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依存症でトラブルを繰り返す70代両親…辟易した長男がとった“冷たすぎる”対応

Finasee / 2023年9月8日 11時0分

依存症でトラブルを繰り返す70代両親…辟易した長男がとった“冷たすぎる”対応

Finasee(フィナシー)

長男びいきの息苦しい家庭環境

九州在住の小栗知世さん(50代・既婚)の母親は、世間知らずの箱入り娘だった。祖父は早くに亡くなったため、母親は祖母や曾祖母など、女性ばかりの手で大切に育てられた。地元では有名な名家の分家だったこともあり、地域でも“お嬢様扱い”だった。

小栗さんの母親は、小学校低学年で終戦を迎え女学校を出た。その後は本家のコネでお役所の仕事に就き、30歳目前でお見合いをして結婚。メーカーの事務方に務める同学年の婿養子を迎えた。その1年後、待望の長男として兄が生まれ、3年後には小栗さんが生まれた。

「私が物心ついた頃には、兄が一家の長で、父はまるで小作人扱いでした。兄が生まれた時、母親だけでなく、祖母も曾祖母も大喜びしたのに、私が生まれた時は、『ああ、男の子なら良かったのに。女の子は何にもならん』と、ため息をつかれていたと父から聞きました」

亡くなった曾祖母は小栗さんを可愛がってくれたが、祖母は小栗さんをまるで“いないもの”のように扱い、目を合わせて会話をしてくれた思い出すらなかった。

祖母の言いなりになる母親もまた、兄ばかり大切にし、小栗さんをあまり可愛がらなかった。それどころか、小栗さんの第二次性徴を「気持ちが悪い」と疎ましがり、下着などの生活必需品すら買い渋るため、父親に頼んで買ってもらうしかなかった。

「優秀な兄と違い、私は頭も運動神経も悪く、容姿もイマイチで……。母や祖母にとって、何も自慢できないつまらない娘だったんですよね」

幼い頃から息苦しさしかない家庭環境だったが、結婚を機にようやく距離を置くことが叶った。小栗さんは25歳の時、友人の紹介で出会ったメーカーの研究職の男性と交際を始め、1年の交際を経て結婚。母親や祖母との関係に辟易していた小栗さんは、夫の仕事を理由に東北へと移った。

父親の負担になった母親の“不安定さ”

家庭環境に辟易していたのは父親も同じだった。若い頃から情緒不安定だった母親は、父親の負担になっていたのだ。

「私が物心ついた頃から、母は周囲の気を引くためなら平気で嘘をついていました。特に、ポリープができたとか下血が出たなど、同情や心配を誘うような嘘を頻繁に。あり得ないほど見栄っ張りで、自分の思い通りにならないと、金切り声を上げて泣きわめくのです」

溺愛のあまりに、兄の交友関係にも口を出し、何度も交際中の女性と別れさせた。そのうえ、母親は“ある宗教”にのめり込んでいた。兄が幼い頃、身体が弱く入退院を繰り返したことがきっかけだが、兄の身体が丈夫になっても、お参りとお布施は続いた。

小栗さんと違い、離婚しない限り家を出られない父親は、こうした状況に疲れ果てて自暴自棄になったのだろうか。働き者で頭の回転も速く、手先が器用な人だったが、転職を繰り返し、ギャンブルやアルコールに依存し、借金までするようになった。

途端に悪化した両親の経済状況

母親の宗教依存に父親のギャンブルやアルコール依存。実家の経済状況は最悪な事態に陥っていた。光熱費や納税の滞納が続き、両親が70代になる頃、ついに財産の差し押さえ通知が届いた。

小栗さんは夫に内緒で両親に資金援助をしていたが、そのお金も母親は宗教のお布施に使ってしまっていた。兄は車で30分ほどのところに住んでいたが、大学進学で家を出て以降、全く実家に寄り付かなくなっていた。

70歳を超えた父親は軽い認知症と診断されていたが、大酒を飲みながらも母親を見守っていたようだ。母親が「お参りに連れて行け!」と喚くたび、飲酒の最中でも“教団”に送迎させられていた。しかし、父親が飲酒運転で捕まっては警察に呼び出される兄からすると、たまったものではなかった。

最悪な状態で迎えた父親の最期

2013年。父親は75歳になり、武道で鍛えたガッチリしていた体格は見る影もなく、急激にやせ細っていった。しかし、母親は父親を病院に連れて行こうとはせず、父親自身も行きたがらなかった。

3〜4カ月に1度は帰省していた小栗さんは、父親に「病院に行きなよ」と声をかけていた。しかし、すかさず母親が割って入り、「ただの年だから大丈夫よ。病気が分かりゃあ、私が土地を売って金を作って、きちんとしてやるから」と答えた。

「この頃の両親は常に負債を抱えていたので、母が医療費を出し惜しみしていました。私もできる限りの金銭援助はしていましたが、明らかに父の医療費には回っていませんでした。父も諦めていたのだと思います」

心配でたまらなかった小栗さんは、自分の帰省中に父親を病院へ連れて行くことにした。母親に「(父親の)健康保険証を出して」と言うと、母親は「この家は先祖代々私の家系のもの。全部私の財産だ。よそ者の婿養子(父)のものは何にもない」と言って渋った。何とか母親を説き伏せ、父親に検査を受けさせたが、不思議なことに悪いところは見つからなかった。

そして、2017年。相変わらず“教団”に行きたがる母親と、飲酒運転を繰り返す父親。そのたびに警察から呼び出されていた兄。その状況に辟易した兄はついに我慢の限界に達したのか、父親の車を無断で廃車にしてしまった。

それを知った父親は、「車がないと生きて行けんのに、わしらを殺すつもりか!」と激怒。それから約2カ月後、79歳の父親は入浴中に眠るようにして亡くなった。

●父の死で明らかになった兄の冷酷な一面。後編【「放置していた」高齢の両親に一切支援せず…長男が抱いていた憎しみ】で詳細を解説します。

旦木 瑞穂/ライター・グラフィックデザイナー

愛知県出身。グラフィックデザイナー、アートディレクターを務め、2015年に独立。グラフィックデザイン、イラスト制作のほか、家庭問題に関する記事執筆を行う。主な執筆媒体は、プレジデントオンライン『誰も知らない、シングル介護・ダブルケアの世界』『家庭のタブー』、現代ビジネスオンライン『子どもは親の所有物じゃない』、東洋経済オンライン『子育てと介護 ダブルケアの現実』、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」など。

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