90年代、環七ラーメンブームはなぜ終わったのか? 「青葉」「くじら軒」「麺屋武蔵」という革命
エンタメNEXT / 2024年9月21日 11時31分
下頭橋ラーメン(ときわ台)。かずあっきぃ氏がハマった「土佐っ子」(ときわ台)で修業した方が独立開業。その味がほぼそのままの形で味わえる貴重なお店。撮影/かずあっきぃ
日本全国のラーメン店の発掘と紹介をライフワークとし、年間700杯以上のラーメンを食べ続け、生涯実食杯数は20,000杯超という日本屈指のラーメンフリーク、通称「ラーメン官僚」こと、かずあっきぃ氏。今回、日本におけるラーメンの歴史や文化、その進化を語り尽くす短期連載がスタートした。最初の3回では、首都圏のラーメンブームの走りである、「環七ラーメンブームとは、いったい何だったのか」をテーマに、当時の原風景を振り返る。(第2回)
【写真】下頭橋ラーメンの「ラーメン」
「環七ラーメンブーム」が終焉を迎えたのは1995年頃だと言われていますが、もちろん、実際には、いきなりパタっと「はい、終わり」となったわけではありません。環七以外の場所に、いろんなタイプのラーメンを出す店が生まれ、徐々に増え、いつの間にかブームが終わっていたという感覚がより実態を表したものだと思います。
というのも1996年頃から、わたしは本格的なラーメンの食べ歩きを始めたのですが、その当時、「どの店のラーメンが美味い」といった情報は、雑誌から得るのが主な手段でした。わたし自身も情報誌のラーメン特集を見て食べ歩きを始めましたが、それらの雑誌を通じて、ラーメン界に大きな変化が起こりつつあることを実感していました。
あちこちに美味しいラーメン店が増え始めていた。そんな状況の下、ラーメン店の情報だけが載っているデータ本が多く発売されるようになりました。都内の区ごとに数店舗ずつ紹介された本だったり、ラーメン店の店名をあいうえお順に並べた目次が付いている本だったり。いわゆる「ラーメン本」と言われるものですが、そんな本が発売されるほど、どの街にも美味しいラーメン店がまんべんなく存在する時代が訪れたのです。
少し話が逸れますが、ラーメン食べ歩きの世界には「点を線にし、さらに面にして、再び点に戻る」という鉄則があります。
わたしも食べ歩きを始める前は、その日の気分で評価が高い店舗を巡回していました。それって、東京という大都市にある、たかだか数店舗をローテーションで回っているだけ。ラーメン店を「点」としてしか捉えていないことになりますよね。
そうではなく、例えば区や、鉄道路線の沿線で“ローラーを掛けていく”んです。すると、頭の中のラーメン店の分布が「点」から「線」になってきます。中央線のラーメン店を片っ端に潰すのであれば、「今日は新宿、明日は大久保、明後日は東中野のラーメン屋」というふうに動き、ある程度極めたら、次は路線と路線の間の、駅から比較的離れたお店を訪問する。すると、分布が「線」から「面」になる。あとは、新しい店ができた時にその店に行けば良いだけです(点に戻る)。そうやって都内全域を食べ歩いていました。
実はラーメンの食べ歩きを極めるに当たっては、インターネットから情報を得るだけでは、十分ではありません。インターネットだと、評価が高い限られた数のお店ばかりが目に付いてしまい、どうしても「点」に着目した食べ歩きになってしまいがちです。
ネットがなかった時代、わたしたちの世代の食べ歩きは、常に点と線と面を意識しながら食べ歩いていたので、少なくともラーメン本に掲載されている範囲内においては、取りこぼしがありませんでした。わたしなんて、あえて、どんなラーメンを出す店なのかすら確認せず、ひたすら目次と地図だけを見ながら食べ歩いていましたから。
随分話が逸れましたが、90年代も後半に入る頃には、少なくとも一都三県においては、一冊のラーメン本が作れるくらい美味しいラーメン店が増えてきた。そういった空気感の最中、1996年という、ラーメン界に大激震をもたらしたビッグイヤーが訪れます。その年に「青葉」、「くじら軒」、「麺屋武蔵」の3軒のラーメン店がオープンしたのですが、この3軒が誕生したことで、環七ブームが一気に終焉に向かうことになったのではないかと考えています。
この3軒の特徴は、大きく3点あります。ひとつは、駅から近く車がなくても容易にアクセスできること(横浜のセンター北にある「くじら軒」はさておき)。「青葉」は中野駅、「麺屋武蔵」は青山一丁目駅のすぐ近くに本店がありました(「麺屋武蔵」はその後、新宿に本店機能を移転。移転後の本店も新宿駅から徒歩圏内である)。
2つ目の特徴として、共に従来のラーメン店とはタイプが異なる外観(ファザード)を採用したという点です。誰もが気軽に入店できる店構えにすることで、ファミリー層や女性客などの新たな客層を獲得することに成功した。
3つ目の特徴として、これは言わずもがなですが、ラーメンの味が革命的だったことです。鶏と豚で取った動物系スープに、魚介スープを合わせるラーメンづくりの手法を採り入れました。その味に倣うお店が増えていった結果、ラーメンシーンは新たなステージへと突入したのです。
とはいえ、実を言えば1980年代から魚介素材を積極的に採用していたラーメン店はありました。2024年現在、人気が高いラーメンジャンルとして君臨している「神奈川淡麗系」のはしりである「支那そばや(1986年創業)」ですね。当時は、インターネットもなかった時代。あるジャンルのラーメンが誕生してからブームとして注目されるまでに、それなりの歳月を経る必要がありました。
「環七ラーメンブーム」もしかりで、背脂チャッチャ系ラーメンそのものの誕生から、それが「環七ラーメンブーム」として注目を浴びるまでの間には、相当なブランクがありました。
構成/大泉りか
【1はこちら】年間700杯を食べ歩く男、ラーメン官僚が語る90年代「環七ラーメンブーム」熱狂の正体と原風景
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