キーティング先生、ありがとう――「いまを生きる」【コラム/スクリーンに詩を見つけたら】
映画.com / 2024年12月15日 18時30分
「わたしが森に引きこもった理由――それは、大地に根ざした暮らしをしたかったからだ」「わたしは思慮深く生きたい、生きることの精髄を心ゆくまで味わいたい」「生活でないものはことごとくふるい捨てよう」「わが身が息絶えるそのときに、わが人生に悔いなしというために」。
生きることの精髄を心ゆくまで味わう。きっとどんな時代にも、それは最も難しい謎だったし、最も野心的な挑戦だった。それは、社会の常識や良識と言われるものをいったん全部脱ぎ捨てて、裸で自分と向きあうようなことだ。そしてそれは自ずと、なぜ生まれてきたのかよくわからないのにいつか死ぬという、人間全員に課せられた(そしてほとんどの人間が見ないことにしている)不条理と向きあうことだ。
そもそもたいていの場合、そんなことをやってみてごらん、やっていいんだよと耳打ちしてくれる人が、学校や社会にはいない。幸か不幸か、自分の詩人とほんとうに出会ってしまった者だけが、その可能性を知る。この映画の主役である男の子たち――ニールやトッドやオーバーストリートにとっては、それがキーティングだった。
韻を踏まない新しいリズムで英語の自由詩の新時代を切り拓いたウォルト・ホイットマンの「草の葉」には、どこか聴く人をその熱い血潮の渦に巻きこんでいく演説のようなところがあって、言葉による扇動の危うさを知っている現代の私たちから見ると、その鼓舞の力を鵜呑みにできないところもある。そしてその「草の葉」から引用した詩句によって、慕ってくる生徒たちに自分のことを “O Captain! My Captain!”(おお船長よ! わが船長よ!)と呼ばせるキーティング先生には、冷静に考えてみるとやっぱり、ちょっと自分に酔いすぎてやしませんか?と言いたくなる。でも、もし私が当の生徒だったらどうだろう――。
この原稿を書きながら、私には思いだしているひとりの高校の恩師がいる。世界の歴史がどんなふうに興亡を繰り広げてきたかを力強く語ってくださったその人は、もう随分前に若くして亡くなってしまった。先生が教壇に立ったときの格好良さ、豊かに波打っていたきれいな黒髪、その一言一言が力強かった張りのある声――いつも堂々として、あの手この手のユーモアで笑わせてくれて、叱ってくれて、けっして私たちを馬鹿にしなかった――を、いまでもはっきりと思いだせる。
親が示す生き方のほかにはまだ何の手がかりも持たない者、とても狭い場所に閉じこめられた者に、まったく別の人間のあり方を見せてくれる人がいること。自分の声で堂々と自分を語ることは、恥ずかしいことではないと、教えてくれる人がいること。それを嘲笑し馬鹿にする者はただ、ほんとうに生きることを、まだ知らないだけなのだと知ること。それが、学校という場所の、いちばん大きな存在意義なんじゃないだろうか。
ひとりでもそんな先生に出会えたことのある人なら、後できつい処分を受けるとわかっていても机の上に仁王立ちして“O Captain! My Captain!”と去り際の恩師に呼びかけざるをえなかったトッドの気持ちが、きっとわかる。すくなくとも私には、すこし、とても、よくわかる。
参考文献・引用元:
N・H・クラインバウム著/白石朗 訳『いまを生きる』新潮文庫
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