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リトゥン山縣良和×桐生でニードルパンチを手がける澤利一「日本がパリに学ぶこと」 後編【ファッションが生まれる場所】

FASHION HEADLINE / 2016年3月5日 21時0分

「せっかく日本にいい生地があるのに、それを自分たちが使えない状況は歯がゆい。自分たちが日本のいい生地を使って、それを世界に発信出来たらいいなという思いがあります。そういう流れを作りたい」とその思いを語る。


ニードルパンチを終えた生地

明治の文明開化以降、海外からの文化が染み込んでいった現代の日本。この急激な変化というのは、ここ100年余のことだろう。

「かつての日本には、文化的な素養があったのだと思います。ただ、この100年でそれを失ってしまった。海外の人たちは憧れだけで作ったフェイクは求めていないし、自分たちにない文化を求めています。だからこそ、洋装やヨーロッパの文化を学ぶのは、その歴史と文化を理解するため。決して、真似をするための勉強ではないはずです。そのために私たちは、自国の先祖代々の真相を知らなくてはいけないし、それがないとクリエーションは世界に通用するものにならないのでは」と山縣さんは続ける。

ここまで、頷きながら山縣さんの話を訊いていた澤さんがこう続けた。「日本でも、世界でも各産地で素晴らしいテキスタイルが作られていて、それが本流でありテキスタイルの一番いい形だなと思います。ただ、そこにもっと面白みを加えてもいいんじゃないかという思いがあります。それを可能にしてくれるのが、私にとってはニードルパンチです」と澤さん。


「面白い仕事をずっとし続けたいんです」と澤さん

「私は、面白い仕事をずっとし続けたいんです。だから、はじめましてのブランドさんからの、なんじゃこりゃっていうリクエストが嬉しい」と澤さん。「僕に出来るとしたら、きっと完成度じゃない。各地で作られる完成度の高い生地を、私が崩してはいけないと思っています。ただ、各地で織ったけれども、そのままでは製品にならないようなものからニードルパンチを使ってアレンジしていくことが出来る」と語る。Tex. Boxに飾られた様々な表情を見せるニードルパンチの作品が物語るように、彼は素材を手にすると、次々のクリエーションのイメージが広がっていくようだ。

この日、山縣さんと澤さんの対話を通じて感じたのは、可能性を信じる力の大切さ。そして、ベストを尽くした後のアクシデントを楽しむ心のような気がした。

のこぎり屋根から陽射しが差し込むこの場所で、確かにファッションが生まれていた。あなたが手にする洋服が、一体どんな旅路を経てやってきたのか。ほんの一時でも思いを馳せてから纏うことが出来れば、その1着の持つ意味が変わるのかもしれない。

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