「まだ死ぬ準備なんかできちゃいない!」故・ジョニー大倉さん、余命宣告に抗った壮絶闘病生活

日刊サイゾー / 2014年11月27日 19時0分

写真

 肺がんで闘病生活を送っていた歌手のジョニー大倉さんが19日、都内の病院で死去した。62歳だった。

 大倉さんは昨年5月下旬、肺にがんが見つかり、入院。医師からは余命2週間の宣告を受けるも、闘病生活の末、今年4月にはステージ復帰も果たしていた。しかし、8月に容体が悪化して再入院。「まだやりたいことがある」と、再び復帰へ向け治療に励んでいた。

 4年ほど前に神奈川県内で大倉さんが出演したライブの演出を手掛けたこともある旧知の元ミュージシャン、KEI氏によると、医師から余命宣告を受けた際「急に言われても、死ぬ準備なんかできてねえからさ。まだ早いだろ」と、明るく話していたという。

 しかし、抗がん剤治療はかなり苦しく、髪は抜け落ち、体重も激減。KEI氏によると、歌おうとしても「腹筋と横隔膜とノド、この3つがそろって歌わなきゃいけないのに、それができないんだよ」と、ショックを受けていたという。

「でも、医者に告げられた余命の2週間で死ぬ男ではなかった。本人も“俺は死ぬ準備なんかできちゃいない。これからは生きる喜びを歌えってことだ”と言っていました」(KEI氏)

 大倉さんは1971年、矢沢永吉らとキャロルを結成。リーゼントに革ジャンのスタイルや、自ら作詞した「ファンキーモンキーベイビー」の大ヒットなどで一躍、日本を代表するロックンロールバンドとなった。

 全盛期は、そのロックな風貌に憧れた不良少年たちが集まり、ときにライブでは暴動さながらの乱闘もあったというが、極真空手を習得して腕に自信のある大倉さんが自ら出て行って一喝、その場を収めたこともあったという。

 しかし、大倉さんのドラッグ依存や失踪騒動などでバンド活動に亀裂が入り、最終的には主導権を握る矢沢との確執から、活動わずか3年で解散。ただ、関係者によると、解散ライブを終えても大倉さんだけはバンド活動への情熱が冷めず、その場にいたクールスのメンバーらミュージシャンたちと即席のバンドを組んで、打ち上げの席で演奏を続けたという伝説も聞かれる。

 根っからのロッカーだった大倉さんはその後、キャロルの権利関係を矢沢が持っていったことなどに不満を持ち、マスコミを通じて矢沢バッシングを展開。そのことばかりがクローズアップされてしまったが、一方では肉体をビルドアップした映画俳優としてもブレーク、81年の映画『遠雷』では、日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞している。

 前出KEI氏は「ケンカが強くて度胸がある一方で、私生活ではちょっとフラついていたり、言葉はあまりうまいほうじゃなかった。不器用な感じでしたが、仕事になると本番にはめっぽう強いという、いかにもロックンローラーな方でした」と話す。

 親しいミュージシャンの間では、日本語と英語を混ぜた歌詞の先駆者である大倉さんを英語で偲び「R.I.P.JOHNNY」というメールが交わされたという。
(文=ジャーナリスト・片岡亮)

日刊サイゾー

トピックスRSS

ランキング