「太地喜和子の影を追い続けて──?」“天下の艶福家”故・中村勘三郎さんを偲ぶ

日刊サイゾー / 2012年12月11日 11時0分

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芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!

 人気歌舞伎俳優の中村勘三郎さんが、食道がんの手術から肺炎を併発。呼吸困難に陥って、5日、急性呼吸窮迫症候群で亡くなった。享年57歳の若さだった。

 勘三郎さんは歌舞伎界に新風を吹き込んで、数々の功績を残したが、私生活では宮沢りえとの不倫をはじめ、共演女優らと浮名を流した“艶福家”としても知られている。

 筆者にとって、勘三郎さんの女性関係で忘れられないのが、1992年に舞台『唐人お吉』の公演先の静岡県伊東市の港で自動車で誤って転落事故死した女優の故・太地喜和子さんの存在だ。

 太地さんが若い頃、往年の名優の三国連太郎と燃えるような不倫をしたのは有名な話。その後、俳優の秋野大作と結婚するが、短期間で離婚。その後、共演者や、故・伊丹十三さんと不倫して、“魔性の女”といわれた。勘三郎さんは、「勘九郎」を名乗っていた19歳の頃、12歳年上の太地さんに惚れてしまい、女性週刊誌「微笑」(祥伝社/休刊)によって熱愛が発覚した。当時の「微笑」の記者は「勘九郎が太地のマンションにお忍びで入った。出てくるところを待って取材を掛けようと思ったら、気づかれたみたいで勘九郎は窓から屋根伝いで逃げ出したのをいまだに忘れませんよ」と言う。

 しかし、熱愛が発覚したものの、2人の喧嘩は絶えなかった。渋谷の居酒屋で口論になり、勘三郎さんが太地さんを突き飛ばし、太地さんは弾みでテーブルに頭を打って大出血。翌日、頭に包帯を巻いた姿で制作会見に挑んだという話は語り草になっている。

 筆者は、太地さんが父親代わりと慕っていた銀座8丁目の小さなバーのマスターと親しくなって、喧嘩の理由は「太地の男性関係に、勘三郎さんが嫉妬したからだ」ということを聞いた。それだけ勘三郎さんは太地さんにゾッコンだったのだ。しかし、勘三郎さんの歌舞伎界での将来を心配した太地さんは、自ら身を引いた。これを勘三郎さんは、自分は太地に弄ばれて捨てられたと思ったようだ。92年に太地さんが転落事故死したことを知った勘三郎さんは、号泣したという。

 2年後、勘三郎さんは貴花田と婚約解消した宮沢りえの相談に乗ったことがキッカケで、彼女と不倫関係に陥った。不倫を清算するために、りえが京都のホテルで自殺未遂を図ったのは芸能史に残っている。2005年に現在の「勘三郎」を襲名した後も、女性関係のウワサは絶えず、女性週刊誌にターゲットにされた。

今にして思えば、勘三郎さんが“艶福家”になったのは、太地さんとの叶わぬ恋がトラウマになったような気がしてならない。太地さんを失った彼は、太地さん以上の女性を求め続けたのではないか。

 万人を愛し、愛された勘三郎さんの早すぎる死にあらためて合掌!
(文=本多圭)

日刊サイゾー

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