お見合いは古い? 変わるインドの結婚事情…アカデミー賞インド代表選出『花嫁はどこへ?』監督に聞く
エンタメNEXT / 2024年10月10日 19時5分
© Aamir Khan Films LLP 2024
『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1994)をアーミル・カーン主演でリメイクした『Laal Singh Chaddha』(2022)や『シークレット・スーパースター』(2017)など、ボリウッドの最前線で活躍するプロデューサーとして知られるキラン・ラオ。『ムンバイ・ダイアリーズ』(2010)以来、約13年ぶりに自ら監督を務めた『花嫁はどこへ?』が、第97回アカデミー賞において、国際長編映画賞のインド代表に選出されたことで注目が集まっている。
【写真】アカデミー賞にインド代表で選出『花嫁はどこへ?』場面写真【13点】
もし実際にノミネートされれば、インドとしては『ラガーン』(2001)以来となる。そしてその『ラガーン』は、キランが助監督を務めたいた作品でもあるのだから、劇的なシナリオにはなってくるが……どうなるだろうか。
さて、そんな今作は何を描いているかというと、インドの結婚事情である。と言っても、舞台は2001年。つまり20年以上前の話になってくるのだが、インドでは、少し前まで結婚はお見合いが一般的とされており、映画やドラマでも当たり前のように、日常的に、何の違和感も無く描かれてきた。
ところがここ数年で、それは激変した。お見合い結婚というものが、良いものとして扱われなくなってきたのだ。それどころか悪しき風習、女性の自立を妨げる時代錯誤なものとして、風刺的に扱われることが圧倒的に多くなってきたといえるだろう。
もちろん今でも地方の集落、保守的な家庭、家と家とを繋げることが重要視される富裕層などの間では、お見合い結婚は当たり前であるが、ただそれは、インドに限ったことではない。極端なことをいうと日本も一部はそうではないだろうか。どうしても極端な部分を取り上げて、全体的にそうだというイメージを与えてしまっているが、インドは、かなり現代的な国である。
スマホで世界中の情報にアクセスできる今となっては、互いを知らないで結婚するという行為自体がファンタジーのように感じている若い世代も多い。
そのため若い世代を中心に描いた作品では、お見合い結婚は邪道という扱いでしかない。例えばデビー・ラオが手掛けたAmazonプライムドラマ「ディル・ドスティ ~夏休みのジレンマ~」では、ベンガルールにある都会と田舎が舞台となっており、現代女子のアスマラが、家系繁栄のために結婚させられそうになった親友の親族に対して「親や家のためのお見合い結婚なんて時代じゃない!バカじゃないのか!!」と物申すシーンがある。
これはインド中の女性が思っていることであるが、目上の人に物申すことが許されない保守的な家庭などもあったりするなかで、かなり痛快な作品となっていた。かと言って、決して古典を否定しているわけではない。格差やジェンダー差別に通じる価値観や概念は今こそ打ち崩すべきだと言っているのだ。
それは極端な例かもしれないが、近年のお見合結婚の描かれ方として、一番多い描き方は、結婚したのちに、互いの価値観や生活の違いに困惑することに直面したり、夫がとんでもないDV夫や殺人鬼だった……など、互いを知らないで結婚すると”こうなるぞ!”という、皮肉的に描かれるパターンだ。
直近の作品で印象的だったのは、アイシュワリヤー・ラジェシュ主演のタミル語映画『DeAr』(2024)である。結婚生活が始まると相手のいびきの大きさが気になって不眠症になってしまうという風刺コメディになっていた。この作品は”いびき”としてコミカルに誇張されているものの、互いを知らないままで結婚すると、そういうことになりかねないという教訓が多く含まれている。結婚相手が入れ替わってしまうという点では、少しテイストしは違うがNetflix映画『わたしたちの愛の距離』(2021)なども今作に近いものがある。
ただ、誤解してはいけないのが、お見合い結婚が完全悪というわけではないということ。それは良くも悪くもインドの文化であるからだ。結局のところ結婚するふたりの問題になってくるのだが、全ての人が自己主張できるわけではない。だったら、周りの人々の価値観や概念を変えていかなければならない。伝統と現代文化のバランスをどうとって、どうアップデートしていくか。それは結婚する当人たちはもちろん、保守的な概念を受け継いできてしまった親世代に与えられた課題である。
今作もお見合い結婚だからこそ、インドの文化だからこそ起きた珍事件を扱ったものとなっているのだが、重要なのは、周りの理解と変化を描いており、2001年という絶妙な時代設定にしている点である。
2000年代初期といえば、まだまだ自立した女性、自立しようとしている女性が色眼鏡で見られていた時代。夫がいない成人女性は家を借りることも、仕事につくこともでないといった概念が当たり前に蔓延っていた時代だ。ところが人間というものは、変化できる生き物である。それは良くも悪くもではあるが、今作においては、良い変化の兆しが随所に描かれている。
もし今作が、舞台と同じように2001年頃に制作されたものだったとしたら、まだ課題が山積みだと思ったかもしれない。しかし現代のインドはどうだろうか。圧倒的に変化している。完全男性社会といわれていた映画界でも当たり前のように女性クリエイターが活躍できる時代となった。文化や風習といった”システム”に支配されるのではなく、感情をもった人間として、どう抗っていくかが重要であり、インドの人々はそれに気づいてきている。
極端な部分を切り取って、”インドは女性蔑視だ”と言うことは簡単なことかもしれない。しかし、それよりも良い部分や変化にもっと目を向けてもらいたい。今作は、そんな変化と兆しを描いた人情劇である。
今作が完全に”昔話”と言える時代になっているだろうか。それはインドの人々にとってもそうだし、他の国も同様である。それを改めて見つめ直す良い機会となることを願っている。
そしてこの度、監督・プロデューサーを務めたキラン・ラオにインタビューすることができた。
──今作はジオスタジオ配給ですが、ジオスタジオは女性が主人公でいて、女性の強さを体現した作品を多く配給しています。例えば『Mimi』(2022)や『Mrs』(2023)などもそうですが、去年の東京国際映画祭で上映された『相撲ディーディー』(2023)もジオスタジオでした。その際に監督とプロデューサーの方にもインタビューしたのですが、スターが出演していなくても女性を強く描いたものであり、なおかつ物語が優れていれば協力してくれる体制があると言っていました。実際に今作においてジオスタジオが大きな助けとなったという感覚はありますか?
キラン・ラオ監督 確かにプロモーションなどの部分で、ジオスタジオに気に入ってもらえたことは大きいですが、完成してから配給してもらうということが決まっていたので、作品自体に口を出すことは無かったです。
とくにプロデューサーのジョーティー・デーシュパーンデー(『Mrs』や『相撲ディーディー』のプロデューサー)は、進行的な女性の物語をもっと広めたいと思っている方なので、国際的にも展開したいという意思も強かったです。より多くの人のもとに作品が届いたのは、ジオスタジオのおかげですね。
──今作のなかで”警察が怖い”という描かれ方がされています。結果的には良いエピソードとして扱われていて、極端な相手が心を動かされるのも時代の変化のひとつのように感じました。しかし他の作品を観ても、まだまだ警察があまり良く描かれていなかったり、権力者や富裕層ばかりに味方したりと、皮肉的に描かれていることが多くあると思います。ボリウッドではローヒト・シェッティが「シンガム」シリーズなどの「コップユニバース」のおかげで警察がヒーローとして扱われることも多くなってきたとはありますが、そもそも警察があまり良く描かれないことに国民性などの理由はあるのでしょうか?
キラン・ラオ監督 興味深い質問ありがとうございます。今作のマノハル警部補(ラヴィ・キシャン)は、ふり幅が大きいキャラクターです。彼のモラルは、独自のものです。
ワイロを受け取っていながら、一方で夫に不当な扱いを受けていたジャヤ(プラティバー・ランター)のために立ち上がる人情も持ち合わせている。つまり人間は、状況や環境次第で変化するグレーな部分を持ち合わせており、マノハルは、それを体現しています。
“警察が怖い”というのは、状況次第で正義にも悪にもなる。最初から白黒付けられない不安感を表しています。今作のマノハルにおいては、結果的に弱者側についたものの、実際はそうとも限りません。
かつては融通がきかなくて、権力者に肩入れする、ステレオタイプな汚職警官がヒーローのように描かれていた時代もあったりしましたが、実際には中間的な警察がほとんどです。そのなかで極端にヒーローだったり、極端に汚職警官だったりするのは、クリエイターや俳優の警察に対するイメージも、ある程度反映されているのかもしれません。
インドで言えることは、ひとつの地域ごとに権力の在り方が全く違ってくるわけです。だからこそ、知らない地域の警察に行くというのは、より不安感は強いかもしれません。とくにアート系の映画では、極悪に描かれていたりします。
総合的に、警察組織が腐敗しているというのは、ある程度周知されていることかもしれません。かと言って、事件を見過ごすということではなく、腐敗のなかでも動いてくれたりしますから、複雑な存在ではありますね。
──最近のウェブシリーズは自由度が高く、今までのインドのステレオタイプなイメージを覆すような攻めた作品や社会派なものが多くなってきていますが、キラン監督はウェブシリーズに興味はあったりしますか?また長い尺で描いてみたいテーマなどはありますか?
キラン・ラオ監督 ご指摘の通りではあります。自由が与えられている部分はあります。普段扱えない攻めたコンテンツが取り上げられるという側面がある一方、インドでは政治的なものや、特定の人物を批判的に取り上げることが難しい実情もあります。
最近も実は会計士がジゴロという描かれ方をした作品(おそらくNetflixドラマ「トリブバン・ミシュラはCAトッパー」のこと)に対して会計士協会が名誉棄損として裁判を起こしたことがありました。
攻めたことはできないわけではないですが、いつ訴えられてしまうかもしれない状況から、それをどうやってクリエイティブに回避して、作品としてメッセージ性や質の高いものにするかは大きな課題ですね。
▽ストーリー
2001年、とあるインドの村。プールとジャヤ、結婚式を終えた2人の花嫁は同じ満員列車に乗って花婿の家に向かっていた。だが、たまたま同じ赤いベールで顔が隠れていたことから、プールの夫のディーパクがかん違いしてジャヤを連れ帰ってしまう。置き去りにされたプールは内気で従順、何事もディーパクに頼りきりで彼の家の住所も電話番号もわからない。そんな彼女をみて、屋台の女主人が手を差し伸べる。一方、聡明で強情なジャヤはディーパクの家族に、なぜか夫と自分の名前を偽って告げる。果たして、2人の予想外の人生のゆくえは──?
【クレジット】
プロデューサー:アーミル・カーン、ジョーティー・デーシュパーンデー
監督・プロデューサー:キラン・ラオ
2024年|インド|ヒンディー語|124分|スコープ|カラー|5.1ch
原題Laapataa Ladies|日本語字幕 福永詩乃
応援:インド大使館
配給:松竹
(C) Aamir Khan Films LLP 2024
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