【日本モード誌クロニクル:横井由利】立ちはだかる困難から見えてきたもの。渡辺三津子が編集長に--5/12後編

FASHION HEADLINE / 2014年2月17日 13時0分

VOGUE JAPAN 2008年12月号

ヴォーグが軌道に乗ると、渡辺三津子は、編集長代理から編集長になり、斎藤和弘は社長職と全誌のエディトリアル・ディレクターを兼務した。その頃から、ウェブサイトVOGUE.com も本腰を入れ始めた。

渡辺三津子が編集長に就任したのは、リーマンショックが起きる5日前の2008年9月8日のことだった。それによって、モード誌を取り囲む環境は一変。渡辺編集長にとって、マイナスからのスタートとなった。

「そういう時代なのだから仕方がないと、ある意味開き直りました」と、渡辺編集長の達観した発言。この時期、何ができるか考えた末、最初にやったことは、誌面を詳細に見せ情報量を増やす、テーマによっては深堀することもいとわず、丁寧な誌面作りに徹することにした。時代の変わり目に、ヴォーグがどうあるべきか、読者に長く愛される雑誌作りとはと、整理しておくには良い機会だった。

今の『ヴォーグ ジャパン』(2011年3月28日よりヴォーグ ニッポンはヴォーグ ジャパンと、名称・表記を変更)を支えている、ファッション・ディレクター・アット・ラージのアンナ・デッロ・ルッソの存在は大きい。VOGUEには、日本の中で1番のモード誌であるだけではなく、グローバルに通用するもの作りをしなければいけないという掟がある。

「私達は、世界のファッション界を構成する人達、ファッションビレッジの人達に認められる雑誌であり続けなければいけません。そのためには、シューティングのクオリティーを高く保ち向上させなければいけないのです!アンナの力はそこで最も発揮されます」

伊VOGUEのフランカ・ソッツァーニ編集長のもとで20年近く働いた、アンナ・デッロ・ルッソは、VOGUEとは、ファッションとは、ファッション界とは、クリエーターとの付き合い方とは、とすべてを知り尽くしている。

パリコレ後のファッションミーティングは、渡辺編集長を中心に、アンナ・デッロ・ルッソ、ファッションのインターナショナルディレクターのジーン・クレール、ビューティーのインターナショナルディレクターのキャッシー・フィリップス、ブッキング・ディレクターのアンディー・ウェラン、ファッション・マーケット・ディレクターの増田さをりらが出席し、6ヶ月間の表紙のルック(最新NY,LONDON, MILAN, PARISコレの中から)を6体決定し、フォトグラファーを決める。最近では、米VOGUEのファッションも撮っている、パトリック・ドゥマルシュリエに頼むことが多くなった。表紙候補が決まれば、ウエル、FOB(Front of Book/巻頭にある特集)について、大枠を決定。ファッションビレッジの有名フォトグラファーは、コレクションが終わるとブランドのキャンペーンフォトの撮影が始まるので、その前に、スケジュールを押さえなければいけないからだ。

最高のものを最高のクオリティーで表現するVOGUE is VOGUE。この精神とローカライゼーション(各国の独自性)の二つの柱をどうさばきビジネスを成功させていくか、世界20ヶ国すべてのVOGUE編集長の力は、本国コンデナスト社によって常に評価されている。闘う相手は国内メディアと世界各国版VOGUEという、苛酷な世界なのだ。

6/12に続く。ヴォーグ編最終回。

FASHION HEADLINE

トピックスRSS

ランキング