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日本郵船が誇る横浜港の重要文化財・氷川丸がユダヤ人を救った?

Finasee / 2023年5月30日 17時0分

日本郵船が誇る横浜港の重要文化財・氷川丸がユダヤ人を救った?

Finasee(フィナシー)

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日本郵船は2022年3月期、1兆円もの純利益を稼ぎ出しました。海運業界で純利益が1兆円を超えるのは初めてだとみられており、日本郵船に注目が集まっています。

【日本郵船の純損益】

 

出所:日本郵船 決算短信より著者作成

日本郵船はどのような歴史を持つのでしょうか。

渋沢栄一との対立を乗り越え誕生した大海運会社

日本郵船は、三菱グループ創業者である岩崎彌太郎(いわさき・やたろう)の郵便汽船三菱と、「日本近代化の父」渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)らが設立した共同運輸が1885年に合併して誕生しました。実はこの両社、合併前は非常に仲が悪く、激しく争ったことで知られています。

岩崎は1870年、当時外国企業に独占されていた航路を取り戻すため郵便汽船三菱(当時は九十九商会)を設立しました。岩崎は近代的な経営手法や荷為替金融を取り入れ、外国海運会社と激しい競争を繰り広げます。その結果、欧米の海運企業は日本から撤退するようになりました。

しかし、今度は三菱が日本の海運を独占するようになり、反三菱の機運が高まります。そこで渋沢らが政府の出資を受け1882年に設立したのが共同運輸です。両社の競争は熾烈を極め、ダンピング料金の導入といった採算度外視の消耗戦に発展しました。現場でも激しくぶつかり合い、海上では互いに航路を譲らず衝突事故を起こすほどでした。

どちらも大きな資本を持っていただけに、この闘争は長く続くかと思われていました。しかし岩崎は胃がんを発症し、1885年に急死します。引き継いだ弟の彌之助(やのすけ)は事態の鎮静化に動き、共同運輸との合併を決断しました。

2つの大会社を統合して誕生した日本郵船は、その後積極的に航路を拡大していきます。海外航路はやはり列強によって独占状態にありましたが、日本郵船は果敢に挑戦し、世界有数の海運会社へ成長していきました。

海運3社で世界6位のコンテナ船社を設立

海運業界における大合併は、2017年にも起こりました。日本郵船をはじめ、商船三井・川崎汽船といった国内の海運大手3社が定期コンテナ船事業を統合し、シンガポールに「ONE(Ocean Network Express)」を設立したのです。これにより、船腹量140万TEU※を超える巨大な海運会社が誕生しました。

※TEU(Twenty-foot Equivalent Unit):20フィートの海上コンテナに換算した荷物の量

【海運3社の船腹量(2016年10月末時点)】

 

出所:国土交通省「海運大手3社のコンテナ船事業統合について」より著者作成

【世界のフルコンテナ船上位10社の船腹量(2022年4月時点)】

 

出所:日本船主協会 SHIPPING NOW 2022-2023

ONEの船腹量はさらに増加するとみられています。同社は2020年12月、超大型コンテナ船6隻の長期契約の基本合意を締結しました。積載量は世界最大級で、1隻の船腹量は24000 TEUにも上ります。

さらにONEは2022年6月と2023年3月に1万3700TEUのコンテナ船を10隻ずつ契約したことを発表しました。これらは2023年~2026年にかけて続々と竣工する予定です。

激動の時代を生き抜いた「氷川丸」

日本郵船はさまざまな船舶を保有しますが、「氷川丸」ほど波乱万丈の歴史を持つ船はないでしょう。氷川丸は1930年に横浜船渠(現・三菱重工業)によって造られ、シアトル航路に配船されます。日本を代表する貨客船として活躍し、観光で訪れたチャーリー・チャップリンや、英国王ジョージ6世の戴冠式に出席した秩父宮・同妃など、多くの著名人が乗船しました。

戦時中は国に徴用され、引揚船や病院船として用いられます。任務中には3度も機雷に接触しますが、頑丈に造られていた氷川丸はなんとか沈没を避けることができました。また氷川丸は、外交官だった杉原千畝(すぎはら・ちうね)が脱出させたユダヤ人を運んだことでも知られます。

戦後もしばらくは外国に取り残された兵士や一般邦人の引き揚げ任務にあたり、氷川丸が再びシアトル航路に復帰できたのは1951年のことでした。しかし老朽化や航空物流への移行などから、1960年に引退します。

氷川丸は1961年に日本郵船と横浜市が出資した氷川丸観光(後に横浜展望塔との合併で氷川丸マリンタワーとなる)へ譲渡され、横浜市の山下公園へ係留される観光船となりました。2016年8月には、海上に保存される船舶として初めて国の重要文化財に指定されています。

氷川丸は2007年に日本郵船が買い戻し、現在も一般公開されています。当時の雰囲気に触れたい人は、一度訪れてみてはいかがでしょうか。

文/若山卓也(わかやまFPサービス) 

Finasee編集部

金融事情・現場に精通するスタッフ陣が、目に見えない「金融」を見える化し、わかりやすく伝える記事を発信します。

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