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デビュー25周年で再結成、メロン記念日の軌跡「ハロプロのお荷物グループが伝説に変わった日」

エンタメNEXT / 2025年1月7日 6時2分

デビュー25周年で再結成、メロン記念日の軌跡「ハロプロのお荷物グループが伝説に変わった日」

左から村田めぐみ、柴田あゆみ 撮影/たむらとも

1999年に結成、『This is 運命』など今もなおハロー!プロジェクトで歌い継がれる名曲をリリースしたアイドルユニット「メロン記念日」。2010年に惜しまれながら解散した彼女たちが、デビュー25周年目の節目に3人で再結成。15年ぶりに本格活動を始めるメロン記念日に直撃インタビューを敢行した。(メンバーの斉藤瞳は新潟からリモート参加)

【写真】リモートから参加の斉藤瞳と村田めぐみ&柴田あゆみ撮りおろしカット【7点】

──現役当時のお話もお伺いしたいのですが、まずメロン記念日を結成したときのお気持ちから教えてください。

柴田 グループで良かったと思いました。しかも4人組だったので、SPEEDさんと一緒の人数だ! とうれしかったのを覚えています。

村田 4人それぞれ見た目の系統がバラバラだから、どんなグループになるんだろうと思いましたね。柴田は私よりも3歳年下で、当時は15歳だったんですが、それよりも幼く見えて純粋でかわいらしい子だなと。ひと(斉藤)は新潟のいわゆるコギャルで、大谷(雅恵)は北海道の色白ギャル。同じギャルでも地域によって系統が違うんだなと思いました(笑)。

斉藤 私はプライベートだったら交わることがない4人が集まったという印象。結成当時からそれぞれの色がしっかりあるなと感じました。

──2000年2月19日に『甘いあなたの味』でメジャーデビュー。ただ、最初に出した3枚のシングルはセールスに恵まれず、グループは伸び悩みます。

斉藤 モチベーションは、だだ下がりでした(笑)。ライブも基本的にモーニング娘。さんのゲストで出て1曲だけ歌うとか。なんならメロン記念日の時間になると「トイレタイム」と言われて……苦しい日々でしたね。何が正解なのか私たちも分からなかったので、必死にしがみついて活動をしていました。

柴田 でも当時のハロー!プロジェクトの先輩たちはシングルを出せばヒットという状況ですから、私たちも必死で追いかけるしかない。4枚目のシングル『This is 運命』(2001年10月11日リリース)を出す前に、スタッフさんから「この船に乗れなかったら解散だぞ」と言われていたくらいです。

──そしてリリースされた『This is 運命』はグループの状況を一変させる起死回生の1曲となりました。初めてデモを聴いたときの印象はいかがでしたか?

村田 それまでの3枚もそれぞれ曲調が違いましたが、『This is 運命』は特にテイストが違っていて、振り切ったような印象がありました。それまでの私たちはハロー!プロジェクト全体のリハーサルがあるときも控えめに隅にいるような感じで、どう自分たちを前に出すのか分かっていなかったんです。それが『This is 運命』によって前のめりになったというか。

斉藤 でも正直なところ、レコーディングの時点では私たちの運命を変えてくれる曲になるとは思いもしませんでした。

柴田 『This is 運命』のPVも予算を抑えるために曲尺がハーフだったからね(笑)。

斉藤 ただグループを終わらせないための必死さと、もっと個を打ち出そうという思いが相まって、1個スイッチを入れ直すきっかけにもなりました。メンバーで地道に有線(現USEN)にリクエストしていたのを覚えています(笑)。



──どのタイミングで、『This is 運命』の反響を感じましたか?

斉藤 2002年12月に4都市を回ったメロン記念日ファーストコンサート「これが記念日」です。それまで掟ポルシェさんを始め、DJ界隈の方々が面白がってくれて、プチバズり的な感じでじわじわ広がっていたんですが、私たち自身は実感がなかったんです。

ところがファーストコンサートで初めて『This is 運命』を歌ったときに、いきなりダイブ・モッシュが起こったんですよ。「人が人の上にいる!」「人が空を飛んでいるけど何が起こっているんだろう」と、これまで見たことのない光景が繰り広げられていたんです。そのときに、この曲のすごさを実感しました。

柴田 関係者の皆さんも、私たちを見ないで、お客さんに目を奪われていましたからね。

村田 想定外の盛り上がり方だったので、「こっちがステージだから私たちを見て!」という想いでパフォーマンスした記憶があります。

──それからは、どのライブ会場でも同じような盛り上がりを見せたのでしょうか?

柴田 それもありますし、私たちも煽っていた部分があったと思います。ヲタモダチ(※メロン記念日のファンの総称)もモッシュやダイブが起きるような曲調じゃなくても、とりあえずやるみたな(笑)。時にはペットボトルが飛んでくることもありました。

村田 お客さんの盛り上がりもあって、相乗効果でメロン記念日のライブが出来上がっていったのは間違いないです。それが後のロック路線に繋がっていきました。

──メロン記念日の活動期間は約10年と、当時としては長期にわたっています。長く続いた秘訣は何でしょうか?

村田 民主主義だったからでしょうか。誰か1人が引っ張るのではなく、それぞれの意見は持ちつつ、リーダーの斉藤がまとめてくれていて。姉妹のように横一線でやっていたのが大きかったと思います。

柴田 私は3人のおかげだと思っています。というのも、よーいどん!で全員が同じスタートで走り始めたものの、途中から私のパートが明らかに多くなって、ソロで雑誌やテレビに出たり、写真集を出したりと差が明らかだった時期があって。そのときに3人が私に対して理解があったのが大きかったですね。

やっぱり悔しかっただろうし、いろんな感情が生まれたと思うんですけど、それをちゃんと理解してサポートしてくれたんです。3対1にならずに、ソロでも「いってらっしゃい!」と送り出してくれたのが、10年続いた秘訣だと思います。

斉藤 結局、「仲が良かった」に尽きるのかなと思います。プライベートだったら交わることのなかった4人がご縁をもらってメロン記念日として1つになって。似たもの同士が集まっていたらぶつかっていたのかもしれないけど、その調和が上手くいったんですよね。10年間、最後まで同じ4人だったのは“運命”だし、一生の誇りに思います。

(取材・文/猪口貴裕)

▽メロン記念日
1999年に「第2回モーニング娘。&平家みちよ妹分オーディション」の合格者4名で結成されたアイドルユニット。デビュー当初は低空飛行を続けたが、今もハロー!プロジェクトで歌い継がれる名曲『This is 運命』によってブレイク。ライブ会場はダイブやモッシュが起こり、「楽器を持たないバンド」と称されるほどエモーショナルなライブパフォーマンスで愛され、2010年5月3日に解散。2025年にデビュー25周年目の節目を迎え、大谷雅恵を除く3名で再結成を発表した。
メロン記念日&スタッフ公式X:@melonkinenbi25

▼information
現在、メロン記念日の全楽曲が各サブスクにて配信中。
・2月23日(日)「メロン記念日25周年記念トークライブ」が新宿ロフトプラスワン(東京)にて開催。一部は12時開場/12時45分開演、二部は15時15分開場/16時開演。
・5月3日(土)「メンバーと観るメロン記念日 FINAL STAGE "MELON’S NOT DEAD" 爆音上映会」が池袋HUMAXシネマズ(東京)にて開催。19時より上演開始予定、詳細は後日公式Xにて解禁されていく。

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