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「アパレルはオワコン」は勘違い!日本アパレル復活に商社が果たしてきた役割と不可欠な理由

ダイヤモンド・チェーンストア オンライン / 2022年7月4日 20時55分

metamorworks/istock

今回から数度にわたり「続新産業論」と題して、先が見えないアパレル産業復活の提言を論じたい。ますます収益化の道が閉ざされているかのように見える商社繊維部門、あるいは繊維商社という日本独特の業態である中間流通としての商社が、アパレル産業復活の鍵となる理由を解説し、合わせて商社復活の提言をしたい。
99.7%が中小企業と言われる日本はいま、経済大国としての存続の危機に瀕している。私は、これからはマクロ経済政策もさることながら、各産業における国としての全体ポートフォリオの構築、そして、個別産業政策と個別企業の競争戦略を正しく立案、実行することが重要であるという立場だ。そして、私が最も貢献できるであろう繊維・アパレル産業にフォーカスしたとき、この産業の持つ意味と商社が果たす役割について私見を論じたい。

metamorworks/istock
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繊維・アパレル産業は大きな成長産業

 世界最大の半導体メーカーTSMCが、ソニー、デンソーなどと共同で、熊本県に工場を作ることが報じられた。投資総額は8000億円を超えるという。世界的な半導体不足から来る産業政策とされているが、考えてみれば半導体産業はその昔日本は世界一だったことを思い出す。生産工場というのは、風船のように膨らませたり破裂させたり、また膨らませたりするようなものではない。そこには蓄積されたノウハウという目に見えない国家資産があり、その産業のソフトまで捨てるというのは、国家戦略の産業ポートフォリオバランスを大きく替える一大事なのだ。私は、こんなところからも、日本国の戦略性のなさを感じざるをえない。

 翻って、繊維・アパレル産業というと決まって想起されるイメージは「オワコン産業」だろう。国家の産業ポートフォリオにおいて「撤退産業」というイメージが大きいが、本当にそうだろうかというのが最初に議論したい論点だ。

 それではなぜ、その「オワコン産業」において、日本を代表する世界企業の一つである、ファーストリテイリングは、直近の決算で日本と中国という巨大市場で前期実績を下回るも過去最高益を出すことができたのだろうか?

 同社は、東南アジアと米国で取り返したからだと説明している。東南アジア諸国は、年率8%近い成長率でGDPを伸ばし、インドと同様、人口は増加の一途をたどっている。当たり前だが、人がいれば服を着、服があればどこかの企業が供給する。繊維・アパレル産業が「オワコン」に見えるのは、日本にある2万社弱のアパレル企業のほとんどが、弱体化し人口減少を遂げている「日本市場だけ」で闘っているからだ。実際、私が注目しているTOKYO BASEも成長の果実は中国市場から得ていることは、すでに過去の論考で「数字」で提示した。実はいま、繊維・アパレル産業は成長市場なのだ。

 「日本は資源のない国だから、資源を海外から輸入し、加工して世界に輸出する」というのは、ちょっと日本史をかじった人なら「耳にタコができる」ほど聞いた話だろう。ならば、隣の国で成長産業があり、そして、日本が極めて有利な競争力を持っているとしたら、「なぜ、それをマネタイズしないのか」というのが私の疑問であり、提言である。

繊維産業に商社が果たしてきた役割

Liuser/istock
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 ここで、商社の歴史を知らない若い人達のために、日本の商社がなぜ生まれ、なぜいま成長産業である繊維産業にとって商社はなくてはならない存在なのかを説明したい。

  伊藤忠商事を筆頭に、丸紅、トーメン(元東洋綿花)、ニチメン(元日本綿花)、兼松など、非財閥系の総合商社は、ほぼ全て繊維問屋だと言うと、今の若い人は驚いて、一様に信じられないという顔をする
 商社というのは、日本の基幹産業の一つだった繊維産業の輸出の担い手だったのだ。今でこそ、伊藤忠商事が、ほぼ全ての繊維産業の中核商社として君臨しているが、そもそもこれら巨大商社は日本からシルクや綿花、ウールから化合線繊維を輸出するために存在したといってもよい。

  戦前戦後、日本は官民の連携が極めてうまく行き、製造業は、あたかも日本株式会社生産部、商社が日本株式会社営業部、そして、銀行が日本株式会社経理部の役割を果たし、世界に天然繊維、化合繊繊維を売りまくって国の資産を増やしてきた歴史があった。
 だから、バブルが崩壊した1991年、私が商社マンとして入社したイトマンは、100年の歴史を持つ大阪の名門繊維商社だったし、私が配属された海外繊維本部は、旧安宅産業(10大商社の一つ)のエリート部署だった。当時、東京大学を出たエリートは官僚になるか、東レ、東洋紡、カネボウ、帝人などの繊維メーカーに就職し、彼らとお付き合いすることは商社マンとしての醍醐味だった。

 失敗した南下政策と失った代償

 1970年ごろ、GNP(国民総生産、当時はGDPではなくGNPを使っていた)で世界第二位、資産でいえば世界一の金持ち国家となった日本。その後、超円高になり1ドルが80円を切るほどの水準となった。この時点で、日本の製造業は世界中の優良企業を買収していった(そのほとんどが今は失敗となったが)。
 また、大きく円高に振れた日本のアパレル企業は輸出が壊滅的となり、使い切れないほどの資産を持つ内需に目を向け、三菱商事、伊藤忠商事、三井物産などがアルマーニなど、世界の超高級ブランドを日本に輸入し、オンワード樫山、三陽商会がこれを受け持ち、百貨店を販路に売りまくった。この戦略は見事にあたり、高級ブランドは売れに売れた。ここでも、繊維原料から織物の輸出ビジネスからOEMビジネスに大きく舵取りを変えたのが商社だった。

  しかし、ここで商社は大きなミスをする。それは、「南下政策」だ。今になって島精機製作所のホールガーメント(無縫製ニット)がもてはやされているが、この技術は当時、90年代からあったにも関わらず、今でいうデジタル化、自動化を怠った。そして、中国大陸から東南アジア、タイ、そして今ではアフリカの隣まで、人件費の安い国を渡り歩いていったのだ。作った工場もノウハウもすべてスクラップしては作り、作ってはスクラップする、を繰り返し、日本で余剰となった技術者をアジアに送り込みハンズオンで指導をさせることで、品質を担保しながら為替変動に耐えたのである。冒頭の半導体工場の再設立を見ると、そのことを思い出す。

  いつしか、この南下政策は、日本の国力減退によるコスト競争に変わって行き、商社自らの存在意義さえも無力化させていった。こうして、過去30年の歴史の中で、ニット製品は「国産」が日本から消滅したが、梳毛と言われるウール、化合線繊維、ジャージーの一部やデニムなどは、個別企業の戦略により世界のトップメゾンと組みブランド力を高め、新しい機能性素材を世界に先駆けて開発するなどして生き残っていった。しかし、彼らはごく少数となり、商社の高い固定費をまかなえるほどの物量は期待できなくなり、市場規模は90年の15兆円をピークに、今では7兆円と半分になっている。これがコストを追い求め、近視眼的視座で蓄積したノウハウを簡単に捨てた代償である。

 

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アパレル勝ち残りに商社は不可欠

 「アパレルビジネスは内需産業」というのはあやまった考えだ。正確には、内需があまりに強すぎたため、海外に出る必然性がなかったのである。当時は、今では死語となった「マンションメーカー」という言葉通り、「ファッションでジャパンドリーム」を夢見る若者がマンションの一室を借り、国内マーケット向けにビジネスをスタートしたものだ。そして、瞬く間に巨大化し、今でいう「ユニコーン企業」のように、当時のアパレル企業は急成長していった。それが、ファイブフォックス、サンエーインターナショナルといった名門企業の起こりである。
 だから、商社も原料の輸出から製品の輸入に舵取りを変えても、平均年収1000万円以上という高額な給与を生涯にわたって得ることができたのだ。

  同時に、アパレル産業は「オワコン産業」というのも間違っている。これは、上記の通り「日本で神風が吹く」と今でも思っている体質が世界化を怠ったからだ。現実に、ファーストリテイリングは10年前から世界の売上・利益が日本を抜き、日本を代表する名門企業になっている。冒頭に書いたように、アジア・パシフィックを一つのリージョンと捉えれば、アパレル産業は年平均成長率が10%近い成長産業であり、もともと日本は「世界から金を稼ぐ」ことが得意な民族であり、他産業でもそのようにしてきた。

  私は今日、渋谷の街を歩きながら、若者の姿を見て「ここまで格好良い都市があろうか」とひとりごちたほどだった。それほど、東京はアジアのファッションリーダーたる可能性を秘めている。
 しかし、そのためには、バリューチェーン上の紡績工場、商社、アパレル、リテーラーがそれぞれ、今までの成長産業である時代とは全く異なる戦略を執らねばならない。そして、繰り返しになるが日本の99.7%が中小企業である日本企業をデジタル化し、高い生産性を持ち世界化するには、どう考えても商社の力(人、資金、海外ネットワーク)がなければ不可能だ。

  私は、この続新産業論を執筆するにあたり、研究会を立上げ、また日本の有能な経営者達と幾度もディスカッションを繰り返してきた。そして、私の出自であり、日本という国をここまでにした立役者であり、株式市場ではコングロマリットディスカウントにより万年PBR1.0を割っている、いわば海外では認められがたい商社こそが、繊維・アパレル産業の成長を日本にもたらすという大胆な論を展開したい。次号から、その必然性と5年後のアパレル産業の姿を予想する

  異論・反論は大歓迎であり、前向きな討議にはいつでも参加したい。

 

プロフィール

河合 拓(経営コンサルタント)

ビジネスモデル改革、ブランド再生、DXなどから企業買収、政府への産業政策提言などアジアと日本で幅広く活躍。Arthur D Little, Kurt Salmon US inc, Accenture stratgy, 日本IBMのパートナーなど、世界企業のマネジメントを歴任。2020年に独立。 現在は、プライベート・エクイティファンド The Longreach groupのマネジメント・アドバイザ、IFIビジネススクールの講師を務める。大手通販 (株)スクロール(東証一部上場)の社外取締役 (2016年5月まで)
デジタルSPA、Tokyo city showroom 戦略など斬新な戦略コンセプトを産業界へ提言
筆者へのコンタクト
https://takukawai.com/contact/index.html

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