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メリルリンチを経て渋澤氏とファンドを設立。個人向けに理想の運用を

Finasee / 2022年4月7日 17時0分

メリルリンチを経て渋澤氏とファンドを設立。個人向けに理想の運用を

Finasee(フィナシー)

<前回まで>
投資信託委託会社「コモンズ投信」の代表取締役社長である伊井哲朗氏に、これまでの経験を振り返って頂きました。伊井氏のキャリアは山一證券から始まります。支店営業で優秀な成績を収めながらも、顧客軽視の営業手法に疑問を感じ、社内提言を続けてきました。人事異動を機に社内改革を進める部署で若手メンバーとともに営業改革に着手。ただ、当時はバブル崩壊後の大きな変動期。証券業界は総会屋利益供与事件などが明るみとなり、やがて勤め先である山一證券も伊井氏の取り組みとは裏腹に、不正会計に端を発した影響などで破綻に追い込まれてしまいます…

●連載1回目はこちら

破綻した山一證券の人材と支店をメリルリンチが引継ぐ

1997年に山一證券が経営破綻した後、米国の大手証券会社、メリルリンチが山一證券の社員2000人と33支店を引き継ぐことになりました。破綻した当時、私は山一證券の債券営業部に所属していて、機関投資家を相手に債券を売買する仕事に従事していたのですが、山一證券の破綻後、メリルリンチから日本における新しい組織づくりに関する相談を受けるようになり、新しい日本拠点であるメリルリンチ日本証券に転職することになりました。

実は、山一證券で働いていた時から、私はメリルリンチに非常に関心を持っていました。理想的な証券会社だと思っていたのです。日本では1997年に当時の橋本龍太郎元首相(故人)が、「金融ビッグバン」という一大金融市場改革を提唱し、1998年には株式委託手数料の一部自由化が行われました。

米国では、それよりも20年早い1975年5月に「メーデー」と呼ばれる証券市場改革が実施され、証券手数料の完全自由化などからさまざまな商品やサービスが開発されていました。メリルリンチは、個人向けのリテールを中心とする大手証券会社として、その中心的な存在でした。まさに日本の大手証券会社が目指すべき姿と感じていたので、メリルリンチのアニュアルレポートを継続的に読み込んで、そのエッセンスを役員向けの資料や社長のスピーチ原稿に活用していました。

そのメリルリンチから声がかかり、新しくスタートするメリルリンチ日本証券で、私自身が理想だと思っていたリテール営業がスタートしたのです。

理想的だったメリルリンチの証券営業

何が理想なのかということですが、まず日本の証券会社にありがちな「予算」がありませんでした。日本の証券会社では本社がその年の予算を決め、それを達成するためのノルマを各支店に割り振るのですが、それが一切なく、加えて「お客様重視」や「誠実」、「チームワーク」など、「5つのバリュー」と呼ばれている経営理念が徹底されていました。この経営理念をしっかり守ってくれさえすれば、あとはどのような営業をやっても良いという自由さがあったのです。

さらに、営業のサポート体制も充実していました。ワールドワイドに展開していたメリルリンチの調査レポートを自由に使うことができ、電話会議などで世界中のアナリストたちとコミュニケーションを取ることもできました。

このように世界最高の情報、世界最高のプロダクトを用意できるので、あとは営業担当の方がお客様のところに行き、そこで最低2時間かけてお客様のニーズや保有資産額などを伺い、顧客属性を把握し、リスク許容度なども勘案しながら、ポートフォリオ提案をする、というスタンスだったのです。本当に理想的な証券営業でした。

そして、私はメリルリンチ日本証券の千葉支店で営業をすることになりました。当初は本部スタッフの話もありましたが、当時のマネジメントと話し合った結果、メリルリンチ日本証券の立ち上げにあたり、支店網の整理などに関わった立場を考慮して、まずは支店営業からの方が望ましいとの判断になりました。

もちろん支店営業は山一證券時代でも経験していたので、特に異存はなく、毎日片道1時間半をかけて千葉支店まで通勤していたのですが、2000年のITバブル崩壊を機に、営業体制が大きく変わりました。

33あった支店網を、東京、名古屋、大阪、福岡の4店舗にするという大リストラに踏み切ったのです。これは日本だけでなく世界的に行われたことだったのですが、最終的には幅広いリテールビジネスからも撤退し、富裕層ビジネスに特化することになりました。

しかも、「5つのバリュー」という経営理念も一切、使われなくなり、お客様に販売する商品はヘッジファンド、仕組債、サブプライム関連商品などが中心になり、かつ手数料も非常に高いものばかりでした。カスタマーファーストからプロダクトファーストに大きく切り替わったのです。

大リストラが行われるなかで、私は千葉支店から東京支店に異動することになりましたが、正直、この頃から私の大好きだったメリルリンチには、魅力も感じなくなっていました。

渋澤氏とコモンズ投信を設立。個人向け運用に注力

ところで、話は少し遡ります。日本にインターネットが普及し始めたのは1997年頃からですが、それからしばらくして、あるインターネット上に面白い金融マーケットのSNSが立ち上がりました。

「バーチャル・マーケット・ジャパン」がそれで、株式組、債券組、為替組というようにハンドルネームが色分けされていて、ログインする時には、その日の日経平均株価、債券先物、ドル/円の引け値を予想してから入るという芸の細かさで、そのコミュニティには最盛期で1000人くらいのマーケット関係者がいました。そのコミュニティを運営していたのが、現在コモンズ投信で会長を務めている渋澤健だったのです。

メリルリンチで働きながら、このコミュニティのオフ会や勉強会を通じて、そこに参加していた人たちと交流を深めていきました。そんな日々を過ごしているなかで、メリルリンチの企業カルチャーが大きく変わってしまったことに失望感を抱いていた私は、自分でブティック型の証券会社を立ち上げようと考え始めていました。そんな時、渋澤から連絡をもらったのです。それは、「直販の投資信託会社を立ち上げるので手伝って欲しい」というものでした。

連絡を受けた私は、「是非。私も証券会社を立ち上げるので、渋澤さんの投資信託ならしっかり販売するから」と言ったところ、「いやいや、そうではなくて、私自身はマネジメントが苦手なので、一緒に投資信託会社を立ち上げて、伊井さんにマネジメントをお願いしたいんだよね」という話でした。

正直、自分は証券会社を立ち上げるつもりでいたので、この申し出を受けるかどうするか少し悩んだのですが、日本の個人層に向けてちゃんとした運用を届け、長期の資産形成を提供したいという点では、証券会社も投資信託会社も同じかも知れないと思うようになり、渋澤からの申し出を受けることにしました。こうして2007年11月に投資信託会社を立ち上げるための準備会社として、株式会社コモンズを立ち上げたのです。

リーマンショックの混乱の中、第1号ファンドの募集を開始

コモンズ投信を立ち上げ、最初のファンドとなる「コモンズ30ファンド」を設定したのが2009年1月19日のこと。そこに至るまでには、さまざまな紆余曲折がありました。当初、ファンドマネジャーになってもらう予定だった友人は、家庭の事情でジョインできなくなり、急遽、別のファンドマネジャーを探さなければならなくなりました。

さてどうしたものかと困り果てていた時、コモンズ投信の立ち上げに参画してくれた、元野村証券でトップアナリストだった佐藤明さんが、「キャピタルを引退した方で凄いファンドマネジャーがいる」と教えてくれました。その方がコモンズ30ファンドの初代ファンドマネジャーを務めて下さった吉野永之助さんでした。ちょうど70歳でキャピタルを引退したものの、「運用者としては満足できたけど、残念なのは日本人に長期投資の魅力を伝えきれなかった」という心残りがあったそうです。「忘れ物を取りに戻る気持ち」で、と言ってくださりコモンズ投信に加わっていただけることになりました。

渋澤氏(左3人目)の申し出を受け入れコモンズ投信を創業した伊井氏(右2人目)ら創業時の様子

それからはまさに怒涛の日々でした。そして、いよいよ2008年8月1日に関東財務局に投資信託会社の設立申請を提出しました。9月下旬には申請が通る見通しでしたが、リーマンショックの影響でマーケットも金融業界も大混乱に陥っており、その最中に申請が通るかどうか不透明になりました。

それでもなんとか予定通りに申請が通り、年明け早々の募集開始を目指すことになりましたが、そこから証券保管振替機構に口座を開いたり、投資信託協会の理事会での承認を受けたりなど、さまざまな事務手続をクリアして、いよいよ募集期間に入りました。

しかし、タイミングが非常に悪かった。何しろリーマンショックの直後で、マーケットは完全に冷え切っていたのです。私自身は初期設定で10億円くらいの資金を集められると見込んでいましたが、想いとは裏腹になかなか資金が集まらず、想定よりもだいぶ少ない1億1800万円でのスタートになりました。

取材・文/鈴木 雅光(金融ジャーナリスト)

●「投資家と投資先企業をつなぐ共有地に。社名に由来するコモンズの存在意義」次回3回目はこちら

Finasee編集部

金融事情・現場に精通するスタッフ陣が、目に見えない「金融」を見える化し、わかりやすく伝える記事を発信します。

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