ごした4年間、女子大生としてできることはほとんどすべてやったような気がする。ガールズバーで働いたり、夜通し飲んだり、新宿の珈琲貴族で朝まで男を待ったり、社長しか来ない怪しいパーティーに参加してみたり、華やかな女子大生ではなかった私にさえ、若さを引き換えにしたいろいろな経験があった。東京には半端なところがない。汚い所は汚いし、綺麗なところは徹底的に綺麗に整えられている。いつのまにか、私の世界の基準は東京になった。東京から毎日電車で地元に戻り、その景色を注意深く見てみると、掲示板には、形を真似ただけでべつに内容は秀逸でもなんでもないApple風のキャッチコピーの張り紙が張り付いている。「駅前に、住む。」ってなんだよ、普通に「駅が近い!」って書けよ。商店街の、なんともむず痒い文章で書かれた注意書き、なんのひねりもない駅のマスコットキャラクター、チョコペンで雑にデコレーションされた地元のパン屋のパン。そういうものを見つけて、私はたまらなく不安になる。まるで、世界に置いていかれたような気になって、はやく東京に戻らなくてはと思う。卒業して6年経っても、私の世界は東京のまま。東京で働き、東京で飯を食っている。最近暮らし始めた渋谷の近くのマンションは、駅から10分ほど歩いたところの新築デザイナーズマンションである。わざわざ10分も歩いて6畳しかない1Kに住むような人間は、おそらく私含め、東京に毒されている。毎日深夜2時を過ぎたころから、どこかの部屋の情緒不安定な住人がドタドタと暴れはじめて、私だって暴れてやりたいと思うこともあるのだ。
大学を卒業したあと、ユリ子はキャビンアテンダントになって沖縄へと移住した。ユリ子ほどの美人は、きっと遊び飽きるまで東京で楽しく暮らしていくのだろうと私は思っていたのだが、彼女は東京になんの未練もないのか、あっさり沖縄へと飛んで行ってしまったのだった。私とユリ子とは、いったい何が違ったのだろう。
伊藤亜和(いとう・あわ)
文筆家・モデル。1996年、神奈川県生まれ。noteに掲載した「パパと私」がXでジェーン・スーさんや糸井重里さんらに拡散され、瞬く間に注目を集める存在に。デビュー作『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)は、多くの著名人からも高く評価された。最新刊は『アワヨンベは大丈夫』(晶文社)。
文=伊藤亜和
イラスト=丹野杏香
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