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「養子」だった母を看取った30代女性…納骨をめぐるトラブルで迫られた“究極の選択”

Finasee / 2023年11月2日 11時0分

「養子」だった母を看取った30代女性…納骨をめぐるトラブルで迫られた“究極の選択”

Finasee(フィナシー)

<前回のあらすじ>

東北地方在住の春日暁美さん(30代・既婚)の両親は、父親が36歳、母親が31歳のときに社内結婚。3年後に春日さんが生まれた。

2009年春。春日さんは大学を卒業し、就職。56歳だった母親は、健康診断で乳がんが見つかり、手術を受けた。

2016年秋。65歳で定年を迎え、嘱託で働いていた68歳の父親の胃と食道の接続部にがんが見つかり、すぐに治療と手術を受けた。

父親の入院中、63歳の母親は父親の物忘れについて主治医に相談し、脳神経内科を受診させたが特に問題はなし。以降、3カ月に1度の定期受診をすることになった。

2019年。春日さんは31歳で2歳年下の男性と結婚。夫は僧侶の家系だったが、3人兄弟だったため快く婿に入った。2020年には春日さんの実家を二世帯住宅にリフォームし、同居を開始。

2022年1月頭、春日さんは女児を出産。その頃から母親は体調不良を訴え、1月末には腹痛で布団から起き上がれないほどになっていた。

2月下旬。母親は病院を受診。さまざまな検査が続き、検査結果待ちの間に母親は断捨離と相続対策に勤しんだ。

母親が痛みを薬で誤魔化しながら、急くような形で“終活”に取り掛かったのは、父親がバツ1だったからだ。

父親には前妻との間に2人の息子がいる。母親が父親より先に亡くなれば、母親が管理していた夫婦の財産は、父親によって散財されてしまうかもしれない。母親が生まれ育った実家を二世帯住宅にしたのも相続対策の一環で、小規模宅地等の特例を利用するためでもあった。

父親が亡くなれば、異母兄弟の2人にも相続の権利が発生する。母親はたった1人の愛娘である春日さんのために、痛む身体に鞭打って公正証書遺言を作成。母親の遺言は、「すべての財産を娘に相続する」「娘が不在の場合は孫に相続する」という内容になっていた。

何度かの検査を経て、4月下旬。医師からようやく、「食道がんステージ4B。多発肺転移、多発リンパ節転移。リンパ節転移による水腎症あり」と告知があり、母親の抗がん剤治療入院が決まる。10年以上前にかかった「乳がん」の転移ではなく、原発だった。

春日さんは、母親の抗がん剤治療の合間に父親に介護認定調査を受けさせ、自分は保活を開始。父親は要介護1だった。

抗がん剤治療の4クール目を終えた後、母親は腫瘍が大きくなり黄疸が出る。治療を中断し、内視鏡手術を受けるも、再び黄疸が出て再手術に。

さらに術後、痛みによるせん妄で口から入れていた管を自力で抜いてしまったため、手術がなかったことになってしまう。

春日さんは、一度目の手術を受けた後、「痛くて辛かった」と言っていた母親の言葉を思い出し、「母が強く望まない限り、もう手術はやめてください。痛がるのはもう見たくない」と言い、母親も「もういやだ」と答えたため、再々手術はしないことになった。

春日さんが自宅での緩和ケアを希望すると、翌日、24時間体制で在宅看護する訪問医療チームが結成され、母親はベッドに横たわったまま帰宅。

2022年9月。帰宅から3日目の早朝、母親は自分が生まれ育った家で亡くなった。8月に68歳の誕生日を迎えたばかりだった。

●母親が亡くなるまでの詳しい経緯:【「すべての財産を娘に…」終活で“相続争いの泥沼化”を防いだ母の機転】

母親の生い立ち

母親の葬儀の喪主は、春日さんが8カ月の娘を抱っこ紐に入れた状態で務め上げた。認知症が進行している父親は、葬儀前日から直前まで飲酒していため、酒臭く千鳥足で参列。状況を理解しているのかしていないのか、ひたすら泣きじゃくっていた。

母親には生みの両親と育ての両親がいた。母親がその事実を知ったのは成人後のこと。生みの母親が探偵を使って母親を探し当てたのがきっかけだった。生みの両親は母親が生まれた直後に離婚し、母親は生後数カ月で育ての両親のもとに養女に出されたのだという。母親がそれを知ったとき、生みの父親はすでに亡くなっていた。

母親は、「私の母さんは、育ててくれた母さんだけだから」というのが口癖だった。しかし、「産んでくれたことは感謝しているから」と言って、離婚後は独身だった生みの母親も介護して看取った。そして「母さんは、生みの母さんとは会いたくないだろうから」と言って、育ての両親とは違うお寺に生みの母親だけのお墓を建てた。

自宅には仏壇が2つあり、仏壇も遺影も離して置いてある。生前、母親は春日さんに、「悪いけど、今後もお墓参りは2つお願いね」と言い、「私は絶対に育ての両親のお墓に入りたい。母さんが悲しむから分骨はしないで」と話していた。

葬儀後に発生したトラブル

母親の葬儀は僧侶である義父に依頼してあり、滞りなく執り行われた。

葬儀後、春日さんは母親の希望通り、遺骨を育ての両親のお墓に納骨するため、A寺に母親が亡くなった旨を連絡する。するとA寺からは、「法名をつけなおし、お経をあげ直さないとうちのお墓には入れられない」と言われて唖然。「そういう規約になっている」と重ねて言われたため、母親が遺した資料を確認すると、確かにそのように明記されており、衝撃を受けた。

「夫から僧侶である義父に話しましたが、元々怒りっぽい義父なので、『そんなルールがまかり通るのか? 俺がA寺に連絡してやろうか?』と憤慨していました。夫に全力で止めてもらいましたが……」

A寺に連絡してから2週間ほど経ったある日、「法名をつけ直すというのはあまりにもだと思ったのでそれは大丈夫ですが、お経はあげ直さないとうちのお墓には納骨できません。もしくは墓じまいをして、どこかに新しいお墓を建てるという方法もあります」とA寺から墓じまいの提案があった。

墓じまいを選択

「そんなお寺は放っておけばいい、お母さんのお骨も納骨しないで自宅で一緒にいたらいいよ」と義父に言われた春日さんは、「育ての祖父母と一緒のお墓に入ることを何より望んでいた母は、本来ならすぐに一緒になれる予定だったのに……。このまま自宅にお骨を1人で置いておくなんて母がかわいそう」という母親を哀れむ気持ちと、義父に対する苦悶がうまれた。そして「来春の復職までにはすべてすっきりさせたい」という焦りもあった。

春日さんは夫と話し合い、検討した結果、A寺の育ての祖父母の墓を墓じまいして新たに共同墓地を契約し、母親の遺骨と一緒に納骨することにした。

「母は、育ての祖父母と一緒になれるのであればお寺にこだわりはありません。新たに契約した共同墓地は、いずれ義父母も入る予定のお墓で、夫も私も入ることになります。娘も私と同じ一人娘なので、将来、あまり負担をかけなくて済むお墓を選びました」

●ところが墓じまいもスムーズには進まなかった……。後編【「墓じまい」を依頼した女性が唖然! 終活業界の“時代錯誤”なローカルルール】で詳説します。

旦木 瑞穂/ライター・グラフィックデザイナー

愛知県出身。グラフィックデザイナー、アートディレクターを務め、2015年に独立。グラフィックデザイン、イラスト制作のほか、家庭問題に関する記事執筆を行う。主な執筆媒体は、プレジデントオンライン『誰も知らない、シングル介護・ダブルケアの世界』『家庭のタブー』、現代ビジネスオンライン『子どもは親の所有物じゃない』、東洋経済オンライン『子育てと介護 ダブルケアの現実』、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」など。

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