【プロ野球】阪神・狩野恵輔が“ツキのない野球人生”から“代打の神様”へ昇りつめる日

デイリーニュースオンライン / 2016年8月7日 16時5分

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「代打はそんなに難しくない!」

 7月31日の中日戦、代打で逆転のタイムリーを放ち、試合後お立ち台に昇った狩野恵輔は代打についてこう表現した。

 このコメントを聞いて、昨年引退した3代目“代打の神様”関本賢太郎のこの言葉を思い出した。

「そもそも代打に出ていって、打てるはずがない!」

 関本の理屈はこうだ。

 ゲーム終盤に登板する抑え投手は、チームでは粒ぞろいの好投手が控えている。その投手が短いイニングを全力で投げてくる球など打てっこないというわけだ。

 関本とはまったく正反対の狩野の代打への認識。

 狩野がさりげなく発した言葉の真意を確かめる意味でも、狩野恵輔という男のこれまでの野球人生を振り返ってみた。

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■ツキのない野球人生

 狩野は前橋工業高校から2000年のドラフト3位で阪神に入団。捕手にしては足が速く、長打も打てるパンチの効いた打撃も、売りの選手だった。

 捕手という経験を要するポジションゆえ1軍昇格までには時間を要したが、2006年にウエスタン・リーグで首位打者に輝くと、翌2007年には初の開幕1軍に抜擢。このシーズンは代打や代走要員で、ほぼ1軍に定着した。

 しかし、2008年は矢野燿大の後釜として正捕手の座を期待されるも、右ヒジ手術の影響で出遅れる。

 チャンスが回ってきたのは2009年。矢野が故障で開幕に間に合わず、1年を通して127試合に出場。

 正捕手の座をつかんだかと思わせたが、この年のオフ、電撃的にメジャーリーグから城島健司が入団する。

 このあたりから、狩野のツキのない野球人生がはじまる。

 筋書き通り城島に捕手の座を奪われ、外野にコンバートされた狩野は、シーズンオフに椎間板ヘルニア除去手術を受ける。

 それ以降、ヘルニアの再発を繰り返し、2012年のシーズンオフには育成契約選手に。もう後がない状態に追い込まれる。

 2013年7月に支配下登録選手として復帰してからは、主に代打としてベンチで出番を待つ日々が続く。

■気遣いこそ狩野の真骨頂

 狩野の捕手時代に、藤川球児が「狩野は捕手向きの性格をしている」と称したことがあった。

 投手の女房役となるのが捕手というポジション。
 投手への気遣いができてこそ、投手のいい部分を引き出し、乗せていける。狩野にはその部分が備わっているというのだ。

 また捕手時代の狩野はタイムリーヒットを放ち、次の回、守備に就いたとき、ファンから「狩野コール」を受けると、必ず直立不動で頭を45度以上下げ、礼をするのが常であった。

 これもファンへの気遣いを表すもので、この気遣いこそ狩野の真骨頂なのだ。

 「代打はそんなに難しくない」は、試合に出続けるレギュラーの方が難しい、だから代打は難しくないと、レギュラー陣への気遣いを狩野風にいい表したものだ。

■このままでは終われない

 現在の阪神において、代打の切り札は狩野という認識になりつつある。

 “代打の神様”と呼ばれた歴代の代打の切り札は、八木裕、桧山進次郎、関本賢太郎と続いてきた。

 しかし、狩野にはまだその称号を与えられるだけの実績と信頼は、まだない。

 ベンチでは常に若手選手や降板した投手に声をかけ、チーム全体の女房役も担う狩野。

 そんな裏方稼業から、“代打の神様”として主役を張れる試合が増えれば増えるほど、阪神は強くなっていくことだろう。

 “もう後がない!”を意味する、背番号“99”をつけた狩野恵輔・33歳。

 ツキのない野球人生でこのまま終わるわけにはいかない。

まろ麻呂
企業コンサルタントに携わった経験を活かし、子供のころから愛してやまない野球を、鋭い視点と深い洞察力で見つめる。「野球をよりわかりやすく、より面白く観るには!」をモットーに、日々書き綴っている。
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