戦後マンガのバイブル『新寳島』に記された手塚治虫と、もうひとりの神の名

ダ・ヴィンチニュース / 2013年8月23日 12時10分

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『謎のマンガ家・酒井七馬伝 「新宝島」伝説の光と影』(中野晴行/筑摩書房)

 日本マンガ界のエポックメイキングな作品『新寳島』。戦後間もない1947年、車が疾走するオープニングシーンに「絵が動いている!」と当時の少年たちのド肝を抜いた映画的表現は、神様・手塚治虫の神話としてあまりにも有名だ。しかし、この日本マンガ界の歴史を変えたオープニングシーン等々、手塚ひとりで生み出したものではないとしたら…!?

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 じつは当時の表紙には「作画 手塚治虫」の前に「原作・構成 酒井七馬」という名が記されている。しかし、その後、版を重ねて字体も新しくなった『新宝島』の表紙にあるのはなぜか「手塚治虫」の名のみ。酒井七馬とは誰なのか。そして、なぜ『新宝島』から名前が消えてしまっているのか。『謎のマンガ家・酒井七馬伝 「新宝島」伝説の光と影』(中野晴行/筑摩書房)では、すでに数少なくなってしまった彼を知る人たちの証言や当時の貴重な資料を提示・検証する。

 当時の酒井七馬は、関西マンガ界の重鎮。戦前は日活京都漫画部のアニメーターでもあった。その七馬が「宝塚のほうにデズニーみたいなマンガを描く子がいる」と聞き、「ボクの原作でその子に絵を頼もうと思っている。本当は自分の絵でやるつもりやったけど、自分の絵では古いんで新しい人に頼みたいんや」と無名の手塚を大抜擢。ふたりの共作として取り組んだのが『新寳島』だった。だが、「神様」もまだ若かった。荒削りな部分を七馬がうまく規定ページにおさめ、アニメーターの感覚を活かし手塚の挑戦的な映画的表現をさらに「まるで動いているみたい」にすべく手を入れていく。

 諸々納得がいかなかったのだろう、後年の手塚は作品に手を加え、手塚の『新宝島』として復刻版に発表。このことがまた七馬の名を長く埋もれさせてしまう原因のひとつになる。だが、双方の伝説の1ページ目を本書で確かめてほしい。七馬なくして、当時の少年たちを熱狂の渦に巻き込み、歴史を変えるほどの映画的表現は成り立ったのだろうか。

 さらに手塚の著書によれば、七馬はその後、中央に出ようとせず、バラックの自宅でスタンドの灯りで暖をとり、不遇のまま孤独死したことになっている。しかし、実際の七馬が不遇のまま亡くなった事実はない。紙芝居作家として人気を博し、東京ムービーの『オバケのQ太郎』に関わる等、当時花形だった仕事をこなし続けている。さらに『新寳島』出版後には手塚との不仲や決別も言われたが、その後に一緒に写った写真なども発見されている。

 手塚も意図したわけではないのかもしれない。不遇の最期も風の噂を信じただけだろう。人はそのような話が好きだ。事実、手塚は神となり、七馬の名はマンガ史から消えかけている。マンガ界のバイブル『新寳島』から消された酒井七馬。悲劇の男。

 しかし、これはどこにでもある、普通の男の普通の人生の話なのかもしれない。大きな仕事を支えて無名のまま生を終えていくほとんどの男たちの人生。時に鬼才として異彩を放ちつつも職人的な才能と共に淡々と仕事をこなす生き方。彼を知る者の証言からは七馬の後進を育てようとする人柄やダンディズム、そして諦めの境地を感じ取ることができる。そんな普通の男にして戦後日本マンガの歴史を変えたもうひとりの創造主・酒井七馬の名誉のためにも、彼の存在と功績をぜひたどってみてほしい。

文=こぱぴす
(ダ・ヴィンチ電子ナビより)

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