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動き出した低株価評価企業の“山” PBR1倍割れ小売業にこれから起こること

ダイヤモンド・チェーンストア オンライン / 2023年3月2日 20時55分

Rick_Jo/istock

大日本印刷、2月の資本市場における最大のサプライズ

  2023年に入り筆者が証券市場を眺めて驚いた出来事が2つあります。小売業には直接関係はないのですが、大日本印刷とシチズンです。

 まず、大日本印刷。

 同社が2月9日に発表した新たな中期経営計画の基底になる経営の基本方針は、プレスリリースのなかで大きなフォントに下線付きで「ROE10%を目標に掲げ、PBR1.0 倍超の早期実現を目指します。」と明記しました(PBRは株価を一株あたり純資産で除したもので、これが1を下回れば企業の解散価値を株価が下回ると一般に解釈されます)。

 これには非常に驚きました。

 初めに指摘しておくと、大日本印刷はこれまで必ずしも企業価値最大化に(程度は別にして)背を向ける姿勢を示してきたわけではありません。現行の中期計画では、4つの成長領域に対する重点投資、事業部門別ROA管理と政策保有株式など整理による資産効率の向上、適切な財務資本強化という諸施策を通じて企業価値の向上を図ると宣言しており、その成果も顕在化してきました。

  しかしこれまで株主資本の効率性を示すROEについて十分な水準にコミットせず、「継続してROE5.0%以上を達成する」と述べるにとどまりました。

  この理由を推測すると、元々平均的なROEが高かったわけではなく、ROEの高い年もあれば低い年もありその水準が不安定で変動幅が大きく、さらに最近は減損や壁紙の製品不具合に対する多額な損失の計上を行っていたためだと考えられます。

  筆者も数年前のある機会に、「社内的に資本コストの概念が導入されているのか、それが事業運営や保有資産(特に投資有価証券)の保有方針に適用されているのか」について質問することがありましたが、その時の印象は、社内的に資本コスト経営を実装している節はあるが対外的に発信する水準ではなくその意思もないというものでした。同社の場合、受注産業であるという特質に加え、成長性と収益性の異なる事業を複数抱えるコングロマリットであるため、社内体制の整備と従業員などのステークホルダーの理解を得なければ、高いROE目標の開示には至らないのだろうと合点していました。

  このような経緯もあって、同社の株価は長年、解散価値の目安を下回り、PBRが1を下回ってきたのです。

  それだけに今回の発表は唐突でもあり、過去の経緯から見れば踏み込んだ印象もあり、筆者の正直な印象は”嬉しい”驚きでした。同じ思いの投資家が多かったことでしょう。

  株価の反応も大きく、発表前にはPBRは0.8を下回っていましたが、発表後株価が上昇し0.9倍程度までPBRが改善しました。

 

シチズンの自社株買いもサプライズ

  2月のもう一つのサプライズはシチズン。

 同社が2月13日に発表した自社株買いの規模にも衝撃を受けました。

  75百万株までの自社株買いを一年かけて行うものですが、これは自己株式を除く発行済株式総数のなんと25.61%にも上ります。

  プレスリリースと同時に発表されたQ3決算の説明において、同社は「当初想定よりもコロナ禍からの業績回復をスピーディに進めることができた。時計事業、工作機械事業の主力に事業の回復に手ごたえが感じられている中で、世界的にもコロナ収束が見えてきており、今後大きな将来不安はないものと考えた。また、有利子負債の返済も進めることができ、資本効率の向上を早期に図る目的で実施した。金額については、企業価値向上に関する東証の方針等も考慮しながら決定した」と述べています。

  確かにコロナ禍ピークの2020年には同社のPBR0.5を下回る水準にあり、2022年になっても0.7程度にとどまっていました。業績回復、成長投資の道筋が整ったという経営の認識に基づいての大規模な自社株買いの発表となりましたので、発表後株価は急騰し、PBRはほぼ1.0になっています。

PBR企業の“が動き出した

Rick_Jo/istock
Rick_Jo/istock

  筆者はこの2つの事例を見て、いよいよ「山」が動き出したと感じます。

  ここでいう「山」とは、PBRが1を下回る企業群を指します。

  端的に言えば、株主が期待する収益性を満たすことができず、その結果株価が一株あたりの解散価値の目処を下回ることが常態化する上場企業が多数あるということです。

  概算になりますが、東証のプライム、スタンダード、グロースに上場する企業数は約3800社。このうち、足元でPBRが1を下回るのは約1800社弱、直近実績ROEが8%を下回るのは約1900社弱、そしてPBRが1を下回りかつROE8%を下回るのが約1200社にのぼります。これが「山」の実態です。

  つまり東証上場企業のうち半数弱が解散価値を下回るわけで、これは年金を含めた資産形成市場の中核を担うべき日本の株式市場が十分な機能を果たしていないことになります。もちろん、株式会社と言っても株主価値よりも優先すべき価値があり、その価値に貢献しているというのであればROEが8%を下回っても問題はないと思いますし、そのような多様性を認めるべきだと思っていますが、流石に上場企業の半数がPBRないしROEで十分なレベルにないというのは看過し難い状況です。

  本来であればコーポレートガバナンスコードが浸透し、さらに東証の市場区分の括り直しが進む過程でこうした「山」は“自然解消”しているべきものでしたが、実際にはそうなりませんでした。コロナ禍のような不可抗力も作用したことも否めません。

  しかし、2023年に入り、コロナ禍のような言い訳を続けることはできなくなりました。そうした環境変化を敏感に感じ取ったからこそ、大日本印刷やシチズンといった日本を代表する“保守的な”企業が資本効率と株価に改めて向き合い始めたと思います。これは決して局所的な話にとどまらず、大きな波及効果をもたらすと思います。

  「山」は動く、と考えるべきでしょう。

 

「山」を動かす要因とは

 

論点整理を踏まえた今後の東証の対応
東証が発表した「論点整理を踏まえた今後の東証の対応」

 では「山」を動かすであろう要因は何でしょうか。

 直接的には、東証が2023年1月30日付け「論点整理を踏まえた今後の東証の対応」に示された次の策が契機です。

「経営陣や取締役会において、自社の資本コストや資本収益性を的確に把握し、その状況や株価・時価総額の評価を議論のうえ、必要に応じて改善に向けた方針や具体的な取組、その進捗状況などを開示することを要請」「継続的にPBRが1倍を割れている会社には、開示を強く要請」

  これを2023年春以降、プライム・スタンダード市場の上場企業に求めるというものです。

  ただし、これにはもう少し深読みが必要です。

  第一に、外国人投資家、アクティビストの存在です。

  外国人投資家は円安によってドルベースでの日本の資産価値が減価しており、この回復のために日本企業にグローバルスタンダードを満たす資本効率の改善を求める動きが強まっていると思われます。

  ここにアクティビストの活動の活発化も予想されます。欧米の金利上昇と景気動向の不確実性など不透明な投資環境においては、日本の低PBR企業が資本効率改善に目覚め変化を遂げるというのは相対的にリスク・リターンのバランスが良い投資案件とみなして、改めて攻勢をかけてくると予想されます。先ほどの大日本印刷のケースがこれに当たるとみなせそうです。

  東芝の事例を見るように、アクティビストが会社の主導権を握り、経営の重要な意思決定がすんなりと進まなくなるような事態は避けたいというのが「山」にいる企業経営者の本音でしょう。そうであれば、企業価値を高めるという本道を進むことが経営者の椅子を守る最善策です。アクティビストの後手に回らないことが肝要です。

  第二に、日銀のトップ交代です。

  現在は日銀の国債買い入れの是非が論点に上がっていますが、むしろ株式等のETF(上場投資信託)の買い付けの方が見直しの可能性が高いと思われます。日銀がETFを売り始めるとすれば、その後どの投資家がどのような所有形態になるのか(ETFなのか個別株なのか)不透明ではありますが、日銀よりもアクティブな株主に置き換わると考えるべきでしょう。企業経営者としてはこうした展開を描いておかないはずはありません。

  このように考えると、いつまでも低PBRを放置する、低ROEを存置する、あるいは成長戦略を実行しないというわけにはいかなくなっていると思います。

 対岸の火事では済まされない小売業

  では、小売企業の状況を見てみましょう。

  東証上場の小売企業340社のうち、足元でPBR1を下回るのは約120社弱、直近実績ROEが8%を下回るのは約170社強、そしてPBR1を下回りかつROEが8%を下回るのが約80社となり、小売業も「山」とは無縁とは言えません。

  株式時価総額の大きい企業にも、家電量販店、ホームセンター、スーパーマーケットなどで該当企業が散見されます。局所的な問題とは言えないと思います。

 低株価評価の小売企業に期待したいこと

  そろそろ3月後半以降、2月本決算の小売企業の決算発表が始まります。そこでここに来て急激に脚光を浴びてきた低ROEPBR対策について前進を期待したいと思います。

  筆者としては具体的に次の諸点について説明があれば望ましいと考えます。

  1. 従来の事業を収益性と成長性の観点でゼロベースで整理し、資本コストを上回るリターンを生むのか判断し効率的な成長戦略を提示できるのか。場合によっては切り離すべきもの、補充すべきものを峻別できているのか。
  2. 営業キャッシュフローの見通しを示しているのか。さらにその使い道である基盤投資、成長投資、負債削減、株主還元などに関して合理的な配分案を示しているのか。
  3. 有望な市場・成長機会があるにも関わらず、株主資本の稼働率が不十分であれば、その財務余力を迅速に活かせるのか。たとえばM&Aを仕掛ける体制は準備できているのか。

  資本市場で目に留まるようなアグレッシブな計画も良いですが、そうではなくても、たとえば、株主資本が潤沢で資本効率を伴っていない場合、

  1. 配当性向を大幅に引き上げる
  2. 配当利回り(一株あたり配当金額÷株価)を物価上昇率を有意に上回る水準にする
  3. 一株あたりの配当金額を物価上昇率を大幅に上回るようなペースで毎年増配する

というようなプログラムを用意すれば資本市場の印象は良くなると思います。

  毎年物価上昇を上回る増配を実現しようとすれば、綿密な経営計画とレジレントな企業運営が不可欠になりますし、成長戦略についてもリターンの高いと予想される案件に対してより傾注するようになるでしょう。

 低ROE、低PBRという「山」がいよいよ動き出しそうです。先手必勝、という企業が必ずや増えると期待しています。

 

プロフィール
椎名則夫(しいな・のりお)
都市銀行で証券運用・融資に従事したのち、米系資産運用会社の調査部で日本企業の投資調査を行う(担当業界は中小型株全般、ヘルスケア、保険、通信、インターネットなど)。
米系証券会社のリスク管理部門(株式・クレジット等)を経て、独立系投資調査会社に所属し小売セクターを中心にアナリスト業務に携わっていた。シカゴ大学MBA、CFA日本証券アナリスト協会検定会員。マサチューセッツ州立大学MBA講師

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