【「Shirley シャーリイ」評論】作家の生活と小説世界を交錯させる企み。意図的な“不快さ”への態度が試される
映画.com / 2024年7月7日 21時0分
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シャーリイ・ジャクスンの小説を読んだことがないまま、よくある伝記映画のつもりで「Shirley シャーリイ」を観始めたら、戸惑うか、途方に暮れてしまうかも。そして、ある種の不快さと不穏さが観終わった後に残り続けるかもしれない。だが、それこそが作り手たちの狙い通り。これは伝記を装って、シャーリイの小説世界を体感させる企みなのだ。
シャーリイ・ジャクスンは1916年にサンフランシスコで生まれ、大学でのちに文芸評論家となるスタンリー・ハイマンと出会い、卒業後に結婚。夫がベニントン大学の教授職を得た45年、バーモント州ベニントンに居を移す。48年、デビュー長編を発表したのち、小さな村で開催される奇妙な伝統行事を描いた短編「くじ」がニューヨーカー誌に掲載されて名声を確立。51年には、数年前にベニントン大の女学生が失踪した事件に着想を得た長編第2作「絞首人」を発表。65年に心臓病により48歳で死去するまで、約20年にわたり長編6作と短編200作以上を執筆した。
映画の原作になったのは、米国人作家スーザン・スカーフ・メレルが2014年に発表した小説「Shirley」。メレルは、シャーリイが女学生失踪事件に関心を持ち次回作の構想を練っている時期、スタンリーの助手になったフレッドとその妻ローズという架空の若夫婦がシャーリイらの家で共同生活を始める設定でストーリーを構築。これを基に製作も兼ねるサラ・ガビンズが脚本を書き、英国生まれ・米国育ちのジョセフィン・デッカー監督が長編第4作として映画化した。
映画はローズ(オデッサ・ヤング)とシャーリイ(エリザベス・モス)の視点が切り替わりながら進む。ローズは観客の代わりとなってシャーリイとスタンリー(マイケル・スタールバーグ)に出会い、小説家と評論家というプロ同士の信頼や駆け引きと愛憎が錯綜する生活に翻弄されつつも、憧れの作家に傾倒していく。スタンリーに頼まれ家事を任されたローズを当初は邪険に扱うシャーリイも、健気に世話を焼くローズに失踪した女学生ポーラとの共通点を見出し、構想に活かしつつローズとの絆をはぐくんでいく。
シャーリイの視点で最初不明瞭だったポーラの顔が、やがてローズと同じ相貌になる(オデッサ・ヤングが二役)くだりは、まさに構想を練っている小説家の脳内をのぞき見るような感覚だ。そんな空想上のポーラが、たとえばローズも参加しているパーティー会場に出現しシャーリイに向かって不敵に微笑むシーンで、観客もまた現実と虚構の境界を見失い不確かな時空間に迷い込んだような感覚にとらわれる(2015年のドイツ映画「ヴィクトリア」で全編140分ワンテイク撮影で注目された撮影監督、シュトゥルラ・ブラント・グロブレンによる浮遊し流れるようなカメラワークが効果的)。「絞首人」との関連を挙げると、大学に入学した主人公ナタリーとラングドン教授夫妻の関係性は、ローズとスタンリーおよびシャーリイとの関係と緩やかに対応し、ナタリーは小説後半で分身と思しきトニーと交流する。先述した本作の成り立ちを考え合わせるなら、「絞首人」の構成要素を分解してリバースエンジニアリングにも似た手法で着想から執筆に至る過程を再現し、さらにはシャーリイ作品の幻惑的な世界に没入させることが作り手たちの狙いというわけだ。
この10年ほどの倫理観に照らすなら、主にスタンリーによる振る舞いはモラハラ、パワハラ、セクハラのオンパレードで、不快な印象をもたらす大きな要因になっている。だが原作小説が2014年に書かれたことと、原作者、脚本家、監督いずれも女性であることを思い起こせば、それも意図的であることは明らか。怪奇幻想作家と呼ばれたシャーリイが、フェミニズムの要素を含めて近年再評価されているのも、1940~50年代当時の抑圧された女性たちの「声ならざる声」を表現していたからこそだろう。「Shirley シャーリイ」がもたらす“不快さ”をやり過ごすのではなく、無自覚なハラスメントを行っていないかをかえりみて自戒する契機としたい。
(高森郁哉)
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