不快なのに目が離せない――異色の朝ドラ『純と愛』があぶり出す人間のさが

日刊サイゾー / 2012年12月11日 13時0分

 ほとんどの登場人物たちが目の前の現状をよしとし、それにしがみついて必死に守ろうとする。しかも、その守ろうとする現状よりも何よりも自分が大切だから、その守り方までいびつで見苦しい。そして例外なく全員が「自分のせいじゃない、他人のせいだ」と思っている。

 それは何かに似ている。そう、現実そのものだ。

 先ほど「出てくる全員がことごとく“悪”」と書いたが、それは正確ではないかもしれない。全員がごく普通の、それゆえに根深い醜さと弱さを抱えているのだ。

 社長は純や愛、そしてこのドラマのほぼ唯一の良心ともいえる桐野(吉田羊)に背中を押され、ようやくやる気になり、彼らの作り上げたホテル再建プランを持ってカイザーグループと対決する。

「この経営案で、死ぬ気で結果を出してみせます。だから、1年でも2年でもいいから私に任せてくれませんか? 私は本気です。生まれて初めて本気になったかもしれない。情けない話ですが、先代からオオサキを受け継いで何年もたつのに、いま心から思うんです。このホテルを経営したい! 優秀な部下たちと一緒に、世界一のホテルにしたい! って」

 しかしその熱弁も「討論する必要もない」と一蹴され、今まで必死にオオサキを支えてきた総支配人(志賀廣太郎)からは緊急動議が出され、社長を解任されてしまう。このドラマでの数少ない愛されキャラである社長の失脚は、今まで何もしてこなかったのに土壇場でやる気を出しても、事態が好転するほど現実は甘くないことを容赦なく痛烈に描き出した。

 ありふれた醜さと弱さを丸出しにする登場人物の右往左往は、見たくない現実を否応なくあぶり出す。だが、その不快さは、自虐的な快感と表裏一体だ。『純と愛』の目をそらしたくなるリアリティは、一方でその目を釘付けにしてしまう力を持っているのだ。
(文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)


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