「年収の壁」の是正について考えよう! 子育て世帯が家族の絆を薄める可能性は?
ファイナンシャルフィールド / 2023年8月29日 1時0分
2023年6月に閣議決定された「こども未来戦略方針」や「経済財政運営と改革の基本方針 2023」(「骨太の方針)、政府税制調査会が4年ぶりにまとめた中期答申といった資料を見ると、今後の増税は既定路線だろうと推論できます。 増税への警戒心が国民の間で高まっているかもしれませんが、国の防衛戦略の必要性が高まっていることと、少子高齢化という社会問題を解決する必要があることが主な理由といえるでしょう。 増税のほかにも方法があるのではと感じている方は多いように思われますが、国の支出や国民の負担など財政の規模によって政府の役割を大きくするか、小さくするかといった、いわゆる大きな政府・小さな政府という議論の狭間に国民は置かれている状況といえます。 ここでは、国が少子化対策として実施する具体的な取り組みをまとめた「こども未来戦略方針」でも対応が検討されている、「年収の壁」の是正について考えていきます。
年収の壁の裏側には「個人化」というリスクが隠れている
ドイツ人社会学者のウルリヒ・ベックは、著書「危険社会 新しい近代への道」(1998年、法政大学出版局)で、産業化の進展により個人同士のつながりが希薄になったことを「個人化」という言葉で表現しています。
個人化は、企業が経済合理性や効率化を追い求めた結果、労働者の生活に余裕がなくなり、人々の結束力が弱くなるという社会的なリスク(不確実性)を生み出します。一方で、このような社会的リスクを低減させるために、人と環境の間に政策を介入させることで、そのバランスを調整しようという動きが目立つようになりました。
「こども未来戦略方針」で示されている、いわゆる「年収の壁への対応」もその一つかもしれません。
ここで対応が示されている年収の壁とは、「106万円の壁」と「130万円の壁」を指します。一定の要件を満たしたパート勤務など短時間労働者の年収が106万円を超えると、勤務先で社会保険に加入することになります。また、勤務先での社会保険の適用に該当しない場合でも、年収が130万円を超えると配偶者の扶養から外れ、自身で社会保険料を納める必要があります。
社会保険料の負担を抑えるため、年収の壁を超えないように勤務時間などを調整することで、結果的に就労意欲が弱まるという問題が長年指摘されていました。政府は雇用環境や賃金の向上などによって、結婚や子育てにおける経済的な不安を解消したいと考えているようですが、その障害の一つになっているのが年収の壁です。
年収の壁への対応では、その対象として短時間労働者に焦点を当てていますが、すべての方が必ずしも就労時間を延ばしたいと思っているわけではありません。むしろ子育て世帯では、家計の足しになる程度で働いている方も多くいます。
個人化は、それが完成するまでの過程に、労働者の生活力が低下するという問題をはらんでいます。そして生活力が低下することで、暮らしに余裕が生まれにくくなり、地域社会の連帯性が損なわれるという潜在的なリスクが内在します。
少子化対策として年収の壁に政策的アプローチを加えようとしても、個人化というリスクを取り除くことはできません。なぜならば、子育て世帯にとっては多くの時間を労働に費やすよりも、子どもと関わる時間の方が大切と考える人もいるからです。これは裏を返すと、家族間で子育てをする力が弱まっている、地域社会で子育てのサポートを受けにくいという個人化の問題が絡んでいます。
年収の壁の是正はすでに決まっていたこと⁉
年収の壁への対応の背景には、地域社会などでの助け合いが難しくなっている現代社会の構造上の変化がありますが、仮にそうであるとするならば、年収の壁を是正したところで個人化という問題は解決しないでしょう。
こども未来戦略方針では、年収の壁を是正する方法として短時間労働者への被用者保険適用拡大のほか、労働時間の延長や賃上げに取り組む企業に対して必要な費用補助する支援強化パッケージを実行するとしています。
現行の制度では短時間労働者の場合、従業員数(被保険者数)が100人超の企業を対象に一定の要件を満たすことで社会保険の加入が義務づけられています。さらに2024年10月からは、従業員数50人超の企業に適用対象が拡大することが決まっているため、すでに決定している内容が少子化対策という文脈の中で、こども未来戦略方針に盛り込まれたという印象はぬぐえません。
まとめ
年収の壁の是正は、一方で税収や社会保険料を徴収する機会を増やすという目的があります。単純に、労働者の就労時間が増えて収入が増加すれば、より多くの税金と社会保険料を国は集めることができます。その反面、子育て世帯にとっては子どもと過ごす時間が減ることで、家族の絆が薄まる可能性もあります。
これは、国が歳入を増やすために経済合理性を重視することで、結果として個人化が促進されるケースがあることを物語っています。このように捉えると、年収の壁の是正は少子化対策というよりも、子育てが終わった世帯や単身の非正規労働者に対して有効に働くのではないでしょうか。
時として社会政策は、その目的とは逆の効果を生み出すことがあります。これを逆機能といいますが、「こども未来戦略方針」で盛り込まれている年収の壁の是正は、まさに逆機能となる可能性が疑われる事例といえるでしょう。
出典
内閣官房 「こども未来戦略方針」 ~ 次元の異なる少子化対策の実現のための 「こども未来戦略」の策定に向けて ~
執筆者:重定賢治
ファイナンシャル・プランナー(CFP)
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