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日本製鉄 第35回日本製鉄音楽賞 受賞者について

Digital PR Platform / 2025年2月5日 13時24分

第35回日本製鉄音楽賞 特別賞
宮澤 敏夫 みやざわ としお(富士山静岡交響楽団専務理事)
生年月日:1943 年10 月7 日(81 歳) 出身:台湾省台北市

[画像2]https://digitalpr.jp/simg/84/103599/300_399_2025020513152367a2e5dbbf95d.JPG

武蔵野音楽大学で檜山薫氏に師事。1965 年同大学卒業後すぐに大阪フィルハーモニー交響楽団にコントラバス奏者として入団。73 年ウイーン国立音楽大学に留学。78 年文化庁芸術家海外派遣研修員として再度ウイーン国立音楽大学に留学し、シュトライヒャー教授(ウイーン・フィルハーモニー首席コントラバス奏者)に師事。78 年帰国し、翌79 年に大阪フィル首席コントラバス奏者に就任。その他にも国内一流演奏家との室内楽コンサートをはじめ、岩崎洸「東京チェンバーソロイスツ」のメンバーとして、またクリーヴランド弦楽四重奏団との全国縦断コンサート、NHKFM「午後のリサイタル」出演など活躍を広げた。
また70 年からは和歌山市で「和歌山音楽振興会」を主宰し、地域の文化啓発運動を始め、以後40 年間大いに地域貢献する。
1986 年財政的に傾いたオーケストラを再建するために大阪フィルハーモニー交響楽団の事務局長に就任。オーケストラの再建に尽力する傍ら関西の文化の発展向上に尽力する。また南海天下茶屋駅に日本の民間オーケストラとして初めて自前の練習場を建てる。
1992 年大阪フィルを退団し上京、(社)日本演奏連盟に入社。翌年事務局長就任。この時、「芸術家会議」の事務局長も務め、日本の文化庁予算獲得のために国や文化庁に毎年陳情や国会議員との折衝に奔走する。98 年退社し企画会社「ゾロカンパニー」設立。倉敷音楽祭、大垣音楽祭、日光金谷ホテル音楽祭などのプロデューサー他、木曽音楽祭、新潟県小出郷文化会館などに関わり、地方文化の啓発発展に寄与、またローム ミュージック ファンデーションをスポンサーとして若手演奏家の育成(小澤征爾指揮セミナー他)などを目的とした講習会を毎年開催するなど、音楽プロデューサーとして活躍。文化庁外郭団体(財)全国公立文化施設協会の「芸術情報プラザ」設立時の音楽アドバイザーも務めた。
2002 年(財)札幌交響楽団が「解散の危機」に見舞われた際、大阪フィルを再建した実績を見込まれ、04 年8 月に同響事務局長に迎えられる。05 年韓国公演、11 年には楽団創立50 周年事業としてイギリス、ドイツ、イタリア公演を大成功させ帰国。15 年3 月に台湾公演を行い世界に肩を並べるオーケストラとして内外にアピール。北海道には179 市町村があり、このすべての市町村での公演をなしとげ、地域に密着するオーケストラとして文化庁から評価され、札響は「北海道の宝」と称されるまでになった。またオーケストラでは初めて公益財団法人認定を受けたている。在任中は(公社)日本オーケストラ連盟専務理事としても日本のオーケストラの指導的役割を果たす。2014 年3 月で事務局長を退任し顧問となり、15 年3 月台湾公演を成功させ、札響の再建を立派に果たし同月末で退任。2014 年6 月からは伊那文化会館館長に就任。伊那文化会館が目指す地域の啓発として、地元の子供たちの育成と地域社会への進出を掲げて、数多くのアウトリーチコンサートを企画実践することで、文化の地域格差をなくす運動に力を注いだ。その他、日光金谷ホテル音楽祭プロデューサー、北海道教育大学岩見沢校非常勤講師、民主音楽協会「東京国際指揮者コンクール」実行委員、(公財)ローム ミュージック ファンデーションの企画によるセミナーの運営責任者なども務めた。
2017 年静岡交響楽団専務理事に就任。20 年同響が浜松フィルハーモニー管弦楽団と合体し、富士山静岡交響楽団と改組、それまでのNPO から21 年一般、22 年公益財団法人化への立役者となった。現在同響専務理事を務める。

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