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【「蛇の道」評論】世界のどこにいても黒沢清は黒沢清である

映画.com / 2024年6月16日 10時0分

 黒沢清監督は「ダゲレオタイプの女」(2016)でもフランスでの映画製作を実践していたが、たとえ海外のスタッフと組んで撮影したとしても<黒沢清の映画>になるという不可思議が存在する。ロケーションに依らない強い個性が映像から滲み出てくるのだ。それゆえ、キャストやスタッフがフランスの人々であったとしても、不思議なことに<世界のどこにいても黒沢清の映画は黒沢清の映画である>ということに尽きるのである。撮影者が異なったとしても、撮影場所が海外であったとしても、映像のルックが<黒沢清の映画>になるという不可思議。実はこのことについて、我が恩師でもある黒沢清監督に尋ねたことがある。「言葉がわからないのでダメ出ししようがない。スタッフみんながOKだったらそれでOKなので、むしろ楽だった」と談笑されていたのはリップサービスだと思うのだが、黒沢清という監督がどのような演出を求めているのかをスタッフ全員が共有し、そのことが共通言語となっているからこそ成せる技なのだろう。また黒沢清監督は授業で、犯罪をモチーフにした映画における警察の存在の重要性を示唆していたことも思い出す。今作では小夜子が警察から駐禁を咎められる(1998年版にはない)くだりを挿入しているが、どんな理由があろうとも犯罪に加担する側が<法を犯す存在>であると示している点が実に興味深かったりするのである。(松崎健夫)

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