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NGT48・西潟茉莉奈、グループ最年長が10年目にたどり着いたアイドル象とは

エンタメNEXT / 2024年8月26日 6時1分

NGT48・西潟茉莉奈、グループ最年長が10年目にたどり着いたアイドル象とは

NGT48・西潟茉莉奈 撮影/たむらとも

NGT48の最年長として活動を続ける西潟茉莉奈。前編では、グループにおける自身の役割を聞いた。後編では、最年長としてのあり方、これまでの歩みにスポットを当てる。すると、最年長がたどり着いたアイドル哲学を教えてくれた。

【別カット】西潟茉莉奈、撮りおろしカット

 西潟茉莉奈はNGT48最年長である。10月で29歳になる。2019年4月、柏木由紀がAKB48との兼任を解除されて以降、5年以上この肩書を背負ってきた。西潟「最年長ということで覚えていただけたり、最年少とコンビを組んでのお仕事をいただいたりするから、おいしいポジションだと思っています。今までは気にしている部分もあったけど、ここまできたらそれを武器にしようと思うようになりました。

 ただ、実際の私は兄がいて、妹なんです。家でも同期といるときも妹タイプで、(本間)日陽からは『妹だよね~』って言われます。同期だけでいる空間では、食べ物を取り分けるのは日陽で、私は見ているだけ(笑)。トークを回してくれるのは日陽でした。1期生が少なくなってきたら、さすがにしっかりしなきゃと思うようにはなりましたけど」

 しっかりとした大人。それが西潟茉莉奈の印象だ。それは、彼女がバイトAKBだった時代から変わっていない。

 バイトAKBとは、半年間の期間限定で募集された企画で、合格者たちは物販でファンに商品を手渡したり、バックダンサーとして登場したりと、その活動は多岐にわたった。

 そのバイトAKBに応募したのが、この世界に足を踏み入れるきっかけとなった。中学2年次にAKB48のオーディションを受けているが、都合が合わずに最終審査を辞退した過去があった。そのため、18歳になっても「アイドルになりたい」という思いはくすぶったまま消えることはなかった。

西潟「バイトAKBのメンバーになったのが、10年前の秋でした。母から『これならやれるんじゃない?』と勧められたんです。でも、バイトAKBの活動は想像以上に過酷でした。振付や立ち位置をはじめとして、アイドルってこんなにも覚えることがあるのかと驚きました。身も心も疲れてしまったから、バイトAKBの子がドラフト会議の候補生になれる最終オーディションがあったにもかかわらず、私は辞退しようとしたんです。そのオーディションの日の朝、母と大喧嘩をしました。アイドルになりたかった過去がある母は、私にその夢を託そうとしていました。『落ちてもいいから行くだけ行きなさい』と背中を押されて、泣きながら会場に向かいました。結果、そのオーディションに合格して、ドラフト会議で指名してもらって、今の私があります」

 人生は何が起きるかわからない。西潟は身をもって体験した。東京育ちの西潟は、母への感謝を忘れない。

西潟「東京でお仕事があったら、実家には帰るようにしています。今でも考えることがあります。あの日、母に背中を押されなかったら今頃、何をしていたんだろうって。芸能活動はせずに、働いていたでしょうね」



 アイドル歴は10年目を迎えた。つらいこともあった。

西潟「辞めたいと思ったことは何度もありました。何度も心が折れかけました。でも、その度に踏みとどまれたのは、ここで辞めたら後悔すると思ったからです。どんな状況だとしても応援してくださる方がいらっしゃいます。私が目標を見失って、走れなくなっていたときも支えてくださいました。ここで辞めちゃったら、応援してくださる方が悲しむと思いました。自分でやり切ったと思えるタイミングで卒業したいです」

 第9回選抜総選挙(2017年)は41位、翌年の第10回は24位に食い込んでいる西潟。ファンに支えられて得た結果だ。なぜ彼女はファンを熱くさせることができるのか。

西潟「アイドルとして一番大事なことは、思いを共有することだと思っています。嬉しかったこと、悔しかったことをメール(NGT48 Mailサービス)で伝えるようにしてきました。その結果、家族みたいな存在になりました。応援してくださる方をもっと知りたい気持ちがありますし、メールの返信の文章を見ただけで、「あっ、○○さんだ」とわかるようになりました。選抜総選挙が開催されなくなった今は、一緒に楽しみたいという気持ちが強くなりました。私がパフォーマンスするうえでの信条は、常に楽しんでいただくことです」

 ファンを楽しませること以外も考えないと、グループの発展はない。西潟はそう考えている。

西潟「Jリーグのアルビレックス新潟さんは平日に数万人の観客を集めて試合をしています。試合のある日は市内に大渋滞が起きるほどです。地元で愛されている証拠ですよね。私たちもいかに地元に密着していけるか、ということを考えています。農業のお手伝いをさせていただいたり、柏崎市の花火大会の応援サポーターに就任させていただいたりしていますけど、アルビレックスさんに比べれば、まだまだです。

 私たちの武器は専用の劇場があることです。いかに足を運んでいただけるようにするか。そのためには、身近な存在であることが大事だと考えています。今回のシングルでも宣伝を頑張りたいですね。道を歩いていて、声を掛けられるようにならないと!」

 そう考えるのは、見据える目標があるからだ。

西潟「いつかまた朱鷺メッセでコンサートがしたいです! 私たちは北原里英さんの卒業コンサートで朱鷺メッセに連れていってもらえました。同期の荻野由佳ちゃんが卒業コンサートをした会場でもあります。朱鷺メッセのステージを経験していない後輩たちがいますから、私たちが見た景色を後輩たちにも見せてあげたいんです。ファンの方の熱さがあれば、それは可能だと思っています」

 最大1万人が収容できる朱鷺メッセ。満員に膨れ上がる憧れの地を夢見て、西潟は活動を続けている。幾多の困難に出会っても諦めなかったように、朱鷺メッセへの道も諦めてはいない。

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