「足が曲がらなくなってもいい」 有馬記念優勝・吉田隼人騎手、実は骨折していた……今こそ語れる“運命と決意”

日刊サイゾー / 2016年1月6日 23時30分

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『ゴールドはゴールドでも“シップ”ではなく“アクター”だ!』

年の瀬の中山競馬場、8番人気ゴールドアクターの勝利という劇的な幕切れに終わった第60回の有馬記念。優勝騎手インタビューを受けている男のやや緊張した面持ちを一体、何人の競馬ファンが知っていただろうか。

「お客さんも入っていたし、レース前は楽しく乗ろうと思った。初めてのG1(勝ち)で実感はわかないが、G1ジョッキーになりたくて、この道を選んだのでとても良かった。くじけなければ、いいこともあるのですね」

デビュー12年目で掴んだ初の栄冠。ゴールドアクターの主戦・吉田隼人(はやと)のここまでの道のりは、その言葉が示す通り決して平坦なものではなかった。

G1・9勝の実績を誇る関東の名手・吉田豊の弟として隼人がデビューしたのは2004年。1年目はわずか3勝に終わったが、そこから2年目には23勝、3年目には60勝とともに初の重賞勝利を挙げるなど、一躍関東の若手有望株となった。

ただ、2007年の73勝(リーディング11位)を境に成績が頭打ちとなってしまう。続いていた重賞制覇も2009年で途切れてしまい、吉田隼人の評価は若手有望株から中堅、いや、“中の下”という評価にとどまり、徐々に競馬ファンの印象からも薄れていった。

厳しい勝負の世界で、同期デビューの川田将雅や藤岡佑介が次々とG1ジョッキーとなっていく中、吉田隼人はG1に勝つどころか、大レースに乗ることすらなかなかできない日々が続いた。それどころか、一昨年の11月には女性問題を巡って知人に暴力を振るったことが発覚。1カ月間の騎乗停止という重い罰が課せられることとなった。

しかし、騎手をやめようとさえ思うほどの“どん底”の中で吉田隼人の心に支えになっていたのが、自身の手綱で菊花賞(G1)3着と、世代トップクラスの能力を秘めた若駒・ゴールドアクターの存在だった。

ゴールドアクターが産まれた北海道新冠町の北勝ファームの現役馬は、全体でも20頭程度。それもほとんどがJRAではない地方競馬の競走馬で、JRAのG1どころか重賞に出走することさえ数年に一度あるかないかという典型的な中小牧場だ。

そんな北勝ファームで、障害レースながらJRAのオープン特別を勝った実績のあるヘイロンシンは期待の繁殖牝馬。そのヘイロンシンに当時、新種牡馬だったスクリーンヒーローを付けて産まれたのがゴールドアクターだった。

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