「気が小さい男だった……」ベテラン芸能記者が明かす、やしきたかじんの“繊細”な横顔

日刊サイゾー / 2014年1月9日 21時30分

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芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!

 訃報を知る直前の7日夜、フジテレビで放送された特別番組『芸能人今でもスゴい!』に元「B&B」が揃って生出演。洋七のアップテンポなしゃべりに、あらためて感動した。その感動もさめやらぬうちに、たかじんさんの訃報を聞いた筆者は、すぐに洋七に電話。洋七は「ホンマ、ええやつやった」と落胆した声で「3人で銀座でめちゃくちゃやりましたね。いい思い出ですわ」と故人を偲んだ。

 お互いのたかじんさんに対する認識は“繊細”。要するに、気が小さい男だった。筆者が初対面の時に低姿勢で彼に接していたら、「銀座に飲みに行こう」なんて展開にならなかったと思う。彼は、威圧してくるタイプに弱い。テレビ局や大阪の北新地のクラブ街での武勇伝をよく聞いたが、テレビ局ではスタッフにナメられないように強気に出る。クラブでは酔った勢いで相手を威圧する。それが、結果的に“たかじん神話”として流布されるようになり、業界内で恐れられるようになった。つまり、自分を強く見せる術を知っていたのだと思う。

 もうひとつ、たかじんさんといえば“東京嫌い”。東京では仕事をしたがらないと言われていることだ。果たして、そうだろうか?

 筆者との銀座のクラブのハシゴもさることながら、その少し前には、ビートたけしに呼ばれて、東京に遊びに来たことがあったという。あいにく、その日が土曜日ということもあって、お目当ての銀座のクラブはやっていなかった。そこで、たけしはたかじんさんのために必死で開いている店を探し、知り合いのおねえちゃんを集めて歓迎した。たかじんさんはたけしの温かさに感激し、東京で仕事を一緒にしたいという話も出ていたようだ。

 たかじんさんの立てた企画を、洋七が東京のテレビ局に売り込んだこともあった。しかし、それ以前の1992年、たかじんさんは2度目の東京進出にチャレンジするも、スタッフとの折り合いが悪かったこともあって、失敗に終わっている。こうして、在京テレビ局には“たかじんアレルギー”も生まれてしまい、洋七が持ち込んだ企画も実現しなかった。たかじんさんのヒット曲「東京」は、その東京進出失敗の1年後に発売されている。ハシゴした銀座のクラブの最後の店で「東京」を歌ってくれた時、たかじんさんが筆者に「この曲は、わいが東京と決別した曲なんだ」と言った言葉を忘れない。たかじんさんは東京を嫌っていたのではなく、本当は愛していたからこそ、決別するために歌う必要があったのかもしれない。

 その後、たかじんさんは関西の芸能界で天下を取った。銀座で5軒奢った分を奢り返してもらう前に亡くなってしまったことが心残りだが……。たかじんさんに改めて合掌!
(文=本多圭)

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