【日本モード誌クロニクル:横井由利】11/12--エコ・リュクスという服を着た生駒芳子の『マリ・クレール』

FASHION HEADLINE / 2014年1月4日 21時0分

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『マリ・クレール』2008年10月号(アシェット婦人画報社)

版元の事情で、雑誌が休刊になったり、版元が変わることはある話だが、『マリ・クレール』に関しては、中央公論社(現中央公論新社)が読売新聞社の傘下に入ると、角川書店へ移り、2003年にはアシェット婦人画報社(現ハースト婦人画報社)へと移っていった。

日本では人は会社に付くといわれるが、伊田博光は広告営業として『マリ・クレール』とともに、中公→角川→アシェット→中公新社へと渡り歩いた。『マリ・クレール』の変遷を誰よりも知り尽くしている。

アシェット婦人画報社での『マリ・クレール』に、ある手応えを感じたのは2代目生駒芳子編集長の時だったと伊田さんは言う。

2005年2月温室効果ガス排出量を削減しようという京都議定書の調印が行われ、足並みがそろわないままでの調印に新聞やテレビの報道番組が議論していた頃、ラグジュアリーブランドのルイ・ヴィトンが既にその問題に取り組んでいることを知った生駒編集長は、2005年9月号で特集「エコ・リュクス物語 by ルイ・ヴィトン」を組んだ。

元アメリカ副大統領のアル・ゴアによるドキュメンタリー映画「不都合な真実」へ賛同した生駒編集長のエコ意識は、ページに反映されていった。しかも、対極にあると思われていた、エコ・ライフとラグジュアリーなライフスタイルを両立させる、エコ・リュクスこそ21世紀のおしゃれと位置付けた。

2006年、仏『marie claire』は「ラ・ローズ・マリ・クレール」と名づけたキャンペーンを開始した。それは、バラを買うとその代金の半分が「すべての女の子が学校へ」という活動をする協会に寄付され、カンボジアに女子学校を設立した他、フランス国内の女子学生に向けて奨学金制度を発足させ、より多くの女子に教育の機会をもたらした。08年には、日本流にアレンジされたローズ・キャンペーンを日本版『マリ・クレール』でも開始した。

生駒編集長の軸足は、環境問題や人権問題にあった。サスティナブルな世界を目指し、古ぼけた価値観の服を脱ぎ捨てて、新しい服を着ておしゃれを楽しもうと提案したのだ。80年代『マリ・クレール』の知性を纏うことがおしゃれだった時代を彷彿とさせた。

「生駒編集長は、ある意味アーティストでした。先の時代を鋭く読みとり、前進させていこうとする姿勢に、ラグジュアリーブランドも知らず知らずのうちに巻き込まれていましたね」と伊田さんは懐かしむ。

編集長の仕事は、力仕事だ。個性的な編集者を束ね、主張の激しいクライアントと正面から向かい合い、独自の流儀を持ち、誰からも信頼されるために奔走する。その結果、読者に支持された時の喜びは代え難いものがある。

(12/12に続く。モード誌の新しいあり方『マリ・クレール スタイル』に。)

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