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遺言を見た娘が唖然…血のつながらない父が財産の大半を残した“驚きの相手”

Finasee / 2023年10月20日 11時0分

遺言を見た娘が唖然…血のつながらない父が財産の大半を残した“驚きの相手”

Finasee(フィナシー)

宇津井奈保子さん(仮名)は昨夏、血のつながらない父親を亡くしました。奈保子さんの両親は奈保子さんが物心もつかないうちに離婚していて、奈保子さんは教師をしていた母親に引き取られました。その母親の再婚相手が同僚だった父親です。

再婚当時、奈保子さんは小学校5年生の生意気盛りで、母親を奪った父親に反発したこともありましたが、父親の穏やかで温かい人柄に触れるにつれ、心を開いていきました。

奈保子さん自身が結婚して子供が生まれた後も家族ぐるみの交流は続きましたが、やがて父親が介護施設に入居し、その翌年コロナの感染が拡大したことで近年はやや疎遠になっていました。

衝撃を受けたのは、父親が友人である弁護士に託していた遺言書の内容でした。父親の財産は全てひとり娘の自分が引き継ぐものと思っていましたが、遺言書に自宅以外の全財産を譲ると書かれていたのは、奈保子さんが聞いたこともない人の名前だったからです。

しかし、それが父親が前に結婚していた時に生まれた実子であることはすぐに分かりました。「お父さんは、本当は私のことをうとましく思っていたのかもしれない」。混乱した奈保子さんが取った驚きの行動とは? 1年前のショッキングな体験を、奈保子さん自身に振り返ってもらいました。

〈宇津井奈保子さんプロフィール〉

東京都在住
45歳
女性
専業主婦
外資系銀行勤務の夫、中学生と小学生の息子と4人暮らし
金融資産8000万円(世帯)

***
 

郷里の長野の介護施設から父が亡くなったという知らせを受けたのは、関東地方の梅雨明けが報じられた7月の暑い日のことでした。8月生まれの父は77歳の喜寿を迎えることなく、亡き母の下へと旅立ったのです。

良好だった父親との関係

共に教師をしていた父と母は互いに再婚で、私は母の連れ子でした。

母が父と結婚したのは私が小学5年生の時でしたが、穏やかで優しい父は私のことを実の娘のようにかわいがり、私の好きな絵本をたくさん買ってくれたり、当時田舎ではまだ珍しかったチェロを買って習わせてくれたりしました。

私が東京の音楽大学に進学したいと言い出した時も、現実主義者の母が「プロの演奏家になんてなれるわけがないんだから、音楽を学びたいなら教育学部に行きなさい」と大反対したにのに対し、「人生は一度きりなんだし、奈保子のやりたいことをやらせてあげればいいじゃないか」と背中を押してくれました。

大学3年生の時に母が交通事故で急死した後も、父の私に対する態度や配慮は一切変わりませんでした。おかげで私は音大のチェロ科を無事に卒業し、都内の楽器店に就職することができました。そしてその楽器店を客として度々訪れていたクラシック好きな外資系銀行勤務の主人と出会い、結婚したのです。

とはいえ近年、父とはそれほど交流があったわけではありません。子供たちが小さい頃は年に1度家族で帰省していましたが、介護施設に入居した翌年にコロナの感染が拡大して以降は面会も制限され、時々手紙のやり取りをする程度になっていました。

父の訃報を受けた日は取るものも取りあえず新幹線に飛び乗って帰郷し、介護施設の居室で亡きがらに対面しました。腎臓を患っていた父の死に顔は幾分かむくんでいるように見えましたが、とても穏やかな表情をしていました。

空き家にしていた実家に連れて帰ろうとしたところ、施設の方から、父は自身の葬儀について全て手配を済ませていることを聞かされました。遺体は自宅から車で数分の斎場に安置し、通夜は行わず、2日後に火葬だけのシンプルな葬儀(直葬)を執り行うとのことでした。

弁護士からの言葉に胸騒ぎ

父も母も親戚がほとんど亡くなっていたこともあり、寂しい葬儀になってしまうのではないかと懸念していたら、父が生前親しくしていた友人やかつての教員仲間、教え子の方たちが駆けつけてくれました。父はいろいろな人から愛されていたのだなと改めて思いました。

父の友人で弁護士をしている柳沢さんから声をかけられたのは葬儀が終わり、みんなが引き上げた後のことです。会場にいたのは私と夫、2人の子供たちだけでした。

「この度は大変ご愁傷さまです」というお決まりのあいさつの後、「葬儀の直後にこんな話をするのは申し訳ないけれど、お父さんの公正証書遺言の正本を預かっているから、折を見て一緒に開封させてほしい」と伝えられました。

父が遺言を残していたと聞いて、なぜか心がざわつきました。そして、四十九日の法要を終えた後に柳沢さんの事務所で父の遺言を開封した時、その言いようのない不安が現実のものとなったのです。

遺言にはこう記されていました。

「遺言者が所有する別紙の自宅及び建物を、長女・宇津井奈保子(昭和五十二年十二月十二日生)に取得させる。

上記に記載のない財産については、全て丸山耕太(昭和五十五年八月十八日生)に取得させる。」

丸山耕太。知らない名前でしたが、それが誰かはすぐに分かりました。父と前妻との間に生まれた、父の実の息子です。

●不公平な相続に不満を持った奈保子さんがとった驚きの行動とは? 後編【「喜んでもらえて良かったね」不公平な相続に困惑も、娘が父を許せた理由】で詳説します。

※個人が特定されないよう事例を一部変更、再構成しています。

Finasee編集部

金融事情・現場に精通するスタッフ陣が、目に見えない「金融」を見える化し、わかりやすく伝える記事を発信します。

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