「燃え尽き症候群」から大逆転の代表選出 サッカー大久保嘉人を奮起させた、父の最後の言葉

日刊サイゾー / 2014年6月9日 21時30分

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アスリートの自伝・評伝から読み解く、本物の男の生き方――。

 2010年6月29日、サッカーW杯・南アフリカ大会。パラグアイとの一戦で、日本代表はPK戦の末に敗れた。日本代表にとって初となる決勝トーナメント進出を懸けた戦いだったが、あと一歩のところで、ベスト8の称号はするりと逃げていった。そして、初めて日本代表としてW杯に出場した大久保嘉人の戦いも終わった。

「俺、もう代表はないから」(『情熱を貫く』朝日新聞出版)

 日本代表の青いユニフォームを脱いだ大久保は、妻に向かってこう語った。W杯で持てる力のすべてを出し尽くし、すでにその精神は限界を迎えていたのだ。

 日本に帰国した後、大久保は、ひどい倦怠感に襲われた。ボールを蹴ることも、走ることもできなくなり、慌てて病院で検査を受けるも、体調に問題は見当たらない。カウンセリングの結果、医師は、大久保に「オーバートレーニング症候群」という診断を下した。それは、別名「燃え尽き症候群」とも呼ばれている心の病。人生を懸けた戦いの後には、これまで味わったことのないような苦しみが待っていたのだ。

 サッカーができなくなってしまった彼は、過去に痛めた左膝半月板の手術をし、療養先として長崎県・五島列島を選んだ。テレビも見ず、携帯電話の電源を切った大久保の目的は、左膝以上に、心を治療することだった。豊かな自然に囲まれた五島列島に、大久保は逃げ場を求める。そうしなければ、心がもたなかったのだ……。

 サッカーに携わる誰もがそうであるように、大久保もW杯の大舞台に憧れていた。1994年に開催されたアメリカ大会。ブラジルのロマーリオ、イタリアのバッジョ、アルゼンチンのマラドーナ、世界最高のスター選手たちが、小学6年生の大久保を魅了していた。そして、彼らに魅了されたのは大久保だけではなかった。父・克博もまた、W杯という檜舞台のとりこになった。いつしか、親子は「W杯出場」という夢を抱くようになった。

 だが、大久保は、2006年のドイツ大会の日本代表の座を、あと一歩のところで逃してしまう。悔しさに打ちのめされながら、テレビの前にかじりつき、1分2敗で戦いを終えた日本代表の姿を見る。そして、2010年までの4年間を、日本代表の座をもぎ取るために捧げることを決心したのだった。ドイツ・ヴォルフスブルクに移籍したにもかかわらず、出場機会が少なかったことから、わずか半年で帰国。世間から「失敗」という目で見られても構わない。彼はブンデスリーガに所属するという名誉よりも、W杯でベストパフォーマンスができるよう、日本のクラブチームを選んだのだ。

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