【プロ野球】80歳を迎えた長嶋茂雄の功績を10年刻みで振り返る

デイリーニュースオンライン / 2016年2月20日 16時0分

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 ミスター傘寿。日本球界の至宝、長嶋茂雄氏が本日2月20日、80歳の誕生日を迎えた。先日もキャンプ視察で元気な姿を見せていた長嶋氏。「長嶋さんの笑顔を見るだけでむしろこっちが元気になる」という往年のファンは多い。大の長嶋茂雄ファンとして知られるビートたけしは、近著『野球小僧の戦後史』の中で「俺にとっちゃ、長嶋さんは絶対的な神様だから」と、その敬愛ぶりを綴っている。

 といっても、若い世代の野球ファンには、現役時代はおろか監督時代についてもリアルタイムで見ていない、という層がどんどん増えているはず。そこで、長嶋茂雄と野球界がどのような80年を歩んできたのかをざっくりとでも振り返るべく、10年刻みでエピソードを掘り起こしてみたい。

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■1936(昭和11)年:0歳

 2月20日、千葉県印旛郡臼井町(現・佐倉市)で農家の二男二女の末っ子として誕生。生まれたときの体重は2600グラムと意外にも小さめだった。

 長嶋が生まれる2週間前、2月5日に7チームによる日本職業野球連盟創立総会が開催され、2月9日には名古屋の鳴海球場で我が国初のプロ野球同士の試合、巨人対金鯱戦で行われた。

 当時の巨人軍はといえば、長嶋の誕生日と重なるように第2回のアメリカ遠征に赴き、帰国後は「伝説の千本ノック」で知られる茂林寺の猛練習を経て、9月にタイガースを破って職業野球の王座に就いている。

 長嶋は自著『野球は人生そのものだ』の中で、《生まれた年が職業野球連盟の歴史の第一歩、プロ野球の発端だから忘れられない》《巨人軍の伝統を育んだ記念碑的な年に生まれたといえる》と、野球界との縁について綴っている。

■1946(昭和21)年:10歳

 太平洋戦争が終結した翌年、野球界もさまざまな「復活」の動きを見せた。プロ野球は2年ぶりにリーグ戦を再開。都市対抗野球大会が4年ぶり、全国中等学校優勝野球大会が6年ぶりに開催されている。

 長嶋少年はこの頃、母の手縫いのボールで三角ベースに明け暮れる毎日。自著『野球は人生そのものだ』では《三角ベースをやり過ぎたせいか、プロに入って次打者のフライがキャッチされて一塁に戻る時、二塁ベースを踏まずにアウトになったことが二回もあった》と、後の長嶋伝説のきっかけを明かしている。

[10代長嶋茂雄の戦績]
甲子園出場は果たせずも、高3夏の公式戦でバックスクリーン弾を放ち、一躍、注目を集める存在となった。

■1956(昭和31)年:20歳

 立教大3年生。前年から「4番サード長嶋」として定着し、いよいよ打者として開花したのがこの頃。3年春の東京六大学リーグ戦では打率.458で初の首位打者に輝いている。当時の六大学記録となるリーグ戦通算8号の本塁打を放ち、春秋連覇を達成して「大学野球のスーパースター」と呼ばれるのはこの翌年のこと。

[20代長嶋茂雄の戦績]
新人王(1958年)、首位打者(1959〜61年、1963年)、本塁打王(1958年、1961年)、打点王(1958年、1963年)、シーズンMVP(1961年、1963年)、日本シリーズMVP(1963年、1965年)、リーグ優勝(1958年、1959年、1961年※、1963年※、1965年※)※年は日本一達成

■1966(昭和41)年:30歳

 プロ9年目。前年の1965年から始まった「V9期間(※2年目)」ということもあり、当然、チームは日本一に輝いている。

 長嶋はこの年から、大好きな富士山を望む伊豆・大仁ホテルの離れ「富士の間」での自主トレスタート。その成果か、このシーズンは打率.344をマークして自身5度目の首位打者を獲得。26本塁打、105打点(それぞれ王貞治に次ぐ2位)の好成績で3度目のMVPも受賞した。

 プライベートでは同年1月26日に長男、長嶋一茂が誕生している。

[30代長嶋茂雄の戦績]
首位打者(1966年、1971年)、打点王(1968〜1970年)、シーズンMVP(1966年、1968年、1971年)、日本シリーズMVP(1969年、1970年)、リーグ優勝(1966〜73年※)※全て日本一

■1976(昭和51)年:40歳

 1974年限りで現役を引退し、翌年から巨人軍監督としてのキャリアをスタートさせた長嶋だったが監督1年目は球団史上初となる最下位に転落。そのため、オフに張本勲をトレードで獲得。自身が抜けたことで「穴」となっていた三塁手に高田繁を外野手からコンバートさせるなどのチーム改革に取り組み、1976年シーズンは前年最下位から一転、リーグ制覇を達成した(※日本シリーズは阪急に敗退)。

[40代長嶋茂雄の戦績]
リーグ優勝(1976年、1977年)

■1986(昭和61)年:50歳

 浪人時代。長嶋茂雄の人生において、もっとも野球から離れていた期間だ。この年は「花と緑の農芸財団理事長」に就任。千葉・成田から全国に発信する花いっぱい運動に加わった。

《若いころから花屋に憧れたほどの花好きだった。花は一時一処にすべてを賭けて、花を咲かせ実を結ぶ。そんな花に私も世話になってきた。とにかく一日花を見ないと心の安らぎが得られない》と、意外な一面も垣間見せている。

 一方、長嶋不在の野球界はといえば、PL学園の桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」が揃ってプロ入り。その清原が入団した西武ライオンズが1986年の日本シリーズを制し、「西武黄金時代」へと突入。個人成績では落合博満(ロッテ)とランディ・バース(阪神)が揃って2年連続の三冠王を達成した。

[50代長嶋茂雄の戦績]
リーグ優勝(1994年※日本一も達成)、野球殿堂競技者表彰(1988年)、「ヘイ!カール」(1991年)、正力松太郎賞(1994年)

■1996(平成8)年:60歳

 第二次政権4年目。2月20日、キャンプ中に赤いちゃんちゃんこを記者団からプレゼントされ、「今日、はじめての還暦を迎えまして」とお茶目なコメントを残している。

 ペナントでは一時、首位・広島に最大11.5ゲーム差をつけられたが7月以降反撃に転じ、奇跡の逆転優勝。前年に果たせなかった2年越しの「メークドラマ」を完成させ、同年の流行語大賞も受賞した。

 ただ、日本シリーズではオリックスに敗退。また同年オフ、一茂に自ら戦力外通告を行い、現役を引退させた。

[60代長嶋茂雄の戦績]
リーグ優勝(1997年、2000年※)※2000年はON決戦を制して日本一、「メークドラマ」(1996年)

■2006(平成18)年:70歳

 脳梗塞で倒れたのが2004年。以降、リハビリ生活の毎日を過ごしていたが、この頃から少しずつ人前にも再び顔を見せるように。6月から7月にかけては、読売新聞紙上において「時代の証言者・長嶋茂雄」が長期連載された。

 野球界では3月に日本代表がWBC初代王者に戴冠。盟友・王貞治が、長嶋も果たせなかった「世界大会優勝監督」の名誉を獲得した。夏の甲子園では早稲田実業対駒大苫小牧による「決勝引き分け再試合」の死闘が繰り広げられるなど、大いに盛り上がりを見せた。

[70代長嶋茂雄の戦績]
国民栄誉賞(2013年)、千葉県県民栄誉賞(2013年)、佐倉市民栄誉賞(2013年)

 そして今年、誕生日にあわせて自著『野球人は1年ごとに若返る』を刊行する。80歳にしてまだまだ元気なミスタープロ野球。年齢に関しては、かつてこんなコメントも残している。

 「年は取るものじゃなくて食うもの。つまり、食べちゃうんだ。誕生日が来るたびに『年齢をイートするんだ』と自分に言い聞かせています」

文=オグマナオト(おぐま・なおと)

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