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特集「キャッチ」福岡大空襲から79年 少年から家族を奪った戦争 亡くなった語り部の思いを伝え続ける

FBS福岡放送ニュース / 2024年6月19日 19時45分

少年から家族を奪った戦争

特集「キャッチ」です。福岡市役所で19日、戦没者追悼式が開かれました。1000人以上が犠牲となった福岡大空襲から79年です。「語り部」として空襲の記憶を伝え続けてきた男性が7か月前、亡くなりました。語り続けた戦争、そして平和への思いは後進に受け継がれ、「朗読劇」として披露されました。

語り部・樋口さんの長男

初夏の日差しが降り注ぐ中、福岡市中央区の圓應寺(えんのうじ)に、ある兄弟の姿がありました。

■兄・樋口孝治さん(55)

「ことしの空襲の慰霊祭の前に、周りをきれいにしたいということで、慌てて。」

地元で石材店を営む、樋口孝治さん(55)と、弟の孝明さん(49)です。

圓應寺で毎年、執り行われる福岡大空襲の慰霊祭に向け、祭壇の周りを整えていました。

■兄・孝治さん

「(父が)語り部になったのもお寺のおかげ。慰霊祭で話しだしたのが最初ですから。」

福岡大空襲の語り部・樋口さん

慰霊祭で毎年のように空襲の記憶を語ってきた男性がいます。

■語り部・樋口泰助さん(2015年・当時76)

「空襲が激しくなって、防空壕の中にも煙がもうもうと入ってくるようになって、息するのも苦しくなってきました。」

兄弟の父、樋口泰助さんは、福岡大空襲を経験した1人です。

B29爆撃機200機超が飛来
福岡の街は焼け野原に

79年前の1945年6月19日。

午後11時すぎからおよそ2時間にわたり、200機を超えるアメリカ軍のB29爆撃機が、福岡市の中心部に無数の「焼い弾」を投下しました。街は一夜にして焼け野原になりました。死者と行方不明者は合わせて1146人に上りました。

福岡市中央区(2015年)

■泰助さん(2015年・当時76)

「この辺ですね。入り口はこの辺からだったと思います。」

戦後70年となった2015年、樋口さんは私たちを、かつて自宅があった場所に案内してくれました。

6人で防空壕へ
樋口さんは6歳だった

空襲当時、6歳だった樋口さんは、祖母と母、姉と妹2人の合わせて6人で、自宅の防空壕へ避難しました。しかし。

■泰助さん

「煙がどんどん舞い込んできたんですよ。隣の方が焼けてきたから。私だけ男の子やけん、『お前、逃げろ』っておばあちゃんから無理やり押し出されて。」

【家族5人の亡きがらと対面】

語り部を続けた樋口さん
去年11月に85歳で亡くなった

別の防空壕に身を潜め、見回りに出ていた父と一緒に翌朝、自宅に戻った時、家族5人の亡きがらと対面しました。

■泰助さん

「あの光景はいまだに忘れられない。母親の顔は真っ黒焦げ。おばあちゃんも。きょうだいの顔は、母親に抱きついていたから、顔はきれいにしていたけど。」

圓應寺からの依頼をきっかけに、悲痛な記憶を人前で語り初めて10年あまり。樋口さんは患っていた肺の病気が悪化し、2023年11月、息を引き取りました。85歳でした。

井口さん

この日、圓應寺ではことしの慰霊祭に向けた打ち合わせが行われていました。

■舞台監督・井口紀子さん(54)

「2ページ目の『B29がゴンゴンなって』、樋口さんの言葉で私が聞いたものを極力残そうと思っていて。」

福岡市を拠点に活動する舞台監督、井口紀子さん(54)は生前の樋口さんから直接話を聞き、朗読劇を書き上げました。ことしの慰霊祭で上演し、樋口さんを追悼します。

父が発した「よかけん」という言葉

■井口さん

「一個だけ変えてもらいたいのが『よかけん』の言い方。」

表現に悩んでいたのは、家族の遺体を運ぶ直前、樋口さんの父が何かを前掛けでくるみながら発した 「よかけん」という一言です。

大谷さん

■俳優・大谷 豪さん(54)

「家族がみんな死んで、その家族を自分の手で運ぶ時に『何してるの』と言われて出る『よかけん』というのが、体験したことないし、家族が死んで自らの手で運ぶというのも体験したことがないし。」

前掛けでくるまれていたのは、臨月だった母のそばで息絶えた生まれたばかりの赤ちゃんだったことを、樋口さんはあとになって知ったといいます。

■井口さん

「あの場にもし自分がいたらとか自分の子どもがいたらとか、置き換えて見るというだけでも、全然違ってくる。」

慰霊祭当日(16日)
朗読劇が上演された

16日、圓應寺で執り行われた福岡大空襲の慰霊祭。参列したおよそ30人を前に、樋口さんの経験を基にした朗読劇が上演されました。

■大谷さん

「私(樋口さんの父)は妻の遺体からエプロンを外すと、小さな娘を丁寧にくるみ、母親の懐にそっと入れました。『何しようと?』 息子(樋口さん)が背後から尋ねました。『よかけん。』 妻とばあちゃんと4人の娘を乗せて、大八車を引きました。」

1人の少年から家族を奪った悲惨な戦争の記憶は、平和がいかに尊いものかを訴えかけます。

家族の遺体を運んだ大八車の登録標識

「平和は当たり前ではありません」

■大谷さん

「平和は当たり前ではありません。だからこそ、79年前、いま私たちが生きるこの福岡の地であった出来事を、語り継がなくてはいけません。」

樋口さんの二男と妻

樋口さんの息子や妻も、朗読劇を見守りました。

■樋口さんの二男・孝明さん(49)

「伝わることによって平和になるなら、それが一番。」

■樋口さんの妻・香子さん(83)

「外国でもこういうふうなのがあってますから、あれを見ると心が痛みます。平和が一番大事だと思います。」

家族を運んだ大八車の登録標識

樋口さんは生前、家族の遺体を運ぶために使った大八車の登録標識を、戦争資料を収集する団体に寄贈しました。家族の形見を後世に託した、その思いを引き継いでいくのは、いまを生きる私たちです。

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