【日本モード誌クロニクル:横井由利】プチバブルと共に上昇気流に乗って--10/12後編

FASHION HEADLINE / 2014年2月22日 21時0分

『ハーパース・バザー日本版』創刊2周年号(2002年10月号)

創刊2年目を迎えた『ハーパース・バザー日本版』は、2002年4月号より、タイトルのフォントを以前のクラシックなものに変えることになった。アメリカのハースト社は、米版marie claireを売り上げNo.1の雑誌にしたグレンダ・ベリーを米版Harper's BAZAARの編集長に抜擢し、立て直しを図った。グレンダは、まずタイトルのフォントを以前のものに戻し、フレンドリーな表紙を目指すために、女性読者に人気が高い女優を毎回登場させることにした。

ハースト社の動きに連動するかたちで、NYに住み日本版バザーのアット・ラージ・エディターを勤めていた、伊藤操を呼び戻し編集長とした。最初の仕事は、米版にならいタイトルのフォントを変えることだった。また小型の版型は、書店から平場に置いた時のインパクトが弱いとの指摘があり、広告主からは広告写真をリサイズしなければいけないなどの物理的な理由で大版化を希望され、編集的にも写真の見栄えがよいとの理由も含め、2002年8月号より日本基準の版型、大版化に踏み切った。

創刊から1年間は、「Harper's BAZAARが世界で最も歴史あるモード誌!」というキャンペーンを展開。VOGUEより歴史があるモード誌と認識されると、徐々にファッション業界に浸透していった。創刊1年にして、しきり直しを余儀なくされたにもかかわらず、読者の反響が増す毎に、広告も増加するという、好循環が始まった。

バザーのリニューアルが進む頃、ラグジュアリーブランドは、新しいミレニアムの到来に呼応して、新しいコンセプトの大型旗艦店を表参道、銀座を中心に次々とオープンさせていった。

口火を切ったのは、2000年銀座一丁目よりの松屋銀座店の一角にオープンしたルイ・ヴィトンの大型店だった。01年6月には、銀座5丁目の晴海通りに11階建て、アートスペースや映画室のあるメゾンエルメス、9月には表参道という立地が話題となったシャネル表参道店。02年9月にオープンしたルイ・ヴィトンの表参道店も、アートスペースや特別のビップルームを備えた。03年5月には表参道のプラダ、04年12月にはシャネルのリシャール・コラス社長が140日間建築中の現場に足を運び、作業員と会話を重ねながら完成したというシャネル銀座店のオープン。06年11月晴海通りに面した8階建てのグッチ銀座店と続いた。

活況を呈するラグジュアリーブランドの勢いに後押しされ、バザー日本版も上昇気流に乗り、広告、部数共に前年比を上昇させていった。誌面では、クロコダイルのバッグやブーツなど、桁外れの商品が掲載され、イットバッグやエディターズバッグ、優雅なセレブリティの暮らし、年齢を問わずいつまでもおしゃれを楽しむエイジレスな女性たちを紹介した。経済的基盤を確立した女性達は、セルフプロデュース力に長け、自分の力で生活をエンジョイするという、プチバブル時代の真っ只中にあった。

その後、『ハーパース・バザー日本版』を発行するエイチ・ビー・ジャパンは、IT企業を母体に持つILM(インターナショナル・ラグジュアリー・メディア)社に買収され傘下に入るも、創刊から10年目を迎えた2010年9月、米ハースト社とのライセンス契約を終了することになった。

11/12に続く。森明子によって復活。

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