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日本初の女性プロデューサー誕生70周年、水の江滝子プロデュース全29作品発売 石原まき子、浅丘ルリ子、和泉雅子、倉本聰からメッセージ

映画.com / 2024年12月22日 6時0分

 なお、YouTubeチャンネル「日活フィルム・アーカイブ」(https://www.youtube.com/channel/UCOEpxi0ABKUYfLqF6KwJoRA)では、日活の歴史的名作から貴重な映像を毎週無料で紹介しており、水の江滝子の関連作品も、特報や予告編のほか、解説動画を順次配信していく。

 さらに、AmazonPrimeVideoの有料チャンネル「日活プラス」(https://www.amazon.co.jp/channels/nikkatsuplusjp)では<企画:水の江滝子>の作品をいち早く配信。芦川いづみ本人が自身のベスト出演作に選んだ「硝子のジョニー 野獣のように見えて」、水の江滝子最後のプロデュース作である原田芳雄主演「反逆のメロディー」など、日活スターの出演作、名作の4K版からこれまで未配信・未DVD化だった作品まで400作品以上を月額390円(税込)で楽しめる。

▼コメント一覧

昭和31年4月14日、午前11時30分、私は初めて裕さんに逢いました。映画のロケから戻って撮影所へ衣裳合わせに行った時に、水の江滝子さんが「マコちゃん、石原慎太郎の弟にちょっと会って」と言われたのです。それが私たちの初共演の「狂った果実」(56年)のオファーの日でした。水の江さんは、慶應大学生だった裕さんを見出して、日本映画を代表するスターに育てた文字通りの名プロデューサーであり、私にとっては生涯のパートナーに出逢わせてくれた大恩人です。 ――石原まき子(女優)

14歳の頃、新聞で「緑はるかに」(55年)のヒロイン募集を見て、全くの素人だった私は、オーディションを受けました。日本初の女性プロデューサー、水の江滝子さんの企画です。そこで中原淳一さんに見出されて映画界に入りました。それから七年後には、石原裕次郎さんとの「憎いあンちくしょう」(62年)を企画してくださいました。少女から大人へ、私の転機となった映画は、水の江さんがプロデュースして下さったのです。本当に感謝しております。 ――浅丘ルリ子(女優) 写真:「緑はるかに」 左:浅丘ルリ子、右:水の江滝子

まだ13歳だった私は、コメディエンヌに憧れて柳家金語楼先生に弟子入りしていました。学校帰りにNHK「ジェスチャー」収録で、紅組キャプテンだった水の江滝子さんが、制服姿の私を見て、先生に「ちょっとこの子を貸して頂戴」ということで、日活で「七人の挑戦者」(61年)に出演することになりました。まだ中学生なのに18歳の役でした。それがきっかけで日活に入社、楽しい、楽しい「映画の青春」時代がスタートしました。今の私があるのも水の江滝子さんのおかげです。 ――和泉雅子(女優) 写真:「牡丹と竜」

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