被災の教訓を防災力向上に 阪神・淡路大震災から30年・福島
福島中央テレビニュース / 2025年1月17日 18時45分
阪神・淡路大震災の発災からちょうど30年。
県内にも自らの被災の経験を地域の防災力向上につなげようと活動する女性がいます。
その伝えたい教訓とは…
■浪江町 葛西 優香さん
「最初は本当に、ゴジラが来たと思ったんですね。音がゴゴゴゴゴって先に聞こえて、その音で目が覚めて、そのあとに揺れっていう感じでした」
30年前の震災の経験を振り返るのは浪江町の葛西優香さん。
葛西さんは大阪府出身で小学2年生の時に、阪神・淡路大震災を経験しました。
1995年1月17日の未明に起きた兵庫県淡路島を震源とする最大震度7の巨大地震。
建物の倒壊や火災が相次ぎ、6000人以上が犠牲となりました。
葛西さんは当時、自宅のマンションで家族と就寝中に激しい揺れに襲われました。
■浪江町 葛西優香さん
「リビングから廊下側にドアをあけるんですけど、もう荷物でドアがあかない状態になっちゃって、母親が包丁でガラスを割って、穴が開いたところから荷物をよけてそれでやっとドアが開いたということがあった。ガラスを割る音とか怖いじゃないですか。母はガラスで血だらけになってるっていうところを経て、そのあたり私も記憶があいまいで」
阪神・淡路大震災では10万棟を超える家屋が全壊し、亡くなった人の死因のほとんどは倒壊や家具などの転倒による“圧迫死”でした。
こうした教訓を受けて建物の耐震化や家具の転倒防止などの対策も進みました。
靴も履かず着の身着のまま家の外へ避難し、不安と恐怖でいっぱいだった葛西さん。
そんな時、手を差し伸べてくれたのが近所の人でした。
■浪江町 葛西優香さん
「真冬の寒い時に、駐車場で裸足で立っている母と姉と私をみて、これ履いてって言って靴下を差し出してくれて、ご近所さんの助けっていうのがあったからこそ、私たちは乗り越えられたんだろうなっては思ってます」
災害時に感じた「地域での助け合い」「共助」の大切さ。
葛西さんはその後、防災研究の道に進み、2021年に浪江町に移住します。
今は双葉町にある伝承館の研究員に就き地域における防災組織作りのアドバイスも行っています。
■浪江町 葛西優香さん
「もともと住んでいる方は大体避難場所とか分かってるけど、新しい人は全然分かってないんじゃないかって言うところとか…」
■浪江町 葛西優香さん
「元々、住んでた方も非常に少なくなっている。さらに、そこにいろんな新しい方が今この地域では住み始めていて…災害時にも、助け合える町づくりっていうことで、自然と助けあいが生まれるような町づくりをやっていきたいなと思っています」
阪神・淡路大震災から30年の節目となる2025年、伝承館では当時を振り返るパネル展が開かれています。
■浪江町 葛西優香さん
「発信し続けないと伝えられないと思うので、これから将来を生きる人たちに対しても伝えられるように継続していきたいなって思ってます」
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