「すべての財産を娘に…」終活で“相続争いの泥沼化”を防いだ母の機転
Finasee / 2023年10月4日 11時0分
Finasee(フィナシー)
第一子の出産後、夫と協力しながら育児と両親のケアをこなしていた春日さん。体調不良で病院を受診していた母親は、検査結果を待つ間に「終活」を進めていた。
●前編:【あまりの無神経さに感情爆発…病床に伏す母に父が囁いた“ある言葉”】
母が愛娘のために始めていた「終活」2022年3月。血液検査の結果が出るまでの間、母親は断捨離と相続対策にいそしんでいた。母親が痛みを薬でごまかしながら、急くような形で終活に取り掛かったのは、父親がバツ1だったからだ。
父親には前妻との間に2人の息子がいる。2人とも春日さんより10歳以上年上で、何度か会ったことがあるが、ほとんど交流はない。しかし兄の方は、時々忘れた頃に父親にお金の無心をしてきた。貯金のできない父親は母親に頼りきりだったため、母親が父親の息子にお金を渡す度、夫婦仲がぎくしゃくしていた。
母親が父親より先に亡くなれば、母親が管理していた夫婦の財産は、父親によって散財されてしまうかもしれない。母親が生まれ育った実家を二世帯住宅にしたのも相続対策の一環で、小規模宅地等の特例を利用するためでもあった。
父親が亡くなれば、異母兄弟の2人にも相続の権利が発生する。母親はたった1人の愛娘である春日さんのために、痛む体に鞭打って公正証書遺言を作成した。母親の遺言は、「すべての財産を娘に相続する」「娘が不在の場合は孫に相続する」という内容になっていた。
時間をかけてようやく出た検査の結果は……血液検査から2週間後、ようやく検査結果が出た。「乳がんの転移と、卵巣がんの可能性あり。リンパ腫を示唆する所見なし」との結果を踏まえ、1週間後、PET検査を受けることに。
母親は痛みに耐えながら、数日おきに親しい友人に会いに行くようになった。
PET検査を受けた1週間後、「食道周辺にがんの疑いがあるという結果が出たため、過去の乳がんと関連があるのかを調べ、複数の科をまたいで何度もカンファレンスをしている。結果が出るまでもう少し待ってほしい」と医師に言われる。
母親は元気な頃から20キロほど体重が落ち、歩くのもやっと。一般的な鎮痛剤は効かなくなっており、医師が「麻薬」と呼ぶ鎮痛剤を服用していた。
さすがに時間がかかり過ぎ、いら立ちを覚えた春日さんは、「こんなに検査続きで時間も体力も奪われて、その間に悪化しないのでしょうか?」と医師にたずねる。すると、「時間がかかって本当に申し訳ない。1〜2週間で急激に病状が進むということはない。来週にはカンファレンス結果が出るから、また来週来てほしい」との答えが返ってきた。
ところが結果が出ると言われていた1週間後になっても、明確な診断や説明は得られず、さらに1週間を要した。
2022年4月下旬。医師からようやく、「食道がんステージ4B。多発肺転移、多発リンパ節転移。リンパ節転移による水腎症あり」と告知があり、母親の抗がん剤治療入院が決まる。10年以上前にかかった「乳がん」の転移ではなく、“原発”だった。
母の死結局母親は2022年9月、自分が生まれ育った家で亡くなった。8月に68歳の誕生日を迎えたばかりだった。
肝臓に転移した腫瘍が大きくなり、胆管をふさいだせいで黄疸が出、抗がん剤治療を5クール終えたところで抗がん剤治療はストップ。腫瘍を取り除く内視鏡手術を受けたが、再び腫瘍が大きくなり、再手術に。しかし術後、痛みによるせん妄で口から入れていた管を自力で抜いてしまったため、手術がなかったことになってしまう。
春日さんは、一度目の手術を受けた後、「痛くてつらかった」と言っていた母親の言葉を思い出し、「母が強く望まない限り、もう手術はやめてください。痛がるのはもう見たくない」と言い、母親も「もういやだ」と答えたため、再々手術はしないことになった。
春日さんが自宅での緩和ケアを希望すると、翌日、24時間体制で在宅看護する訪問医療の医師や看護師など7名のチームが結成された。
母親はベッドに横たわったまま帰宅。ゆっくりだが話すことはできた母親は、春日さんの娘の世話要員として来てくれていた義母に、「迷惑かけちゃってごめんなさいね」と気遣い、名前を呼びながら孫の手を取った。
そこからは、母親が「痛い」と言えば、医療用麻薬の点滴のスイッチを押し、「起こして」と言えば、ベッドを起こし、「下げて」と言えば、ベッドを下げ、「暑い」と言えば、氷や水を口に含ませた。
その日は義母が娘を寝かしつけくれたので、春日さんはずっと母親のそばに居られた。春日さんは母親のベッドの横に布団を敷き、横になったが、眠れなかった。
母親が家に戻ってから3日目の午前1時頃、母親の呼吸が荒くなり、春日さんは酸素の量を増やした。3時頃、苦しそうにうわごとを繰り返し始めた。
6時15分頃、いつしか5分ほど気を失っていた春日さんがはっと目を覚ますと、母親の呼吸が止まっているように感じ、寝室で娘と寝ていた夫を起こす。夫とリビングに戻ると、母親は息を吹き返し、夫が「大丈夫だ」と言った瞬間、再び呼吸が止まった。6時20分頃のことだった。
3階で寝ていた父親を呼びに行くと、医師と看護師の到着を待った。
相続争いを防いだ母の機転4月から春日さんは、娘を保育園に預け、仕事に復帰している。認知症で要介護1だった父親は、1月からグループホームに入所した。
「正直、両親の介護でやりがいや喜びを得たことはありません。でも、母が最期に自宅に戻れて、「帰ってこられるなんて信じられない」と涙目で喜んでくれたことだけはうれしかったです。育児と介護の両立だったからこそ、時間的に大変なこともありましたが、娘の存在に救われたことも事実でした」
春日さんの場合、突然始まった介護に翻弄されてしまったのは、第一子出産直後だったことや一人っ子だったこと、両親がまだ60代と比較的若かったことも要因としてあるだろう。
春日さんの母親は、自分の公正証書遺言を作成した時に、父親の分の公正証書遺言の作成も父親とともに進めてくれていた。
父親の遺言の内容は、「すべての財産を異母兄2名で2分の1ずつにする」「ただし、葬儀の喪主は娘が務める」「自家用車は娘に相続する」となっている。
「父は散財してきた人生なので、財産はほとんどありません。年金では施設費も不足しているので、それをわずかな貯蓄から月数万補填し、いずれ不足すれば私が負担することになるでしょう。私は、母が残してくれた土地と家さえあれば父の遺産はいらないと母に伝えていたので、この内容になっています。兄たちは公正証書遺言があることを知りません。父自身ももう、認知症なので内容どころか作ったことさえ覚えていません」
母親としては、「もっと早くがんだと気付いていれば、もっと長生きできたのに。かわいい孫の成長を見守っていられたのに」という無念な気持ちがあったはずだ。
しかし、自分の体がもう長くは保たないと理解していたのか、痛む体に鞭打って公正証書遺言の作成を急いだ。もし遺言がなかったら、春日さんは両親の介護に翻弄されたうえ、住む家さえ失うことになっていたかもしれない。
最期まで娘の幸せを一番に考えて行動した母親に脱帽する。
旦木 瑞穂/ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。グラフィックデザイナー、アートディレクターを務め、2015年に独立。グラフィックデザイン、イラスト制作のほか、家庭問題に関する記事執筆を行う。主な執筆媒体は、プレジデントオンライン『誰も知らない、シングル介護・ダブルケアの世界』『家庭のタブー』、現代ビジネスオンライン『子どもは親の所有物じゃない』、東洋経済オンライン『子育てと介護 ダブルケアの現実』、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」など。
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