アウシュビッツ訪問と激しくシンクロ。「関心領域」の行間の奥深さに唸る【映画.com編集長コラム】
映画.com / 2024年6月2日 10時0分
ヘスの「アウシュヴィッツ収容所」は、驚くほど詳細で綿密なヘス本人による記録です。ホロコーストという未曾有の大量殺戮の現場を担ったナチスの将校が、いかなる苦悩と葛藤のもと、ミッションを遂行していったかが綿々と綴られています。
所長になったヘスは、次々にアウシュビッツに運び込まれてくる大量の収容者を、いかに速やかに、かつ苦痛を伴わせずに「処理」するかに頭を悩ませていました。当初は銃殺で対応していましたが、これだと他の収容者に聞こえる上に恐怖感を増長させる。撃つ側の罪悪感も半端ない。それより何より、とにかく効率が悪い。
ヘスはある日、究極のソリューションを見出します。害虫駆除用のガス剤「チクロンB」を使った大量殺戮に成功するのです。このガスならば、殺害は瞬時に完了し、処理された人々には苦痛の表情がそれほど見られない。これから運び込まれてくる大量のユダヤ人の処理について見通しが明るくなります。
「アイヒマンも私も、こうした未知の大量殺害の方法がつかめないでいた。ガスを用いることはたしかだったが、さてそのガスの種類と方法は? だが、今や、われわれは、そのガスと、方法をも発見したのだ」ヘスは著書で回想しています。大量殺戮の方法を見つけた喜び、安堵の気持ちを隠していません。
私の推測ですが、「関心領域」の中で「ヘス作戦」として語られるのは、このチクロンBを使ったガス室のガス噴射と、映画の中で葬儀屋が説明する火葬とのパッケージソリューションではないかと。大量のユダヤ人が「アウシュビッツに到着 → シラミの消毒と偽ってシャワー室へ誘導 → シャワーではなくチクロンBを放出 → 全員が死亡 → 速やかに火葬」というパッケージです。実におぞましい、しかし上司には賞賛され、自身の昇格を後押しするパッケージ。
ヘスは「私は、アウシュヴィッツで、大量虐殺の開始以来、もう幸せではなくなった」と述懐しています。映画の中で、ヘスが喜怒哀楽をあまり見せないのは、党のミッションと自らの人間性の間で板挟みになっていたからであることは明白です。それに加えて、ヘスの仕事に対する「妻の無関心」というのも実は大きかったのだということが同書からも明らかです。
「関心領域」では、とても残忍で濃密な主題(ホロコースト)を、核心部分を一切見せずに、現場の当事者とその家族というパーソナルな観点に移し、からめ手から描いたところはスタイルとしては斬新で、口当たりも意外にマイルドです。ところが、関連書籍などを当たってみると、製作陣の厖大なリサーチと緻密に構成されたプロットが慄然と存在していて、映画のクオリティが別次元であることが分かります。惨劇の記憶は、映画の行間に巧みに注意深く隠されています。
ルドルフ・ヘスは、アウシュビッツ収容所の敷地内で、1947年に絞首刑に処せられました※。この映画の監督ジョナサン・グレイザーはユダヤ人ですが、その件に関する言及はなく、ヘスを人間としてフェアに描いていると感じました。
アウシュビッツ訪問時、私は、その周辺に存在する「関心領域」について全く知りませんでした。これから同地を訪れる方は、果たしてその領域が今も存在しているのか、注意を払って見学いただけたらと思います。私も、機会があればもう一度同地を訪れてみたいと強く思いました。
※編注:本作に登場するルドルフ・ヘス(ルドルフ・フェルディナント・ヘス)は、ナチスで総統代理を務め、戦後ニュルンベルク裁判で終身刑に処せられたルドルフ・ヘス(ルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘス)とはまったくの別人です。
(駒井尚文)
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