【プロ野球】若松、池山、岩村、青木…ヤクルト「背番号1」の系譜

デイリーニュースオンライン / 2016年7月8日 17時5分

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 7月に入りさらなる盛り上がりをみせるプロ野球。なかでもヤクルト・山田哲人は打撃三部門で圧倒的な成績を残し、2004年の松中信彦(ソフトバンク)以来となる三冠王獲得に向けひた走っている。

 一昨年の山田は193安打でセ・リーグ最多安打。昨年はトリプルスリー。日本プロ野球界を代表する右バッターだ。

 今季、山田は背番号を23から1に変更した。ヤクルトの背番号1といえば、チームの顔というべきバッターが背負ってきた由緒ある番号だ。山田の活躍で再びクローズアップされる、背番号1を背負ってきた歴代の選手を振り返りたい。

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■日本人最高通算打率の小さな大打者・若松勉

 「ヤクルトの背番号1=チームの顔」と多くのファンに認識させたのが「小さな大打者」こと若松勉だ。

 プロ1年目の1971年から打率.303と結果を残すと、翌年から背番号が57から1へ。背番号1をつけた若松はバッティングが冴え渡り、打率.329で首位打者を獲得。ヤクルトの中心打者として活躍し、1977年には2度目の首位打者となる。

 1978年は3番打者としてヤクルト初の日本一に大きく貢献。リーグMVPを獲得した。その後も、打率3割台を何度もマークし、1985年には2000安打を達成。1989年に42歳で引退したが、通算打率.319は日本人選手歴代1位の数字となっている。

 1999年にはヤクルトの監督に就任。2001年のリーグ優勝インタビューでは「ファンの皆さん、おめでとうございます」という名言(?)で、大いに話題を呼んだ。

■14年ぶりのリーグ優勝に貢献した池山隆寛

 若松の後、空き番号となっていた背番号1を受け継いだのが「ブンブン丸」こと池山隆寛だ。

 背番号36の頃から三振を恐れない豪快なフルスイングでファンを魅了。1988年から5年連続で30本以上の本塁打を放ち、強肩強打のショートとして活躍。背番号1となった1992年には広沢克己、古田敦也らと打線を引っ張り、14年ぶりのリーグ優勝の原動力となった。

 同年の日本シリーズでは、第5戦での延長10回の決勝弾、1995年の第3戦でサヨナラ3ランと記憶に残る一発を放っている。

 その後は、宮本慎也の台頭によりサードにコンバート。2001年にはサードのレギュラーを獲得した岩村明憲に背番号1を譲り、以前身の背番号36に戻した。

■池山から「サードと背番号1」を受け継いだ岩村明憲

 池山から背番号1を受け継いだのが岩村明憲。プロ3年目の1999年に1軍へ定着すると、2000年には池山からサードの定位置を奪取。18本塁打を放ち、注目を集める。

 背番号1となってからは、2002年に140試合フル出場。初の3割台となる打率.320をマークした。3番に定着した岩村は、2004年には44本塁打と長打力も備えたバッターへと進化。2005年、2006年は3割、30本塁打の中心打者として君臨するも、2006年オフにポスティングシステムでデビルレイズ(当時)に移籍。チームを去った。

 パイレーツ、アスレチックス、楽天を経て2013年にヤクルトへ復帰。空き番号となっていた背番号1はつけず、若手時代の背番号48でプレーした。

■チームから何度も「背番号1」を打診された青木宣親

 岩村がチームを離れて3年間、背番号1は再び空き番号となった。2010年に受け継いだのが、当時の中心選手・青木宣親だ。
 青木はプロ2年目の2005年にレギュラー定着するとヒットを重ね、1994年のイチロー以来となるシーズン200安打を達成。首位打者を獲得した。

 2006年には41盗塁で盗塁王。2007年には打率.346で2度目の首位打者を獲得。好成績を残し続けたことで、チームから背番号1への変更を何度も打診され、2010年に背番号1を背負うこととなった。

 背番号1となった年に、青木は209安打、打率.358で3度目の首位打者に。しかし2011年には統一球の影響もあって、レギュラー定着後初めて打率が3割を下回る結果に終わった。そして同年オフにポスティングシステムでブルワーズへと移籍した。

 青木と山田の共通点は背番号23から背番号1へとステップアップしたこと。現在、ヤクルトの背番号23は空き番号となっているが、その「出世番号」を今後は誰が背負うのかも見逃せない。

文=武山智史(たけやま・さとし)

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