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「今まで悪かった」意地悪な義母の態度が一転…60代女性の“誠実さ”が起こした奇跡

Finasee / 2023年8月10日 11時0分

「今まで悪かった」意地悪な義母の態度が一転…60代女性の“誠実さ”が起こした奇跡

Finasee(フィナシー)

中国地方在住の鈴木愛子さんは、会社員をしていた頃、友だちの紹介で農家の長男である男性と出会い結婚した。結婚から約30年たったある日、59歳の夫は田植えが終わったその夜に倒れ、1カ月半後に亡くなった。その後、親切にしてくれた義父も亡くなったことで、義母や義きょうだいと相続の問題で確執が深まっていった。

●「ここに印鑑を押して」説明もないまま土地の名義を換えられ…
※前編【農家へ嫁ぎ夫と死別…60代女性が義実家で受けた“あり得ない”仕打ち】からの続き

押し付けられて始まった義母の介護

義父の死後も義母は相変わらず傍若無人に振る舞い、鈴木さんたちに、「私に介護が必要になっても、看てくれんでもええ」と言い切っていた。

「あの頃は、農家の後継者として頑張っている長男に対して悪口を言う義母が許せず、『誰が義母の介護なんかするか!』と思っていました」

当初は義兄が、「義母の面倒は義姉が看る」と言っていたため、「それならその方が義母にとって幸せだろう」と鈴木さんは思った。

すると今度は義弟から、「介護しないならこの家から出て行ってくれ」と言われ、義母も一緒になって鈴木さんたちを追い出しにかかった。

ところが、2022年初夏。もともと糖尿病や腎臓病もある義母は、90歳を超えると坂道を転げ落ちるように身体が弱っていった。92歳になると要介護1から要介護4に。

いつしか鈴木さんや鈴木さんの家族たちは、自然に義母をサポートしていた。

介護を通じて変化した義母との関係性

ある日、義母は鈴木さんたちに、「今までのことは悪かった。これからもこの家で私を看てほしい」と頭を下げた。

「当時、義きょうだいたちは、義母の通帳を勝手に持ち出して、内緒でお金を下ろしていました。義母の身体の心配よりも、お金の心配ばかりしているように見えました。私は義母がかわいそうになって、この40年間、本当に嫌な思いをさせられたけれど、『これからの何年間かで、私が私のために、納得いく介護をしてあげたい』と決意し、それを家族に伝えました」

すると鈴木さんの家族は、「おかんはそう言うと思ったよ」と言って鈴木さんの考えを尊重し、それぞれができることを協力してくれた。

2022年6月。義母は入退院を繰り返すようになり、8月には介助なしでは生活できない状態に。2023年4月には『敗血症』を起こした。

鈴木さんは毎日面会に行き、義母といろいろな話をした。主治医に確認し、義母が食べたいと言うものを持って行くと、今まであまり感情を表に出さなかった義母が、「美味しい! 美味しい!」とうれしそうに食べ、いつの間にか鈴木さんに、「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えられるようになっていた。

「亡くなる前日は、私の身体を心配する言葉をかけてくれて、私が帰る時には、『また明日来てな〜、楽しみにしとる。気をつけて帰るんよ』と言ってくれました」

鈴木さんの誠実さが起こした奇跡

2023年4月、義母は息を引きとった。

「正直、義母の在宅介護はしんどかったですが、在宅介護だったおかげで、家族みんなで協力でき、あんなに苦手だった義母と笑い合えるようになりました。最初は嫌だった下のお世話も、やってみると大丈夫でした。今は、義母がかわいい義母に変わってくれたから、最期まで介護できたのだと思い、感謝しています」

鈴木さんはこう言うが、筆者は、鈴木さんや鈴木さんの家族の誠実さが、義母のかたくなな心を解したのだと考える。

約40年も意地悪をされ続けてきた相手を献身的に介護し、看取ることまでできる人はなかなかいない。ましてや、それまで一度も感謝の言葉を口にしなかったような相手だ。奇跡に近いことではないだろうか。

しかし、鈴木さんの戦いはこれで終わりではなく、むしろ始まりと言っても過言ではなかった。

これから始まる義きょうだいとの戦い

義父が亡くなった後、近くに住んでいる義姉は、夫をけしかけ、義母を言葉巧みにだまして、義父母の通帳を持ち出し、貯金を下ろしていた。

「義姉は義父が亡くなった後も、仕事を言い訳にして、めったに義母に会いに来ていませんでした。もちろん私への感謝の言葉なんて、一度もかけてもらったことありません。義弟からも義妹からもありません。義母の貯金の世話はできても、義母の身体の心配なんて少しもしていなかったのではないでしょうか」

義きょうだいたちからは、二言目には、「ばあさんの金を使うな!」とばかり言われていた。

義母が入退院を繰り返すようになった時、義兄は、「もうここまで生きたのだから、そろそろあっちの世界に逝ってもいいよ」と、耳が遠くなった義母の前で平然と言っていた。

それを知ってか知らずか、亡くなる前日に義母は、「あの子(義姉)は、私を全然介護せず、あんたにばかり看させた。あの子(義姉)は、あんたのようには介護できんかったと思う。あんたに感謝もせずに……あの子は阿呆じゃ!」と鈴木さんにこぼした。

しかし時すでに遅しだ。鈴木さんの夫が亡くなった時、義父が遺言を作ろうとしたにもかかわらず、義母はそれを止めた。結局遺言書を作らないまま義父は急死し、義母も亡くなってしまった。

義母の死後、義姉夫婦は、義父母の口座がある金融機関へ行き、「義父が亡くなった後から現在までの、入出金の履歴を出してほしい」と依頼していた。

「私が義父母のお金を使い込んでいないか疑っているのでしょう。私が同居して義母の介護をしているのに、『家賃を払え!』なんて言われたこともあります。実際、夫の跡を継いで、田畑をわが家の長男が耕していますが、これも、義姉夫婦に言われて、義母に借地料を払わされていました。それなのに、義母の介護をプロや施設のお世話にならず、私が在宅で介護したらタダ……なんておかしいですよね?」

これから相続の話になる。

「下手したら私や子どもたちがこの家を追い出されかねないと思って、一応、弁護士さんに相談しています。なので、この家に住み続けられるかどうかは、これからです」

鈴木さんの夫が亡くなった時、すでに義父は85歳だった。長男を後継者と決めたその時に、義母を説き伏せ、長男に名義変更しておくべきだったが、後の祭りだ。6月に四十九日と納骨式が終わり、肩の荷が下りた鈴木さんだが、“嵐の前の静けさ”に戦々恐々としている。

旦木 瑞穂/ライター・グラフィックデザイナー

愛知県出身。グラフィックデザイナー、アートディレクターを務め、2015年に独立。グラフィックデザイン、イラスト制作のほか、家庭問題に関する記事執筆を行う。主な執筆媒体は、プレジデントオンライン『誰も知らない、シングル介護・ダブルケアの世界』『家庭のタブー』、現代ビジネスオンライン『子どもは親の所有物じゃない』、東洋経済オンライン『子育てと介護 ダブルケアの現実』、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」など。

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