現在進行形で動き続ける、奇術的トークステーション『久米宏 ラジオなんですけど』

日刊サイゾー / 2013年11月15日 16時0分

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しゃべりと笑いと音楽があふれる“少数派”メディアの魅力を再発掘! ラジオ好きライターが贈る、必聴ラジオコラム。

 『報道ステーション』(テレビ朝日系)を見ているといまだに、「このニュースについて、久米宏なら何を言うだろう」と考える。それは古舘伊知郎の切れ味の悪さに対する不満であると同時に、久米の鋭さが視聴者に遺した確かな副作用でもある。だがその副作用には、絶好の特効薬がある。『久米宏 ラジオなんですけど』(TBSラジオ 毎週土曜13:00~14:55)というラジオ番組である。

 近年はテレビにほとんど出なくなった久米の、現在唯一のレギュラー番組である。ラジオというメディアは基本的に、しゃべり手のポテンシャルを引き出すという機能を持つ。中には大御所が「昔取った杵柄」をただ振り回すだけのラジオ番組も存在するが、この番組における久米は、むしろ新鮮味にあふれている。

 この番組において久米の面白さを最も高純度で引き出しているのは、12分間にわたるオープニングトークである。彼の話術の最大の特徴は、「話題が動き続ける」ことにある。毎度12分の長尺の中で、政治・気象・宇宙・スポーツ・カルチャー等々、あらゆるジャンルを自在に横断しつつ複数の話題が入れ替わり立ち替わり登場するのだが、その展開は、ひとつの話が別の話題に「変わる」ことの連続というよりは、やはり話題が「動き続ける」という方が感触的に正しい。完全に転換するわけでも、完全につながっているわけでもない。その絶妙な按配がスリルを生む。

 たとえば9月の放送では、まもなく日本シリーズが行われるというスポーツの話題から、「にっぽんシリーズ」か「にほんシリーズ」かという発音問題へとつなぎ、そこから自身のアナウンス学校時代の思い出話へ突入。自分たち新入社員がアナウンス学校でやっていたのは「毎日恥をかくこと」であり、一緒に恥をかいた者同士に生まれる「同期愛」や「連帯感」というものがある、という話へ。そして最後には、会社は違うが同期入社のあのアナウンサーの名を「Mもんた氏」と無意味なイニシャル混じりで挙げ、「擁護するわけではないですけど、同じ年に同じように恥をかいたと思うと、ある種の連帯感というものがある。ただの連帯感ですけど」と複雑な余韻を残してオープニングトークを終えた。

 タイムリーなスポーツの話題から入り、自身の思い出話を経て、最後に再びタイムリーな芸能の話題に戻る、という「現在→過去→現在」という時間の往還も見事だが、実は最後の「Mもんた氏」の話題は現在形であると同時に過去の思い出話でもあって、最終的に最も刺激的な話題で現在と過去を包括するという理想的な形で終えている。さらには時制の問題だけでなく、彼の場合、自身と話題との距離感というのも自由自在で、世間的なニュースと自身の身のまわりの出来事が同次元で語られる。この場合であれば、スポーツと芸能ニュースの間にプライベートな話題が挟まれる形になっているが、やはりラストの「Mもんた氏」の話は、芸能ニュースであるとともにプライベートな話でもあるという二重構造になっている。

 また、正月一発目のオープニングトークでは、マグロの初競りの話が資本主義原理の話になりマグロの睡眠の話になり、突如目の前のアシスタント堀井美香アナの居眠り疑惑へと発展したのち、総務省の睡眠調査データを持ち出してきて検証した結果、堀井アナはやはり秋田美人だという地点になぜか着地するという、至極アクロバティックな展開。またある時は、ベテルギウスの話がいつの間にやら「小説すばる」(集英社)の話(星つながり)になっていたり、中村勘三郎の話が足利義満にたどり着いたりと、動きながらパスをつないだその先にファンタジーを生み出していく筋立てには、まるで久米自身がよく話題にする欧州最先端のフットボールを目撃しているような興奮がある。

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