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“諦めの悪いアイドル”SKE48熊崎晴香が苦節12年で出した初センターという答え「私には時間がない」

エンタメNEXT / 2024年9月1日 6時1分

“諦めの悪いアイドル”SKE48熊崎晴香が苦節12年で出した初センターという答え「私には時間がない」

SKE48

熊崎晴香は、27歳にして目標だったセンターの座を掴んだ。10月2日、SKE48が発売するシングル『告白心拍数』を真ん中で歌うのだ。栄光に至るまでには紆余曲折があった。タイムリミットも感じていた。これは、一人のアイドルが夢に到達するまでの記録である。(前後編の後編)

【写真】熊崎晴香、昨年発売した1st写真集カット【3点】

SKE48の6期生・熊崎晴香はセンターに立つことを夢見ていた。その思いは研究生時代からブレることはなく、正規メンバーに昇格すると、ファンの前で「センターになりたいです!」と宣言した。 

当時のセンターである松井珠理奈は、後輩である熊崎を高く評価していた。

熊崎「6期生が研究生だった頃、珠理奈さんが私たちのレッスンを見に来てくれたことがありました。珠理奈さんは6期生を集めると、『この中でセンターになりたい子はいる?』と聞いてきました。そこで手を挙げたのは私だけだったんです。私はそのことをよく覚えていないんですけど、その日から珠理奈さんは、私がセンターに立つことを望んでくれるようになりました。『そういう根性がある子がセンターには向いているんだ。絶対立ってほしい』と何度も直接声をかけてくれました」

珠理奈がSKE48を卒業したのは、2021年春。熊崎の心はざわついた。次のシングルのセンターは誰なのか? 秘かに期待をした。

熊崎「私がセンターに立つならこのタイミングだって思いました。もしここで立てなければ、時代は次の世代へと移ってしまいますから。一度変わってしまった時代の流れを逆行させるのは簡単なことではありません。焦りもあったし、期待もありました」

予感は的中する。珠理奈が卒業して初のシングル『あの頃の君を見つけた』でセンターに指名されたのは、林美澪だった。当時の林は中学1年生の12歳。10期生として加入。研究生ながら、将来を嘱望されたスーパールーキーだった。

熊崎「グループのためを考えるならそうだろうなって納得してしまう自分がいました。自分がグループを盛り上げたかったけど、自分の欲をここで出すべきではないと思いました」

熊崎に与えられたポジションは林の隣。初選抜にして初センターの中学生を支えてあげてほしい。スタッフのそんな思惑を熊崎は察知し、受け入れた。

続くシングル『心にFlower』のセンターも林。またダメだったかという悔しさと、仕事に真摯に向き合う中学生を支えようという思いが交錯した。

今度こそ。そう願ったシングル『絶対インスピレーション』のセンターは、青海ひな乃が立つことになった。青海は9期生。パワフルなダンスと類まれなる統率力が魅力的なメンバーだ。

熊崎「青海ちゃんが所属するTeam Sの公演を観に行ったんです。彼女が踊る姿を見たら、文句は言えませんでした。私も好きになっちゃいましたから。オーラがハンパないですし、ハッキリと物を言う性格は私にはないものでした。人としても、パフォーマンス面でも尊敬できる後輩でした。『絶対~』の私のポジションは1列目の端でした」

続くシングル『好きになっちゃった』と『愛のホログラム』では、7期生の末永桜花が連続でセンターを務めた。

熊崎「劇場公演で、勢いのあるメンバーって、ファンの方が持つペンライトを見ればわかるんです。その頃、ピンクのペンライトが目立つようになっていました」

ピンクは末永のカラーだ。



熊崎「はー、また立てなかったか……。そう思いました。でも、おーちゃん(末永)もそうだけど、誰がセンターに立っても納得していました。3人とも魅力的なメンバーでしたから。でも、悔しさは消えていませんでしたし、向上心だけは持ち続けようと思っていました。ただ、そろそろ限界だなって感じ始めてもいました」

熊崎の気持ちは切れる寸前だった。研究生時代から願っていた、センターに立つという夢を目前にして、「限界」という文字が頭にちらつくようになった。

熊崎「もし今後センターに立つことがあったとしても、〝思い出センター″になってしまいます。そうしたくはなかったんです」

思い出センター。それは、卒業することが決まっているメンバーに対して、運営がこれまでの労いの意味を込めてセンターに指名することである。熊崎の願いは別のところにあった。

熊崎「センターに立つということは、これからのグループを引っ張っていく顔になるということ。一度センターに立てたから、『じゃあ卒業します』というのは無責任です。それに、大切なシングルを自分のためだけに使うことになってしまう。シングルはグループのためにあるものですから、そうしたくはなかったんです」

自身の年齢のことも気になっていた。

熊崎「前作の時点で26歳でしたから、私には時間がないと思っていました。タイムリミットが迫ってきている感じがしていて……。気持ちには限界がないけど、年齢的なタイムリミットを感じていました」

そして、迎えた今作。熊崎は念願のセンターに立った。諦めなかった自分の意志が最高のポジションへと運んでくれた。と同時に、ファンへの感謝も忘れていない。

熊崎「この5作、私はありがたいことに前の方のポジションでした。そこに立てるのはファンの方の応援があればこそです。ファンの方も私のセンターを期待してくれていました。もし他のメンバーを応援するようになっていれば、立ち位置をキープすることはできませんでした。ファンの方も私に似て、諦めが悪いんです(笑)」



スタートは馬群に沈んでいた。しかし、最後尾からするするっと抜け出し、12年かけて1着でゴールした。

熊崎「最近は同期の卒業が続いているから、私も卒業するんじゃないかってファンの方に心配されているんです。心配してくださる方に早く言いたいです、『私、センターになったよ!』って。もし今回のシングルでセンターになれなかったら、自分の気持ちにケリをつけようとしていたけど……やっぱり嬉しいですね」

苦節12年。諦めの悪いアイドルがひとつの答えを出した。今後やってみたいことは?

熊崎「今後もセンターに立ちたいです。そして、競馬や中日ドラゴンズ関連のお仕事で自分の名前を広めていって、SKE48に還元していきたいです。私が参考にさせていただいているのは須田亜香里さんです。亜香里さんがセンターに立つって発表されたのは28歳のときでしたけど、当時の亜香里さんはテレビに出まくっていましたよね。センターは亜香里さんしかいないってみんなが感じていました。私もそんなグループの顔になりたいです」

【前編】アイドル12年目で初センター…SKE48熊崎晴香の原点「研究生の時、母の言葉にショックを受けて」

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