ジャニー喜多川氏に人生を弄ばれたジャニーズ創成期メンバー メディアは美化報道を自重すべし!

日刊サイゾー / 2019年8月2日 23時0分

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 7月9日、解離性脳動脈瘤破裂による、くも膜下出血で亡くなったジャニーズ事務所の創設者・ジャニー喜多川さん。その後の報道を見ると、これまでの功績に対する賛美が溢れかえっている一方で、ジャニーさんが起こした「あやまち」について言及する大手メディアは皆無といっていい状況だ。

 もちろん、それは想定内のことなのだが、筆者自身はその栄光の影に隠れ、ジャニーさんの性の玩具にされて事務所を去り、寂しく散っていった故・真家ひろみさんと故・北公次さんのことを忘れない。

 朝鮮戦争の後、日本に帰国してアメリカ大使館に務めていたジャニーさんが、近くの代々木公園で遊んでいた子どもたちを集め、アメリカ仕込みの野球を教えていたのはよく知られているが、そこで真家さん、あおい輝彦、飯野おさみ、中谷良の4人をスカウトし、1962年4月に「ジャニーズ」を結成。直後の6月に「ジャニーズ事務所」を創業すると、日本人初の男性アイドルグループとして本格的にデビューさせた。

 こうしてジャニーズ事務所の第1号タレントとなった「ジャニーズ」は、『涙くんさよなら』などのヒット曲を飛ばして大活躍したが、1967年に突然解散する。

 実は、この解散の直前、「ジャニーズ」がデビュー前にダンスレッスンなどのために通っていた「新芸能学院」が起こした裁判で、学院がジャニーさんのセクハラ行為を告発していた。「ジャニーズ」は証言を求められ、あおいと飯野は、セクハラ行為を否定したが、真家と中谷は「覚えていません」と答えていて、これが解散の原因だと言われている。

 その後、真家ひろみは芸名を真家宏満と改名してワイドショー『3時のあなた』のアシスタントを務めたり、日活ロマンポルノに出演したりしたが、再ブレイクはならず、79年には文豪・池波正太郎さんが名付け親になって芸名を立花正太郎に改名。テレビ時代劇や舞台に出演したが、役者としても芽が出ず、82年にタクシー運転手に転身した。

 その頃、筆者は取材で真家さんと会った。真家さんはハイテンション気味に「僕は作詞をしているんです」と言うと、タクシーを青山墓地近くに停め、自作の詩を見せてくれた。再デビューを真剣に考え、そのためなら、どんなステージでも立つと意欲を燃やしていた。取材の帰り際に「明日から新宿のホストクラブでホストをやるんです。そのステージで歌いますから、見に来てください」と言われ、翌日ホストクラブを訪ねてみた。

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